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おためごかしをぶち上げるとき、そこにはかならず魂胆があると考える今、自分自身の原点に立ち戻る。

『年収の壁』という言葉を、政治家もマスコミも軽々しく使うな。
他人事みたいに言うな(他人事だから言うんだということは、バレバレ)。


おためごかしに、ニヤニヤしながら近寄ってくるのはいつものこと。
「『年収の壁』があるせいで、もっと働きたい人が働けないのは社会の損失だ。なんともったいない!悪いのは年収の壁だ!!」などと、もっともらしい顔付きで述べたてるのだからタチが悪い。
そんな論調にうかうかと載せられたら、待っているのは結局、今以上の負担増となるのかもしれない。

人を呪わば穴二つ
というわけではないが、
なんらかのスケープゴートを仕立て上げて、「ワタシハ損ヲシテイル」感を刺激するときには、それに同調するには慎重であったほうがいいと私は感じている。
マスコミが言い出すとき、社会の気運を盛り上げて制度を変えようとそそのかすとき、注意信号だと感じる。
なにかの立場をとりわけ攻撃するような論調のときには、ターゲットはそれ以外:「ワタシハ関係ナイモン!」と、安全地帯にいるつもりの大勢にも及んでいることが多いような気がして仕方がない。

2005年の衆議院解散総選挙は、郵政解散総選挙とも呼ばれたけれども、目的が郵政民営化『だけ』などということはない。ただ、あのときの総選挙を境目として、社会は硬直化したのを感じる。
国会議員は党議拘束に敏感になり、国民の生活ではなく党の意向を優先するようになった。
あの選挙の直後、郵政民営化とは全く違う政策についての街頭インタビューをテレビで放送していた。口々に、「だって、あの選挙は郵政民営化のためでしょう!?なのにこんなことを決めるなんてひどい!!」と答えている人が映し出された。ほんとうに街頭インタビューだったのか、雇われだったのかどうかまでは知らないけど。
郵政民営化を問うだけで解散総選挙までするわけないじゃん。真に受けてたの?
と、街頭インタビューに雇われが紛れ込んでいるなどとまでは思いもかけず、心底あきれたのを覚えている。

今回も、
悪いのは専業主婦
だとか、
年収を103万、106万、130万未満に抑えようと必死になるパートタイマー
だとか、
そんなふうに割り切ったら足もとをすくわれる ような気がしている。
専業主婦やパートタイマー主婦のことを「働いていない」とか「怠けている」とか言う人には、 外で収入を伴う仕事をするだけが働くことではないと強く言いたい。

あやしい薬液を肯定して接種を受けた人全員を否定する という考えも、
要注意だと思う。

仕掛けてくる側は分断したくてたまらないから、
人間は ウチ に甘く ヨソ に辛辣になりやすい習性があると知っているから、
人間には簡単に「ソイツは善玉か悪玉か!?」と、答えを与えてもらって安心して割り切りたい依存心があると見切っているから、

多分それは、思うツボ。

自分と自分が大切にしている人だけを安全地帯に置いて、あとは知らん と割り切りすぎるのは結局、自分と自分が大切にしている人をも危険にさらす場合もあり得る。

断言する行為は危ない。
人間社会に『絶対』は、ない。
自分に良くしてくれる人は『いい人』という単純思考に陥りやすいけど、それには要注意。よくあるんだよね、時流に乗ってもてはやされている人どうしで「あの人は素晴らしい人だ」と言い合っているから、へえ…例えばどんな?と思ったら、その理由が「だって私に良くしてくれたし私にとても気を遣ってくれたから」だったりして ああそうですか 良かったですねえ でもそれ、あなたが著名人だからじゃないですよねえ と相手にする気も起きないようなことだったり。かなりの苦労人でもそうなんだから。

世の中、簡単じゃないなあ…とつくづく思う。
簡単に安心させてくれない人の世をどう生きるかと考えるとき、

私が大学に入るときに選んだのが実学ではなくて(今は虚業・暇つぶしと見られがちな)文学部だったことをこれまで卑下しがちだったけど、卑下する必要はないのかもしれないな…と思い当たる。
人の世を生きるうえでの私の原点として、文学を読もう・文章を書いていこうと考えている。

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