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ヒューマンデザインのプロジェクターであると知って

今年の大きな出来事としては、ヒューマンデザインに出会って、自分がプロジェクター(6/2)だと知ったことだ。

(ヒューマンデザインについてはここでは解説しませんが、占星術などのように生まれ持った自分の性質分析するシステムのひとつです)


鑑定を受けたわけではないけれど、自分でデザインを出し、ちょこちょこと調べたり色々なブログを読んでいるだけでも大いに収穫があった。
占星術でも自分について客観的に知ることができるけれど、ヒューマンデザインによってまた違った角度や側面の発見があったのだ。

私は32歳くらいまで、ピアノ演奏を中心とした生活を送り、演奏家として生きていく道を模索していた。
私個人での音楽表現、誰かから依頼されての伴奏などの、ある意味サポートの要素のある仕事をメインに、忙しく過ごした。

音楽大学では、学生たちが試験や演奏会のときに依頼を受ける伴奏の仕事につき、また、プロオーケストラのオーディションの際、伴奏者を連れてくることができない方へ向けた公式な伴奏員の仕事などもさせていただいていた。


ヒューマンデザインのプロジェクターの解説にはこういったものがある。
「プロジェクターは招待を待つことが大切だ」と。

招待とは依頼であり、お誘いである。


この感覚はずっとあった。
誰かから仕事を依頼されないと、自分の価値が見出せなくて、いつも受け身の姿勢だった。


なんと、それでよかったのである。
むしろ、それがよかったのである。


なのに私は、(色々ときっかけはあるけれど)そんな自分をどこか否定して生きてきた。
そんなんじゃ音楽家じゃない、と思っていた。

音楽をやっていると、言葉では説明できない感覚的ななにかに多く出会う。
音楽そのものが多くを教えてくれるのだ。

だから、私は、他のみんなのように、自分からエネルギーが湧いてくるような感覚がないことを知っていた。
音楽はエネルギー。
自分から湧き上がるようなそのエネルギーを人に伝えて、人の心を動かしたい。そんな音楽をしたいと願ってきた。

私はジェネレイターやマニフェスターの音楽家の友人たちに憧れていたのだ。


自分からどうやったらエネルギーを創出できるのか。どうやったら音楽を生きることができるのか、そんなようなことを散々試行錯誤してきた。

でも自分はエネルギーが湧きあがるどころか、いつもいつも枯渇している感覚があった。

そうこうしているうちに、とうとうエネルギー切れを起こして、人前で演奏するすべての仕事から退いている現在がある。

プロジェクターなので仙骨が定義されていないうえに、4つすべてのエンジンモーターが私は未定義なのだ。(よく頑張って生きてたな〜笑)



その決断はもちろん、一朝一夕にできたことではなかったけれど、数年経った今、そしてヒューマンデザインを知ったことで、そうするしかできなかったんだなと大きく頷いている。

自分がプロジェクターであると知ることができたのだから、あとは今後の人生でこの特徴をどう活かすかだ。

まだまだ試行錯誤、模索の日々だけれど
自分はプロジェクターだということを知れた一点だけでも、自分がジェネレイターやマニフェスターのふりをしなくて良いんだと心底理解できた。

私の未来への道は、絞られ光を強くしている。

沙紬

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