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癒しのはじまり

” 人は鏡 ”

というけど。
本当にそうだな、と思う。

今の自分を映しだしてくれたり
過去の自分を映しだしてくれたり

はたまた、
未来の自分を映しだしてくれる


それが近しい人であればあるほど
強く感じる


今、
わたしのまわりには

自由な人が多い
面白い人が多い
見守ってくれる人が多い



すっごく病んでいた
15年ほど前は

いつも怒っていたり
威張っていたり
人の目を気にしたり


そんな人がとても多かった
それが当たり前すぎて

嫌だな・・・・・・


と思ってはいたけど、
こうなりたくないな
と思っていたけど、

知らない間に
自分もそうなっていた。


いつも怒っていた。


自分の周りには
怒りボタンしかない!

ってくらいちょっとしたことに怒る
それは今でも時々あるけど(笑)



どうして怒るのか


それを知ることで
気づくことで
そんな自分を認めることで


少しずつだけど
そのからくりがわかって


腑に落ちた


わたしは、
自分に怒っていた


自分のふがいなさに、
できないことに
怒ってて。


周囲に怒ることで
自分なりに発散していた。


でも、
根本が癒されていないから
同じことを繰り返す。

いったんはスッキリするけど
でも、また怒っちゃう。


それがダメではないけど、
疲れる・・・・・・


そこから、

気づき
自分を癒し
行動が変わり
日常も変化した


そして、
今の自分がある。


最初のきっかけをくれたのが、

話すこと

今のわたしがあるのは、
これがあったから

といっても過言ではなくて。


確かに、
話すことで現実が変わるわけではない。

一つのとっかかりに過ぎない。


でもね、
人って自分のことをどれだけ
自分で分かってるのかな?

と思う。


わかったつもり
知ってるつもり


になっている。


現状に飲み込まれて
今みているものが
真実だと思っているから
すべてだと思っているから

そして、いつの間にか


妄想族


になっていた過去のわたし。


看護師でもあったわたしは、
患者さんの話はよく聴いた

だけど、気づいたら
自分の話はそんなにしたことがなくって


あの上司ってさー
あそこのお店おいしいよね
あー、旅行行きたい

とか
ひごろ感じていることは
よく人に話した


それも自分の話なのだが、

自分がどのような地域に生まれ
どんな家族のもとで育ち
何を思い
何を感じて
生きてきたか


なんて
患者さんにはよく聴いたのに
自分のことは人に話したことがなかった


わたしが受けた
人生初のセッション




ひたすら自分のことを話す



というものだった。
*結果的に


それは、生い立ちから始まり、
現在まで続く

ただ、話を聴いてもらう
自分のことを知ってもらう


しかも、そのお相手は、
セッションの前日にお話会で初めて逢った
お話会の主催者の方


ほとんど見ず知らずの人に
自分のことを話した



ただ話をしているだけなのに
ただ今までのことを話しているだけなのに

涙が
知らず知らずのうちに
流れ

止まらなかった



自分は幸せだ
好きなことをさせてもらっている
〇〇さんより自由だ

自分では
ポジティブなことを言っているつもりなのに、
どうして涙が出てくるのか
悲しくなるのかよくわからなかった

2時間ちかく、
ひたすら自分の人生を話した。


そして、
最後に出てきた

わたしの魂の叫び
ともいえる言葉



自分の人生を生きたい



だった。

自分でも驚いた。

自分で選択し、
他の人と比べてだが、
自分の人生を生きてきた


つもり・・・・・・

そんなわたしが
最後に放った言葉

自分の人生を
自分で選択してきたつもりなのに、
実はそうではなかった!

なんて!(笑)


この経験が
わたしの今の人生を変えてくれた

自分の人生を変えるきっかけになった


ありがたいことに、
今、わたしの周りにいる人は

癒されている
癒され始めている

人がとても多い。


でも、この地球上のどこかで

わたしの話を聴いて欲しい
自分のことを知ってほしい


そう思っている人が
1人でもいるなら、

その役をかってでたい


看護師という経験を活かし
そして、セッションの経験を活かし


自分ができることを
やりたい。


自分の癒しのはじまりが
誰かの役に立つなら・・・・・・

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