馬目 弘仁 Hiroyoshi Manome/馬目森林山岳案内事務所

1969年生まれ |アルパインクライマー|ザ・ノース・フェイスグローバルアスリート 2009年ネパールヒマラヤテンカンポチェ峰(6500m)北東壁初登攀や国内外の山々を多数登攀。 2012年キャシャール南ピラー(6,770m)初登攀し第21回ピオレドール賞受賞。

馬目 弘仁 Hiroyoshi Manome/馬目森林山岳案内事務所

1969年生まれ |アルパインクライマー|ザ・ノース・フェイスグローバルアスリート 2009年ネパールヒマラヤテンカンポチェ峰(6500m)北東壁初登攀や国内外の山々を多数登攀。 2012年キャシャール南ピラー(6,770m)初登攀し第21回ピオレドール賞受賞。

最近の記事

クスムカングル峰北陵 登攀記(ネパール・ヒマラヤ 6,370m)

(2023.5月「Alpinist 82」掲載記事原文抜粋に補足追記) はじめに  アメリカの山岳誌「Alpinist」から、クスムカングル峰(ネパールヒマラヤ、標高6,370m)の北稜クライミング記を寄稿してほしいと頼まれることになりました。その登山は、ずいぶんと前(約32年前、当時22歳)のことです。意外なことで少々驚きましたが、快諾いたしました。なにせ、Alpinist ですから。  記憶というのは、「事実」とは微妙に異なるもの。自分の都合によって、ひっそりといつの

    • Mt.Chekigo(6,257m)南フェース   クライミングレポート (2022.Nov)

      はじめに  私たちの当初の目的は、ネパール・ヒマラヤ、ロールワリン山群のMt.Chukyimago(チュキマゴ峰、6,259m)に未踏で残っていた南面を登ることであった。しかし残念ながらその姿をみることもなく断念。高度順化を順調にすすめること、体調をうまく維持することは難しいことなのだとあらためて考えさせられた。  その後、BCとしていたNa村(4,180m)のすぐ裏(北)側に広がる主稜線の一角、Mt.Chekigo(チェキゴ峰、6,257m)に目標を変更して、その南面にア

      • 英国登山評議会(BMC)国際ウィンターミーティング

        <過去記事|日本山岳・スポーツクライミング協会掲載レポートより抜粋> 2007年2 月 23 日~3 月 2 日まで、英国登山評議会(BMC)が主催する「国際ウィンターミーティング」が英国のスコットランドで開催され、協会から馬目弘仁と横山勝丘の 2 名を派遣した。 BMC と日山協の交流は 1980 年に始まる。当時、新たなロッククライミングの波が本邦にも押し寄せており、1977 年から始まった「岩登り競技会」の上位入賞者を中心として 9 月に高橋善数監督、戸田直樹コ

        • 憧憬の頂 <ヒマラヤ・メルー峰北東壁>

          インドヒマラヤ・メルー峰北東壁 シャークスフィンShark’s Fin 6540m 文・馬目弘仁  再見、シャークスフィン2006年8月31日、2年ぶりに見る「シャークスフィン」。この同じ場所に足を止めて見つめるのも、これで4回目になる。キャラバンの最終日、ガンゴトリ氷河からの急登を登り切るとそこは草原となり、突然のようにメルー峰が現れる。その光景を僕はこれまでどんな気持ちで眺めてきたのだろう。いまはとても静かな心境だ。呼吸も心拍数もまったく変わらない。絶対に登るという信念

          テンカンポチェ峰北東壁 登攀記

           どうしても登りたい山と壁があったとしよう。それをいかにして登るか。  スタイルの選択、タクティクスの組み立をどうするのか……そんなアルパインクライミングの核となる重要な部分を目標に合わせて後から考えていったのが今までの自分であったと思う。12年間、4回にわたるメルー峰シャークスフィンへの挑戦の末に手に入れたものは何だったのだろう。感動とは異なるものもある。毎度苦渋の決断を迫られる緊迫感、それからの解放だったかもしれない。  この度は「ヒマラヤのミックス壁にアルパインスタ

          ハード・シェル

           インドヒマラヤ・メルー中央峰、通称シャークスフィンの標高約6200m地点。  PM4時30分頃。夕闇が迫るタイミングで雪が降り出し、流れ始めたスノーシャワーはだんだん激しさを増してきていた。見上げる主稜線はもうかなり近い。そう感じてからもう幾ピッチロープを伸ばしただろうか。雪煙が激しく沸き立っている。白い龍が何匹も次々と飛び立っていくようなその様 子はなかなか美しい光景だった。こちら側は無風に近いが主稜線上では猛烈な強風が吹き荒れているのだろう。  スノーシャワーに耐え

