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大雪警報が出た日

「前方、雪にはまって身動きが取れない車がおります。少々お待ちください」

 耳慣れないアナウンスが聞こえてきたのは、路面電車に乗って四駅ほど通過したところだった。

 今日は朝からすごい雪だった。警報が出るほどの大雪で公共交通機関は軒並み運休、遅れ、間引き運転。交通網は乱れ放題で、唯一平常だったのは、多分地下鉄だけだったはず。かくいう自分も、今朝は始業時刻に5分遅れた。上司は自分よりも早く来ていたので、あまり目を合わさないように出勤簿のハンコを押した。

 昼には警報が解除されたものの、職場を出た18時少し前でも、大雪注意報が継続するくらいの降雪は続いていた。予報によれば明日には暖かい日差しが降り注ぐらしいけれど、頭上を覆う雲にそんな様子はなくって、寒い中、だいぶ電車を待つ羽目になった。

 ようやくやってきた電車にはそこそこ人が乗っていたものの、運よく座席を確保できた。腰を落ち着けて、十駅ほど離れた繁華街で地下鉄に乗り換えて帰宅する。そのつもりでスマホをいじっていた。

 アナウンスが聞こえてきたのは、そんな時だった。

「軌道敷の近くで車が雪に嵌っていますので、もう少々お待ちください」

 停車中に乗車してきた乗客に向けて、運転手が再度アナウンスする。
 車内はざわついていた。椅子から少し身を乗り出してフロントガラス越しに前を見てみれば、50メートルほど先で7人乗りくらいの乗用車が必死にもがいているところだった。タイヤが空転して、前にも後ろにも行けずに立ち往生している。

「ありゃダメだ」

 裏返った亀みたいな車を見て、誰かが呟いた。それに呼応するように何人か電車を下りていく。こんな雪の中を、と思ったけれど、ここから10分ちょっと歩けば、地下鉄駅がある。そちらに乗り換えるのだろう。隣で音漏れするほど大きな音で一昔前のJPOPを聞いていたおじさんも、立ち往生する車を見て無言で電車を降りていく。

 10分弱経っても車は動かなかった。乗客は皆、いつ抜け出せるのか。ひいてはいつ電車が動くようになるのかと固唾を飲んで車を見守っている。その数多の視線の先で、車のテールランプは何度も点滅する。誰がどう見たって、悪戦苦闘していた。

「降ります」

 見てても仕方ないな、と思った。これだけ時間が経っても抜け出せないのだから、きっと見てるだけじゃずっと待つ羽目になる。それなら車を押すのを手伝うくらいのことはしてもいいかなと安易に考えた。
 運賃200円を払って降り、ほぼ横殴りの雪を浴びて最近後退しつつある額の生え際を晒しながら車へと向かう。車の近くには、既に一組の若い男女がいて、運転手らしき男性となにか話していた。

「手伝いましょうか」

 そう声をかけると、女性は「ありがとうございます、助かります」と非常に申し訳なさそうに困り眉を作った。見かねて助けに来た通行人かと思いきや、嵌ってしまった側の人らしい。お兄さんの方はというと、「じゃあ、一緒に押してもらえますか」と、こちらは助けに来た側っぽい。

 お兄さんと一緒に車を押す。それと同時に運転手の男性もアクセルを吹かす。その間、女性は後続の車と接触しないか見張る。

 何度か繰り返すうちに、上手いことタイヤと雪がかみ合ったらしく、見事に車は脱出した。「やった!」という声が聞こえて運転席から飛び出してきたのは、電車で隣に座っていた爆音JPOPおじさんだった。どうやらこの車の本来の運転手は女性で、おじさんは運転を代わってあげていたらしい。呆気にとられていると、おじさんは足元の雪をかき分けながら、少年みたいな笑顔でこちらに拳を突き出してきた。反射的に自分も拳を突き出して、おじさん同士のグータッチ。お兄さんにもそのままの勢いでグータッチ。何度も頭を下げる女性に軽く会釈すると、おじさんは今にも走り出そうとする路面電車へと急いで駆けていった。

 運転手の女性は、しきりに頭を下げながら「ありがとうございましたー」と終始困り眉のまま走り去っていった。お兄さんは、寒さで赤くなった鼻を掻いて「お疲れ様です」と柔和な笑みとともに去っていく。

 なんかいいな、と思った。

 いの一番に電車を降りて車を助けに行ったおじさん。
 寒い中何度も車を押して力を尽くしたお兄さん。
 道路の真ん中で立ち往生して申し訳なさそうにしていたお姉さん。

 みんながみんな、たぶんお互いに名前すら知らないけれど、困っていたら力を貸し、助けられたらお礼を言える。そういう混じり気なしの善意のやり取りというか、助け合いみたいなものを間近で感じて、なんでかよくわからないけど泣きたくなるくらい嬉しかった。

 きっと、今日みたいな日はあちこちで似たようなことが起きて、似たように見知らぬ人同士で助け合っている。そして、お互いに素性も知らないまま、今日の出来事を記憶の中で風化させていく。そう考えると、うまく言えないんだけど、人助けも悪くないなって思える。

 ひとつだけ後悔していることがあるとすれば、おじさんみたいにすぐに動き出せなかった自分の情けなさだ。外、雪降ってるしな、とか、降りてすぐに雪から抜け出せたら無駄足じゃん、とか考えて車内で五分ほどうじうじしていた自分が恥ずかしい。その点、先にいたお兄さんやおじさんはすごく立派で、余韻すら残さない去り方は実にクールだった。

 自分もおじさんやお兄さんみたいな人になろう。そして、助けられたらお姉さんみたいに素直にお礼を言える人になろう。

 そう決意した日だった。

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