国の牽引者は、市井の人とは違うのに…
先週、ある講義を受講した。
その中で、非常に驚き、かつ納得し、目から鱗が落ちた話がある。
霞が関の官僚は、「日本国の為に」と身をなげうつ意志をもっているから入省(入庁)した、というわけではない。
「ゴールドマン・サックスにしようかなあ」「それともメガバンクにしようかなあ」「国家公務員がいいかなあ」………と、就職先の候補のひとつとして検討し、応募し、その結果として霞が関にいる、という指摘だ。
だから彼らは、『就職先』の方針に忠実に従う。例えば財務省であれば増税の方針に忠実に業務を遂行する。
そして、彼らの親は我が子が就職先の方針に忠実に従うことを喜び、褒める。
(組織の奴隷であることを、褒めているということである。)
という内容だった。
そういえば………そのとおりだ。
就職を控えた大学生・大学院生の立場なら、たしかにそうなるだろう。
安定した就職先、これまで学び研究してきたことを活かせる仕事、給与や待遇、福利厚生………。
人生を考え、就職先を吟味し、値踏みする。
国が就職先だ。国が安泰なら、将来の安泰は保証される。
精一杯勤め上げ、最善を尽くそう。
これまで頑張ってきて、良かった!
………。
そう思って、自分の将来に明るい希望を抱くだろう。
よくやった!立派なもんだ!親方日の丸だ。
一生懸命勤め上げて、出世するんだぞ。
………。
我が子を大事に育ててきた親は、そういうだろう。
ただ、
国は、
単なる就職先と同一視すべきところではないのだが。
日本国の為に身をなげうつ覚悟があってこそ、だと思うのだが。
これまで、霞が関の役人には日本国の為に身をなげうつ覚悟があると思いこんでいた。普通の就職先とは別物だと思いこんでいた。
もし、自分の子どもが上級国家公務員試験に合格したら、親として私だとて「よくやった!これから一生懸命勤め上げて出世しなさい」と言ってしまうだろうに。
講義では、
「頭がいい筈の官僚が………?!」「あの人達、ばかではないはずなのに?!」と思ってしまうから、「さてはDS…?!」という考え方に至ってしまうのだ、
と、続いた。
ものすごく納得できてしまって、ショックだった。
そうか。
頭は良くても、
普通の人なんだ。
頭は、一般人よりもキレるけれども、人格的には普通の、市井の人々と同じなんだ。
ということは………!
自分の周りにいる、自分と親しい人々の気持ちはわかるけれども、自分の周りにいない人々の生活については思いが至らないはず。
親しい人、つながりがある人に対しては、ものすごくいい人でいることかできる。思いやり深く接することができる。
でも、存在していても自分の人生と直接関わりを持たない人々は、いないのと同じに感じられるだろう。都合よく動かしたい駒かも知れない。
例えばK田サンにしても、ほんとうに善い人だとの評判か高いときく。
親しい人・関わって得になる相手に対して良い人であることは、そう難しくなく、ときには楽しいことですらあるだろう。
しかし………。