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21時のテンカポチェ峰北東壁標高約6250m地点。今宵(通算3回目)のビバーク地は、登ってきたルートから20m程右手、氷壁から僅かに露出している岩塔の下側を削ってつくった。雪がサラサラで掘っても埋めてもなかなか安定しないがかろうじて2人腰掛けられるスペースを確保することができた。足先は浮いたままだが上々のビバークだ。壁に張り付いたまま一晩明かすのとでは天と地ほどの差がある。頂上は間違いなく射程圏内、難しくない氷壁が標高差で250mあまりだ。満月が照らしている。私達の楽観を映し出しているかのようだ。テントを被って中で質素な食事を済ます。今晩、寝袋は無い。両腕でしっかり自分を抱きしめるようにして目を閉じる。それにしても寒い。じっとしていることさえ苦しい。気がはやってもいるのだろう。0時30分、2時間ほどであきらめ早すぎる朝食をつくった。 

2時30分、ビバーク地からクロワールの中央部ヘと岡田がトラバースを開始した直後だった。突然ごう音が轟く。「雪崩だ!」声にならない叫び。ヘッドランプに照らされた輪の中をリンゴ箱大の氷塊がいくつも飛び去ってゆく。山全体が振動しているような錯覚さえあった。灯りの消えた地下鉄で回送列車が猛スピードで通過してゆくような感じだ。一瞬で静寂が訪れ、スノーシャワーが余韻の様にサワサワと流れ続けている。2人とも凍りついたように動けなかった。ほんの2,3分行動開始が早かったら岡田はあれに飲み込まれていた。もう5分早かったら2人ともアウトだった。麓から遠望できた主稜線の巨大なセラック(懸垂氷河)が崩壊したに違いない。

「待って様子を見た方がいいかな?」と岡田。「行くしかねーじゃん。」と応じる私。ここからすごすごと退却する気は全くない。

なら行こう!

次の地獄列車が何時やってくるのかは私達には知りようがないのだから。運は天にまかせるしかないのだから。それから約7時間後のAM10時45分、私達はついに頂上に到達した。その後連続14時間の懸垂下降をこなしてベースキャンプまで無事帰還することができた。「勝者には運があり、敗者には必然がある」春秋戦国時代の将軍が残した言葉だ。肝に銘じていつまでも覚えておきたいと思う。もちろんアルパインクライミングに勝ち負けなどない。

私の遠征登山では登頂と敗退では前者のほうが分が悪い。セラックの崩壊が激しくて全く登山活動ができず高所登山靴に足を通さずしての屈辱的な敗退も経験した。運を天にませるばかりではいけない。必然と運、思考を止めないようにして生きて行きたいと思う。


*この原稿は、The North Face Summit Meetingへの寄稿を転載しています。


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