          21時のテンカポチェ峰北東壁標高約6250m地点。今宵(通算3回目)のビバーク地は、登ってきたルートから20m程右手、氷壁から僅かに露出している岩塔の下側を削ってつくった。雪がサラサラで掘っても埋めてもなかなか安定しないがかろうじて2人腰掛けられるスペースを確保することができた。足先は浮いたままだが上々のビバークだ。壁に張り付いたまま一晩明かすのとでは天と地ほどの差がある。頂上は間違いなく射程圏内、難しくない氷壁が標高差で250mあまりだ。満月が照らしている。私達の楽観を映し

          アルパインクライミング

          アルパインクライミングとは?  字のごとく本場ヨーロッパアルプスの高峰で行われるようなクライミングを指す。氷河や万年雪をたずさえ厳かにそびえ立つ頂上、無機質な岩と氷と雪だけの(中世では魔物の住処と呼ばれた)冷徹な世界。 氷河を渡り、険しい岩と氷を超えた先に頂上がある。アルプスで培われた近代登山では必然的にクライミング技術が必要だった。実は、アルパインクライミングはマニアックな狭いジャンルではなく、登山の本質を司るものでもある。(大きな氷河の無い日本ではどうなのか。長い登山

          再生

          Tomorrow is another day

          The North Face Japan YouTubeチャンネルより "アルパインクライマー馬目弘仁が向かったのはインドに聳える未登攀 ダラムスラ峰西壁。この壁は登れるのか、それとも登るほどの魅力がないのか。悪天候に翻弄されたクライミングトリップ。そこはクライマーのロマンで溢れた1ヶ月であった。" 本作のカメラマンであり大事なクライミングパートナーの黒田誠氏には、このnoteのプロフィールと背景写真を提供いただいています。 https://gravityguides.net/

          <登山と体力ー耐久力、行動力>登山研修バックナンバーNo.10

          登山研修バックナンバーNo.10に寄稿した原稿へのリンクです。 1995年3月発行 P33 <登山と体力〜耐久力、行動力> 掲載誌リンク https://www.jpnsport.go.jp/tozanken/Portals/0/tozankensyu%20pdf/tozankensyu%20vol,10.pdf

          <登山と体力ー耐久力、行動力>登山研修バックナンバーNo.10

          唐沢岳幕岩・山嶺ルート(1998)|CMC Chronicle 山行記録

          メンバー 乃村・馬目 日程 1998年2月7日〜9日/記録 馬目 松本山岳会CMC Chronicleへの寄稿過去記事です。 冬の山嶺ルートのトライは,5年前になります。瀧山さんと登り始めて,夜間登攀に突入し,あまりのスラブ帯の悪さにビビリまくり,結局は振り子トラバースでエスケープしてしまいました。あれ以来,なんとしてもリターンマッチしなければならないルートでした。 2/7 AM8:00 スタート。ダムからの本格的なアプローチは,トレースに助けられ2時間程で大町の宿に到

          唐沢岳幕岩・山嶺ルート(1998)|CMC Chronicle 山行記録

          荒船山・艫岩「攀船記」(2006)|CMC Chronicle 山行記録

          開拓者 乃村昌弘、馬目弘仁(松本CMC) 岡田 康(鱶鰭同人) ルート名 「攀船記」 期間 2006年1月/記 馬目 松本山岳会CMC Chronicleへの寄稿過去記事です。 荒船山・艫岩に懸かる氷柱のなかでも一際よく目立つ。遠く佐久側の国道からでもそれとわかる程だ。クライマーならみんな興味深く眺めていたのではないかと思う。この氷柱を基点に弱点をつなげていけばなかなかおもしろいミックスのマルチピッチルートが拓けるのではないか、と前々から淡い思いを募らせてはいた。しかし実

          荒船山・艫岩「攀船記」(2006)|CMC Chronicle 山行記録

          大谷不動・本流 左側壁(2003)|CMC Chronicle 山行記録

          メンバー 馬目弘仁(33)、佐藤映志(26) 期間 2003年1月18日/記 馬目 松本山岳会CMC Chronicleへの寄稿記事です。 1. 次の課題へ  大谷不動は私の住む松本からはかなり近く、最近は身近な日帰りゲレンデという感覚で通えるようになってきた。本格的に通い出してまだ1シーズン目なのだが、クラシックルートのほとんどを登ってしまった。そろそろ自分で課題を探さないといけないかなあと感じ始めていた。だが幸運なことにここには誰しも目にしている未踏の氷柱が2本ばかり

          大谷不動・本流 左側壁(2003)|CMC Chronicle 山行記録