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コスプレ考:ポップカルチャーひろしま2023から
コスプレを語る
コスプレを語ることに資格が要るわけではありませんが、これまでコスプレを話すことを避けてきたような気がします。ある種の自己検閲だったのではないかとも思います。私のような、カジュアルでネタを負う半人前のレイヤーがコスプレを語っても良いのかという後ろ向きの態度でした。ただ、ふと振り返ってみると、いつの間にかコスプレを始めてあれこれ12年が経っていました。もちろん、時間がクォリティを担保するわけではありませんが、確かに自信を与えてくれる面はあるようです。そこで今日は、(自称)「中堅」レイヤーの立場から、コスプレについて語ってみたいと思います。
2023年10月14日〜14日、広島市ではポップカルチャーひろしま2023というイベントが開かれました。「NPO法人音楽は平和を運ぶ」が中心になって2017年から、コロナで中止となった2020年を除いて毎年開催されており、広島らしく「平和は楽しい」をモットーにしています。特に、平和が広がるをテーマに、約10カ国からレイヤーを招待しており、今年は11の国と地域から20人のレイヤーさんがパフォーマンスを披露しました。ちなみに私は、一介のレイヤーとして個人参加をしました。
アニソンコンサート、同人誌即売会、ステージパフォーマンス、コスプレ写真撮影、いつも感じることですが、場所や国が変わっても見慣れた構成が、妙な安心感を与えてくれます。海外のコスプレイベントやアジア圏に散在するメイドカフェは、個人的には安心できる居場所のようなものであり、だからわざわざ足を運んでいるのではないかという気がします。
しかし、それだけではない気がします。特に、今回のイベントは、コスプレをすることに意味について様々なことを考える機会になりました。イベントのモットーである「平和は楽しい」というフレーズもずっと気になりましたし。
コスプレが変える「セカイ」
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コスプレをして新しいキャラクターになることは、自分の中にある物語世界(narrative world)を現実の世界に拡張させる、一種の拡張現実(AR)体験だと思います。もちろん、一般化できる話ではないし、すべてのレイヤーが同じ考えを持っているとも思いません。
断片的な話ですが、以前『名探偵コナン』ミステリツアー参加者の調査をしたことがあします。『コナン』の大ファンである一人の女性がいて、毎年コスプレをしてツアーに参加するそうです。ただ、コスプレをするキャラクターは、ミステリツアーのストーリーには登場しない人物を選びます。理由は簡単で、自分が物語世界に入るため、主人公一行と一緒に歩く体験するためだそうです。
すごく共感し感銘を受けた一方、自分の経験を振り返ってみると、私にもそのような側面があったことに気づきました。ただ、私の場合、物語世界に入り込むというより、自分の内面にある物語世界を現実世界に拡張させることに近いです。これは、時にオープンスペースでコスプレをする時に顕著に現れ、都心の真ん中でコスプレができるポップカルチャーひろしまでも強く感じました。
仮装とコスプレの最大の違いもそこにあるのではないかと思います。仮装も服が新たな人格を与えるという面でコスプレに似ているところがありますが、コスプレはさらに物語世界のキャラクターを服を通じて召喚し、さらにキャラクターに取り憑かれる経験です。そして、憑依された自分がキャラクターの目で見る世界は、これまで内面に存在していた物語世界になります。
つまり、コスプレは単純に自分の外皮(服)を変えるのではなく、それによってレイヤー本人が自分を取り巻く世界を、正確には世界を見る視点を変えてしまう、一時期流行ったジャンルの名前を借りていうと一種のセカイ系の体化とも言えるのではないかと思います。ちょっと自意識過剰でしょうか。
コスプレが変える世界
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ポップカルチャーひろしま2023で注目したのは、2日目の朝に海外から招待されたレイヤーさんたちが公式イベントとして原爆ドームとおりづるタワーでコスプレ交流タイムを持ったことです。コスプレを通じて平和を広げる、という運営側の意図は十分理解していますが、実は少し複雑な気持ちもありました。自分の考えの整理がついていないまま、原爆ドームでコスプレをしている写真を、受講生に見せて感想を聞いたところ、概ね適切ではないという反応でした。
私たちは特定の場所で特別な感情を持つことを求められることがあります。特に、それはたくさんの人々の記憶が凝縮されている記念物(memorial)のある場所であることが多いです。本来の建物としては機能していない原爆ドームの英語名称はHiroshima Peace Memorial、まさに一つの記念物です。そして、そこに刻まれている記憶は、戦争の悲惨さ、数多くの民間人の死と傷に関するものです。
原爆ドームでの振る舞いに対する判断は、そうした記憶に対する態度によって現れます。ただし、個人の考えや態度は直接表に出ることがないので、私たちは言語による表現や服装、行動などを判断基準にします。リスペクトまたは共感しているのか、何の態度も見せていないのか、あるいは侮辱しているのか。
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では、原爆ドームでのコスプレはどうでしょうか。単純に外見、特に日本式TPO(TPOは和製英語です)という観点から考えると、不適切であることになるかもしれません。ただ、派手な服装がもたらす偏見のフィルターを外してみると、現地でのレイヤーさんの行動からは、少なくとも私が感じた限りでは、過去の記憶を見下すまたは置き換えようとする意図は見えませんでした。
むしろ、運営側の立場になって考えてみると、原爆ドームでコスプレすることに、過去の記憶の上に立って未来を、平和を目指すという意味を与えているかもしれません。過去は変わらない、変えることもできません。だから私たちは、積極的に過去に向き合うか、避けるもしくは知らないふりをします。
そういう意味で、原爆ドームでのコスプレは、ポップカルチャーの領域でできる、非常に積極的な過去との対話とも言えます。避けることもできた状況から目を背けず、過去と向き合い、未来を作っていく象徴という視点で写真が見えるようにもなりました。レイヤー・運営側だけを擁護しているように思われるかもしれませんが。
最後に
"Opens you up to friendships, to people who love the same stuff you love. And you don't have to be judged. That's the greatest thing about cosplay."
(同じものを愛する人々との友情が開ける。批判される必要もない。それがコスプレの最大の魅力です。)
上記のフレーズは、個人的にコスプレの意味を最もよく表している言葉だと思います。どうのこうのと長く書きましたが、やはり何よりコスプレの最大の魅力は、共感して一緒に楽しむことでしょう。
ただし、それぞれの目を通して異なる世界を見る人々が一つの空間に集まり、そこで生まれる共感、そしてその中で生まれる友情と他者への理解、さらにその理解が普段はあまり触れることのないところ(今回の場合は原爆ドーム)へと広がっていく機会を作っていくとすれば、小さいものではありながらコスプレは平和を作ることに貢献しているとも言えるのではないでしょうか。
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書いた人:張慶在
広島大学大学院人間社会科学研究科 准教授(博士:観光学)。
最近、軍港都市の観光化とコンテンツツーリズム、コンテンツツーリズムがもたらすコンフリクトと和解に関心があります。間野山研究学会 国際交流委員会委員長。コスプレ歴12年。