旅に行きたい
絵本『100万回生きたねこ』で知られる佐野洋子さんは、すぐれたエッセイストでもあります。
その佐野さんのエッセイに、「五分の旅」という一篇があります。
(前略)とても旅どころではない、お金も閑もない時、私は飢えるようにこがれる心を持って旅に行きたいと思った。
いつかと思い返すと、子育ての最中だった。東京のどこで仕事をしていても私は四時になると保育園に子供を迎えに行かねばならなかった。(中略)
私の家は中央高速を少し走る。四時半ごろ、私は毎日中央高速をぶっとばしていた。ゴミゴミした都会が終ると急に空が広々と見えるところがある。日没で太陽がまぶしかったり、雲がオレンジ色に染まっていたりする。銀色にふちどられた雲とくすんだ青い空の向うに無限に私の知らない土地があるのだった。その時、毎日なのに、毎日私は思った。
ああ今私は旅に出ようとしているのだ。今から旅に出るところなのだ。
ほとんどあと五分で私は高速を下りるのだが、その五分、私は旅をしていた。毎日、五分。(後略) (佐野洋子『ふつうがえらい』「五分の旅」)
このエッセイ、ものすごく共感を覚えます。
子どもたちが小さかったとき、まさに「飢えるようにこがれる心を持って」、ここではないどこかに行きたい、行ってしまいたい、といつも思っていました。
一日二十四時間が飛ぶように過ぎていく毎日。時間だけを気にして、自分にも子どもにも「早く早く!」と圧をかけていました。朝、ばたばたばたと子どもを預けた後、保育園の玄関で自分の脱いだ靴を見たら、右と左で違う靴をはいて家を出てきていたことに気づく、なんてことも。子どもたちが大きくなった現在、思い返すと笑い話だけれど、その当時は必死でした。
今は当時が嘘のように時間に余裕ができました。しかし「飢えるようにこがれる心」は、深く棲みついていて容易には出てはいかないもので、たまに一人旅を決行しては、前に進むパワーを得ています。
ところがコロナ禍で自由に旅ができなくなってしまいました。なんと恨めしいこと。
佐野さんが高速をぶっとばして旅を夢見ていたように、旅にかんする雑誌や文章を読んではイメージをたくましくする今日この頃。
そういえば、中学生のとき、日本地図を片手に「浅見光彦シリーズ」を読んでいたっけ。あのときも確かに旅をしていた、と思い起こします。