「大丈夫」という言葉
「大丈夫」という言葉があります。
少し前まで、私はこの言葉を求めることが多かったし多用もしていました。でも、今はちょっと変わってきました。
なにか心配だったり不安だったりした時、誰かに「大丈夫だよ」と言ってもらえると安心する人は多いのではないでしょうか。体調が悪い時、友人とケンカした時、悩み事がある時。物事の大小関係なく、「大丈夫かな?」との問いかけに「大丈夫!」と応えてもらいたいがために相談をもちかけると言っても過言ではないくらい、私はかつてこの言葉を求めていました。なんなら「大丈夫かな?」と夫に問いかけた時に「大丈夫だよ、そのくらい」と言ってくれないことに腹を立ててさえいました。大丈夫って言ってよ!と。
しかし、私も少ないなりに様々な経験をしたり、広くはない交友関係からいろいろ見聞きしたりするなかで、安易に「大丈夫」と口にすることの残酷さを感じるようになりました。
たとえば不妊治療中の友人に対して。人に言えないような感情を抱えて不妊治療をしているであろう友人に、「きっと大丈夫だよ」と私は言えなかった。何年もの不妊治療の末に子を持つことを諦めた夫婦、養子を迎え入れた夫婦を知っていると「大丈夫、きっといつかできるよ」なんて言えなかった。その子がそうならないなんて言い切れなかったから。
息子が不登校になったとき、周りの友人やママ友は誰も「大丈夫」とは言わなかった。そして、それがとても嬉しかったのです。もし「大丈夫だよ!」と言われていたら、なぜそう言い切れるの?その根拠はなに?人の気も知らないで。とさぞかしモヤモヤしていたことでしょう。
人によっては「大丈夫」と言って欲しい人もいると思います。私自身少し前まではそうだったし、実際、不妊治療中の友人に「大丈夫」と言った別の友人は「大丈夫って言ってくれたおかげで頑張れたよ」とのちに感謝されていました。私も言ってあげたほうがよかったのかな?なんて思ったりもしましたが、息子が不登校になっていろんな感情が渦巻くなか、あの時言わなくてやっぱりよかったと思い直すようになりました。
なにを持って大丈夫とするか、という前提も人それぞれ。その言葉を待ち望んでる人もいれば、言われてモヤモヤを抱える人もいる。「大丈夫」と言う言葉は私にとって、使うのに慎重になる言葉となりました。ついつい口から出てしまう便利で簡単に人を勇気づけられる言葉ではありますが、使わない選択肢も頭に入れてグッと我慢することも時には必要だと思う今日この頃です。
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