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春告の花

「梅も嫌いよ、桜も嫌よ」で始まる艶っぽい都都逸があるが、この季節、梅、桜、そして桃の春告の花が鮮やかに初春を彩る。
通勤電車の車窓から見ると、流石にソメイヨシノはまだだが、あちこちの田畑の隙間に数本づつ植わる梅や早咲きの桜は今が盛りと満開になっている。
個人の印象なので確たる自信はないが、「梅」は枝ぶりが渋く、咲く花もポツポツと全体的に散らばり、色も白から深紅まで多種多様だ。日本画の素材としてよく目にする。2月に入ると、あちこちの梅林から見ごろの知らせが届く。そこはかとなく匂う甘酸っぱい香りは、山間(やまあい)で練習を始めたばかりのウグイスの声とともに、冬の寒さで凍り付いた心を溶かしてくれる。
また、桜は特にソメイヨシノなど、間近で見るとまるで時間を遡るようにうねる力強い幹と、舞扇をかざす振袖のごとく伸ばした枝に、淡いピンクから紅色まで大盛の茶碗のごとく樹木一杯に花を咲かせる。ソメイヨシノなどはその散り姿も儚く美しい。梶井基次郎がその桜木の艶姿に「死体が埋まっている」と書いた理由も判る気がする。
奈良時代には梅が主流だったそうだが、平安時代以降、桜が”花見”の主流となり、庶民の間で広まったのは江戸期にまで下るとされている。

が、桃はどうだ。
通勤経路には一か所だけ、十本程度の桃が植わっている場所がある。細い指のように青空に向けて伸びたまっすぐな枝に、よく目にするのは濃いめだが言葉通り「桃色」の花が多い。樹木本体とのバランスから言えば、その花数は梅と桜の中間くらいか。ただ、梅や桜と異なり”愛でる”ための並木や林は、少なくとも私の身近では見られない。その分、花そのものに対しての印象が薄い。花に関して地域地域で扱いが異なるのだろうが、どちらかというと、まず甘い果実が頭に浮かび、「花より団子」というイメージがより強い植物だ。
そもそも「桃」は「梅」と同様中国原産植物だと聞く。そして、なにやら「神仙」と結びつき”仙果”とか”霊木”のイメージが強い。そのためか、思い浮かべる桃の木はなんとなく輪郭がぼんやりとしている。子供の頃夢中になった「西遊記」でも、西王母の庭にあった不老不死の果実「桃」を、後の孫悟空となる斉天大聖が盗み食いするシーンが出てくるし、仙人の東方朔がこの桃を盗み食いして八百歳の長寿を得た話もある。また、陶淵明の「桃花源記」では、誠に不思議な非俗の里「桃源郷」の事が幻想的に描かれてある。
そういえば、古事記でイザナミから這う這うの体で逃げるイザナギを黄泉平坂のふもとで救ったのも3つの桃の実ではなかったか。

春に開花する同じバラ科の植物なのに、実はこの三種の樹木は大きく印象が異なる。私の五感で特徴的なのが桜の目、梅の鼻、桃の舌だ。
そういえば、半世紀以上も前に通った幼稚園のクラスは「桃組」だった。そんなとりとめもないことをぼんやり考えながら、車窓を流れていく春の景色を眺めていた。

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