テンカンポチェ峰北東壁 登攀記
どうしても登りたい山と壁があったとしよう。それをいかにして登るか。
スタイルの選択、タクティクスの組み立をどうするのか……そんなアルパインクライミングの核となる重要な部分を目標に合わせて後から考えていったのが今までの自分であったと思う。12年間、4回にわたるメルー峰シャークスフィンへの挑戦の末に手に入れたものは何だったのだろう。感動とは異なるものもある。毎度苦渋の決断を迫られる緊迫感、それからの解放だったかもしれない。
この度は「ヒマラヤのミックス壁にアルパインスタイルでオリジナルなラインを引く」という強い思いが先にあった。私達の情熱がまず先にあり、山は後から自然についてくるものと考えていた。
パートナーは既に決まっていた。2006年のメルー峰遠征での同輩、岡田康である。彼とは遠征終了直後から目指すべきスタイルについて意気投合し、遠征計画を具体的に練りはじめた。
半年くらいの間は頭の中に様々な山の名が浮んでは消えていった。家庭や職場のことを顧みるとどうしても費用や登山日数に制限がでてくる。だが「それでいいのか。もっと挑戦すべきじゃないか。」という思いも沸々とたぎっていた。
そんな折、大西保氏より魅力的な山の写真の数々を提供していただいた。一発で目を引いたのがテンカンポチェ峰北西壁だった。蒼氷に包まれとても魅力的な様相をしている。
これだ!テンカンポチェに行こうとほぼ即決だった。この山ならアプローチも大変近いので諸条件もクリアする。
はじめは北西壁の氷のラインを登ろうと考えた。だがそれは強力なスイスチームによって2008年4月に登られてしまうことになる。どうしょう?魅力的なラインであることに変わりはないので一時は再登することも考えた。だが、やはり未知のルートを切り拓くという目標を捨てることは出来ない。そして北東壁が最終目標となった。
<BCにて>
本物の北東壁は実に美しい氷雪壁であった。これからあの壁を登るのだと思うだけで静かな感動が湧いてきた。壁の構成は一目瞭然、ド真中を頂上に向かってダイレクトに大きなクロワールが走っている。問題は基部のスラブ帯に垂れる極薄ベルグラをどうするかだろう。
BCに到着してみると、私達に先行して総勢6名のスペイン隊が活動を始めていた。彼らは2~3パーティーに分かれて何本か試登を繰り返したものの頂上には達していなかった。(私達がベース到着時には、ベルグラからのスタートを試みてわずか2Pで敗退している。)北東壁ダイレクトのベストなスタートはどこからだろうか?登攀不可能なベルグラを迂回するためには向かって右側:北壁側の岩稜をロッククライミングor左側:複数のスノーリッジが走る氷雪壁を延々トラバースするしか選択の余地はない。
これまで北壁には過去3隊がトライしている。どの隊もカプセルスタイルを採用したようだが全て登頂するには至っていない。アルパンスタイルでは壁の弱点(氷雪のライン)を突くのが基本だと思う。スペインチームが逆層で危なそうな北壁からのスタートを避けたことは十分理解できる。だが私達は違った。あの岩稜は弱点であると読んだ。標高差500m位の岩稜なら十分登りきれるはずだ。フィールドスコープで観察をすればするほど予想は確信に変わっていった。傾斜はかなり緩そうだ。登り込んだ明神岳2263m峰の壁に比べたら楽勝のはずだ。
<下部岩稜の試登>
11月12日AM4時前、BCを出る。互いに口数が少ない。やはり緊張しているのだろうか。この試登で自分達のルートの読みが正しいかどうかが判明する。予定した取付き点(4600m)には1時間足らずで到着。高所靴はザックに押し込みアプローチシューズのまま登り始めた。石楠花のような潅木をつかんでのクライミングはなかなか味わい深い。
岩は逆層で所々脆くプロテクションも取りにくい。しかし予想通りの緩傾斜にプレッシャーは感じなかった。部分的には5.8程度のクライミングも出てきたが順調にロープをのばしていった。
