アニミズムが支配する社会
人間とは、そんなに簡単に変われるものではなさそうだ。昔とは桁違いに技術が進歩しても、人間の考え方や感じ方までがそれに見合った変化を遂げるわけではない。多くの人間は、どこかで思考をストップさせ、「ここから先は『良し』とする」と決めているように思える。「それはね、脳を守る為なんですよ」と、優しい医師が説明してくれたのは10年くらい前のこと。ストップすることができなくて何時間でもひとつのことをいろんな方向から考え続けることがやめられず、1時間ほども確認作業を繰り返すのもやめられず、日常生活に支障をきたしていた頃のこと。たしかに。どこかで区切りをつけなければ『こう』なってしまうだろうな。でも、それもものによりけりだ。自分の頭で考えるのが必要なことは、あるだろう。
例えばマスクの意義はTPOにより臨機応変に変わるのではないかと思うのだが。何がなんでも装着に固執しては却って不健康や不潔を招くこともある。乳幼児に装着させることやプールでの装着は命の危険につながる。だからといって何がなんでも否定するのもまた違うだろう。要は使い方だと思う…のだが。ヒステリックになった社会はどんどんエスカレートする。もう、マスクという便利な道具ではなく、魔除けの護符のような扱いのこともある。いっそのこと、『怨敵退散』と筆文字で大書したらもっとご利益が(プラセボ効果?)期待できるやもしれぬ。
それでも成人の場合には、マスク程度ならお付き合いして相手を刺激しないことも必要なときがある。例えば店の持ち主が『お願い』をしているならそこで買い物させてもらう側も店主の気持ちに配慮し、互いに気持ちよく過ごせるように余計な軋轢を避けるのが得策だろう。そんなふうに秤にかけてバランスをとって。問題は、お付き合いでは済まないことのとき。侵襲的な医療行為についてだ。少なくとも治験中で長期的な影響についてはわかっていないことと、開発製造販売元の会社が何があろうと責任を負わないと明言しているシロモノであること、因果関係不明と呼ばれる多くの健康被害や死亡者の存在が事実である時点で相当警戒されても文句は言えなかろう。しかしながら、ちらりとでも警戒心や慎重に考えたい意向が垣間見えると当該侵襲的医療行為を受けた(受けると決心した)人の気持ちに配慮せよと猛烈にヒステリックにアイロニカルに襲いかかる抗議。心ならずも受けざるをえず、その後健康被害や死亡にみまわれた人たちはさしずめ雨乞いや疫病鎮めの為の人柱に例えようか?
これはもう、アニミズムではないのか?アニミズムに支配された人たちや、その状況に同調する人たちが同じ勢いで同調しない人たちをひとくくりにして陰謀論者と決めつける社会。