令和時代の結(ゆい)
“まのいいりょうし”を屋号に掲げる私たちは 常々”まのいい暮らし”について考えている。
私が「結(ゆい)」という言葉を知ったのは、TVドラマ”北の国から”のワンシーンだった。
結とは、農村や集落に古くからある助け合いの輪で、例えば 家を建てたり、田植えや稲刈りといった作業を、お互い様で働きを協力し共有し合うこと。ドラマの中で五郎さんは「手間返し」と言っており、「漁村では『もやい』と言い、内地では『結』と呼ぶ。まだここらには残っとるんですなあ。」というトドのしみじみしたセリフ。
あぁ、いいなあ。
このドラマを観たのは2002年の放送リアルタイムだったので、もう20年以上前になる。当時ハタチそこらで、結の意味も明確には理解していない若き私の頭にもこの言葉は刻まれ、ずっと残っていた。それだけでも このドラマは凄いと思う。
私たちの住む村は、7世帯14人(3名は90歳over!)その14人の内、我が家が5人をしめているような限界集落である。
自然に密に囲まれた環境でヒトが暮らしていくには、絶えず手を動かしていないと住む場所はキープ出来ず、あれよあれよと自然に包み込まれてしまう。
大きな自然の前でヒトひとりの出来ることはとても小さく、大きなことをするのはなかなか難しい。
重機を使うのも一つの策ではあるが、自然さまの隙間にお邪魔している身分で、重機を使用するのはなんとなく傲慢で、破壊的な感じがして心地よくない。
手作業がベストなのだ。
そんなとき「結」という動き方がもっともシックリくる。
が。
高度経済成長という時代を経て、群れから個を好む道を歩む現在。
こんな山村ですら隣近所の付き合いは薄く、村の集いや行事は消えていくばかり。
共同で使う道などの雪掻きや草刈りは奉仕作業的に動ける人でやっているが、個人の家回りの事を協力し合う雰囲気は無く、「自分の事は、自分で、ね。」という暗黙の空気感に満ちている。
私は専ら、"遠くの親戚より近くの他人派"なので、割と隣近所に醤油借りたり さわやかに出来る口だ。
理想はいつも誰かが誰かの家に行き来して、ワイワイと夕飯を囲んでいるような村付き合いをイメージしている。
でも現実は、村の どのお宅の玄関以上にお邪魔した事はないし、お誘いしても どなたも中には上がらない、シャイな関係である。
それでも誰かに来て欲しい我が家は、夕飯と薪風呂にしょっちゅう友人知人をお招きしている。
とりわけ独身者には、盛んに声をかける。
目指しているのは まのいいメゾン。
「急にふらりと寄って夕飯食べて風呂に入ってってね!」
と言っていて、割とみんな喜んで来てくれる。第二の実家みたいで在りたい。
その中でも常連メンバーが4名いる。いずれも独身女子で
通称 まのいいガールズ。
実家暮らしの子もいるが、単身移住でこの町に一軒家を借りて暮らす彼女たちは、少なくとも飯や風呂以外に、我が家の何かしらに深く共感してくれている、とても貴重なクルーである。我が家が留守をするとき、犬の散歩を頼めるのは彼女たちだ。
今年から、ガールズたちと試みていることがある。
月に一度、メンバー1人の家に集まり、家主希望の作業をするのだ。
作業はなんでもいい。得意の庭仕事をはじめ、畑、倉庫の片付け、大掃除etc. 毎月順番に持ち回り、弁当持参のご奉仕作業。
通称 まのいい日。
たとえ結構な重労働なり、専門的作業であれ、お金のやり取りはゼロ!
この取り組みを始めて、今月でメンバー6人の持ち回りが一周する。
今の正直な感想は、
最高に心地よい。
お金の絡まないお互い様作業ってば、
びっくりするほど気持ちいい。
お互いの家は、1時間掛かるメンバーもいる感じで、近所というには少し遠い距離の住まいだが、心の距離がとても近い。
価値観を共にできていないと、まのいい日は絶対成り立たない。
これはまさに、この時代にあった”結”の形だろうと確信している。
こんな思いを共感し合えるメンバーがいるなんて、本当に幸せだと感じる。
いつもありがとう! まのいいガールズ!!
そんで、まだ見ぬまのいいメンズの登場も 待ち遠しいなあ。