核心部と予想したランペ状スラブはフラットソールに履き替えてロープを伸ばす。スラブ帯を20m以上のランナウトでこなし、お次は両手のアックスを草付きに叩き込みながのクライミング。13時ぴったりに5100mのスノーバンド(この辺りが2005年広島山の会チームの最終ビバークポイント)に到着。最高のビバークポイントだ。せっかくなので上部1P先まで様子を見てみる。次からは待望のミックスクライミングが味わえそうだ。大半のギアをデポ、再登に厄介な部分にだけロープをフィックして下降した。
<休息>
試登の成果には大満足だ。はやる気持ちをなだめて2日間の休養を取る。晴天が長続きすると「そろそろでは…….。」と悪い予感に囚われてしまうのはインドヒマラヤが長かったせいかもしれない。無駄をしているようなそんな居心地の悪さもあるが落ち着かなければ。
タクティクスを再検討する。C1(5100m)までは明るいうちに楽勝で上がれる。C2へも余裕をもって登れるだろう。本当の勝負はそこからだ。C2までは余裕のある行程を組み、しっかり食事をして疲労を溜めないようにすることが成功への鍵と考えた。
<アタック Day1(11/12)>
AM6時頃、ゆっくりとクライミング開始。お互い試登の時よりリラックスしている。あっさりと5100mに到着。まだ11時だ。二言三言確認の言葉をかわすがC1は予定通りここにする。待望のミックスクライミングを楽しみながら3P分ロープをフックスした。終点のアンカーは逆層のハングに固め取りしたカム類だった。岩質は土っぽい軟らかさがあって要注意と思う。
PM4時頃、C1でのんびりと水をつくる。無風快晴、幸先良いスタート。満月のおかげでグリーンのテントが明るく光っているようで爽快だ。
<Day2(11/13)>
AM6時、凍える手でデポ品をまとめる。やっぱり朝は寒い。ここからは高所用の厚めのグローブ(オーバーミトン+厚めのインナー)に交換した。 今日の1発目はいきなりプロテクションの取れないピッチからはじまった。岩がかなり脆くてトライカムとカム類の計4点をまとめてアンカーをつくったがそれでもなんとなく不安だった。ライン取りがうまくいき、3Pでミックス帯を抜けられた。左へトラバースして緩傾斜(45度位)の氷雪壁へと続く。さっきのユマーリングではロープが絡んで散々な目にあった。しんどいがリード&フォローに切り替える。(80mのダブルロープ使用)三角形をした北壁の一辺に沿うように進み、スラブにぶち当たってからトラバースしてクロワールに合流、ガッチリした氷瀑を尽きるまで登った。
時刻はPM4時、標高5650m。まだ余裕はあるがビバークポイントを探す。安全なハング帯基部では見つからず、30m程懸垂下降してスノーリッジ突端を削って整地した。最高の場所かなと思っていたが風が吹き抜けるし時々落氷がテントに当って音をたてる。なんだか寒い夜になりそうだ。食後の身体が暖まった勢いでシュラフに入る。今日は岡田が「風上側でいいよー。」と言ってくれたがなんだか気味が悪いなあ。
<Day3>
AM5時30分に出る。ゆったりペースで登るのは昨日までのこと。予定ではここから1ビバークで頂上往復する。夜間登攀も覚悟して行けるところまで登るつもりだ。同ルート下降予定なので不用品を次々とデポできるのが嬉しい。(下降ルートが限定されるリスクも抱えることになるが。)45ℓのザック1つに全て(ガスボンベ1本とコンロセットなど)をまとめる。シュラフ、下降用の予備食料と燃料、余分な岩ギアをまとめてデポした。今晩はシュラフ無しのお座りビバークだ。
正面に控える氷瀑にむかってロープを伸ばす。この関門が北東壁上部の核心と予想していた。氷瀑の取付きでなんと残置ピトンを発見してしまった。全く嬉しくない。
岡田は氷瀑の右側から直上するようだが大丈夫か?白っぽくて氷質が悪そうだし、それに薄そうだ。案の定途中でピッチ交代となった。左側にトラバースし、80度以上で青光りする氷にロープを伸ばした。リーシュレスアックスに分厚いオーバーミトンでは苦労するかなと一瞬緊張したけれどなかなか素敵なアイスクライミングだった。(スケールは180m程)
