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『かがみの孤城』辻村深月

少し前にアニメで映画化されていましたね。
あまり気に留めていなかったのですが、不登校の話と聞いて読み始めました。

うちは息子が不登校なのです。小学校低学年。保育園の頃から行き渋りがひどく、小学校に上がってもそこまで変化はなく。すこーしずつ休む日が増え、冬休みが終わると、とんと行かなくなりました。

なんで?どうして?みんなできてることがどうしてできないの?育て方が悪かった?なんで?頭の中はそればっかりです。人はそれぞれできることとできないことがあるし、各々のペースがあるのもわかっている。保育園時代のことを考えると、不登校になってしまうのも別段不思議ではないし、なんなら想定の範囲内。それでもやっぱり、なぜ?どうして?と思ってしまう。「明日は行く」の言葉に期待しては裏切られ、イライラ。仕事もろくにできやしない。なぜ?どうして?うちの子だけ。

だから、主人公こころのお母さんの気持ちが痛いほどわかる。理由もわからず、フリースクールに行く準備をしても上手くいかない。なぜ?どうして?行くって言ったじゃない。こっちはできることを手を尽くしてやっているのに。心底がっかりする。イライラする。お母さんの心の内が手に取るように理解できる。

一方、こころの気持ちを思うと胸が張り裂けそうになる。毎日毎日、学校に行けない自分を恥ずかしく思い、弱さを呪う。そんな風に自分を悪く思わなくていいのに。嫌なことだってあるよ、無理しなくっていいよ。自分の気持ちも起こったことも、口にするのはとっても勇気が必要だよね。息子にもそう思う。でもやっぱりどうして?も消えない。二つの気持ちに引き裂かれそう。

この作品はファンタジーで、願いを叶えてくれる鍵は現実にはないし、こんなふうに不登校の子同士が集まって信頼と友情を育んでいくことは現実世界にはない。けれど、ファンタジーだって現実だって、現状を切り開くのに必要なのはほんの少しの勇気と、絶対的に寄り添ってくれる味方がいるという安心感。それはどこの世界にいたって、大人でも子どもでも変わらないことですよね。学校という世界に苦しんでいる子たちの気持ちだけでなく、そういう子たちの気持ちが少しでも軽くなり、楽しいと思える時間が増えたなら…と願う大人の気持ちも反映されているような気がして、あたたかい気持ちになりました。

だいぶ息子の不登校を受け入れられるようになってきましたが、今でも登下校している小学生を見るとチクっと胸が痛みます。学校に行けるようになることがゴールだと思っているわけではないけれど、息子にもどうか、あの子達のようにひと匙の勇気が芽生え、絶対的な味方がいる安心感に包まれ、未来を切り拓いていってくれたら、と願わずにいられません。

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