この氷瀑を抜けたのたがPM2時過ぎ。北東壁全体が日陰に入るのと同時だった。その途端今まで静かだった壁が急にざわついてきた。スノーシャワーがバンバン流れだし、北壁側からは激しく落氷が飛んでくる。中には握り拳大のものもあった。下降する時はちゃんと時間帯を考えないと大変なことになるなと深刻に受け止めておいた。 次の氷瀑も快適なアイスクライミングではあったが予想よりスケール(160m)が大きかった。これを越えるとクロワールは大きく右に曲がり込む。屈曲点から2Pの時点で真っ暗となった。まあぁ、とにかく寒い。疲労と空腹だけではあるまい。
時刻はPM7時をまわった。そろそろ限界だ。ビバークした方がいい。夜間登攀を覚悟してはいたがこの寒さは危険だ。
「こんなところでビバークポイントなんか探せるのか」といぶかしがる岡田に「まかせろ!」と自信たっぷりにこたえて25m程右側のスノーリッジへ向かってトラバースしてみた。わずかに露出している岩にしっかりとカムが決まり、さらにスノーリッジをまたいで裏側の雪壁を崩してみるとガッチリしたクラックが出てきた。途中から無用の長物と思っていたカム類がこんなところで役に立つとは。今回はやることなすこと万事全てがうまい方向に転がる。
サラサラのシュガースノーを2人がかりで掘り進めてやっと腰掛けられる程度に広がった。クロワールのド真ん中で立ったままビバークすることを思えば天国と地獄だ。交代でありったけのものを着込み、明るい気分でささやかな食事の用意を始めた。無風快晴、満月。麓のターメ村の灯りが見える。エベレストとローツェのシルエットもはっきりとわかる。現在地の標高は6150m。高度計の誤差を考えると6200mを越えていてもおかしくはな
い。明日の午前中には頂上かなと楽観していた。
PM10時30分頃一通り炊事が終わった。少しくらい寝ようかなと背中を丸めるものの寒くてじっとしていられない。膝をガクガク振るわせながらも目を閉じてがんばってみた。
だめだ。もうがまんできん。足先がついにしびれてきた。
<Day4>
AM12時過ぎ、あまりの寒さにがまんできずコンロに火を点ける。スープをすすりながら、「じっとしてられないよ。もう出よう。」となった。
3時30分、登攀開始。岡田がクロワール本流へ戻るためにトラバースしている最中、突「待ったほうがいいかな。」と岡田が叫ぶ。「行くしかねーじゃん!」と応じた。待っでいる。地下鉄で回送列車が通りすぎるような勢いだ。主稜線のセラックが崩壊したに違いない。スコープで見えていたあの城砦のような奴だ。余韻のようなスノーシャワーが途切れなく続いている。
「待ったほうがいいかな。」と岡田が叫ぶ。「行くしかねーじゃん!」とじた。待ったからといって危険が減る訳じゃない。ここから逃げ帰る気はさらさらないだろう。ビレイ点にありったけ全てをデポして空身で頂上を目指す。いきなり私の番だ。余韻にしてはいやに長いスノーシャワーでヘッドランプの灯りが滲んでいる。緊張のダブルアックスのはじまりだ。
明るくなりクロワール全体が見えてきた。この先もひたすらアイスクライミングさせられそうだ。城砦のごとき巨大セラックが真上にそびえて立っている。今朝崩壊したのはアイツに違いない。セラック直下のビレイポイントまで全速力でフォローし一息入れる。やばかった。漏れるかと思った。岡田は頭上が恐くて気が気でないようでやたらに急かす。
あーぁ、ロープにくっついたじゃんか。
頂上はすぐそこだという予想はあっけなく崩された。頂上は未だ見えず、頂上稜線までも斜距離で500m以上はありそうに見える。このままでは日が暮れてしまうんじゃないか?テルモスもC3にデポしてきたことを激しく後悔した。ここからロープをシングルにしてコンテで進むことにした。
頑張ること40分あまり。まだ100mしか進んでいないが、完全に距離感が狂ってしまったのだろうか。頂上稜線までわずか25m程に見える。振り返って岡田にそう叫ぶがいつもの呆れ顔をしたままだ。まあぁ、いいや。すぐにわかる。果たしてそこが頂上稜線だった。
<頂上へ>
この上が間違いなく頂上だ。頂稜はサラサラのシュガースノー、反対側(南壁側)にまわってみても同様だった。岡田にこの上が頂上だと伝えてスタカットに切り替えてもらう。反対側へなら落ちても大丈だろう。潜り込むように雪壁を攀じる。たかだか10m弱だが足元が簡単に崩れ落ちるのでなかなか進まない。こんなサラサラでどうして70度もの斜度を維持しているのだろう。私自身は全ピッチ中で唯一落ちるかもしれないと恐怖したのはこの部分だった。無事稜上に這い出ることが出来て一安心、頂上から10m程手前のコルに腰を落ち着けてビレイに入る。雪壁から出てくる岡田はもう笑い顔だった。どっちが先に行くかで二言三言やり取りするが、隊長の岡田が折れてくれた。残りわずかとなった頂稜を這うように登っていく姿を静かに見守った。
11月15日午前10時45分登頂。ついにやった。満面の笑みを浮べながら何故かしきりに恐いと言っている。そこはどうやら立ち上がれないくらい不安定のようだ。もどってきた岡田とビレイを交代して早速頂上に向かう。頂上の淵から北壁側をのぞいてみて一気に酔いが覚めた。これはヤバイ。山頂全体が巨大な雪庇だ。記念写真を撮ると逃げるようにコルへ引き返した。
コルに戻ってやっと心から幸福感を味わった。彼には感謝してもしきれない。最高のパートナーだ。がっしりと抱き寄せてバシバシ肩を叩くと本気で痛がっていたけど。頂上直下にダイレクトに突き上げる私達のルートは、最悪の頂上稜線を最短で済ませられる最も合理的なラインであった。たっぷりと自分達を誉めまくり感極まったひと時だった。
<下降開始>
ここは風が強くて寒い。長居は無用だ。(コルでの滞在時間は10分位だった。)さて、現状の雪質ではスノーアンカーの類は全く使えない。クライムダウンも論外だ。そこで思いついた秘策が頂稜そのものをボラードとしたカウンターラッペルだ。ロープスケールも足りるだろうし、うまい具合に稜の側壁を回り込めれば最高だ。自身満々な私の態度に岡田もすっかり警戒心を解いてさっそく段取りを始めた。実際これはなかなか大変であった。互いのスピード調節が難しい。振り子で反対側へ出ようとがんばっても垂直の雪壁にもてあそばれるだけだった。左手でロープを操り、右手で掘りこんだトンネルに転がるように身体をねじ込む。何回目かでようやくうまくいった。助かった…..。クロワールまで降りていくとなんとも心配そうな顔の岡田が待っていた。彼の方も散々だったらしい。でもよかったねぇ、無事で。他に方法ないしねぇーとニコニコ笑う私に岡田はすっかりあきれ顔をしている。それが可笑しくてまた笑ってしまった。次からの下降は驚くほどスムーズだった。岡田のアバラコフセットの正確さと素早さは実に見事だ。唯一心配なのはスノーシャワーの時間帯にどこで捕まるかだ。氷瀑の近辺はボトルネックなので全く逃げ場がない。案の定、第一氷瀑の上で捕まってしまった。こう
なったら全速力だ。アイススクリューを惜しんでいる暇などない。氷塊が頭と肩に一発ずつ当った。(肩の方はアザが残る程の打撲だった。)
C2でデポ品を回収。ここからはクロワール本流から外れるので安心だ。ミックス帯の下降では岩が脆いので必ず2点以上からアンカーをつくった。新品のカム類がどんどん減っていく。2人ともまた文無しだなと苦笑いする余裕がまだあった。かなり疲れてきたが集中力はまだ途切れてはいない。C1に到着したが下降続行を決める。
<Day5>
AM12時30分、取り付き点まで戻ってきた。これでもう危険は無い。あらためて成功の固い握手を交わした。
AM2時、BCテンポロッジにて。「俺は止めておくよ。」と言う岡田を尻目に、サンミゲルのプルタブを開ける。プシュッという静かな響きが、今を生きている証だと思う。 2本目に手を伸ばす。さっきから物欲しそうな視線を送る相棒に半分手渡した。私達は眠ることも忘れ、ゆったりと語り合った。
*Rock and Snow誌、寄稿原稿より転載