見出し画像

年末年始が嫌いだ

ずっと、年末年始が嫌いだった。
特に大晦日が嫌いだった。

掃除とは、大晦日にだけ床を削るような勢いで掃除機を何往復もかけ続けることではない。もっとずっと、日常的で地道なものだ。拭いても拭いても磨いても磨いても、水垢やバイオフィルムは発生し、掃除機をかけても直後には埃や髪の毛が落ちている。年末の大掃除は、普段手が回らず行き届かないところに念を入れる。

夫は、年末の(特に大晦日の)大掃除を命を賭けるが如くに必死に行った。
やり方には、彼の流儀があるらしい。
順序は、揺るがせにできないらしい。
彼のお宝部屋の動かせるものを全て、子ども(もう大人だが)の部屋に入れ、気が済むまで何往復も掃除機をかける。ゴシゴシと、床に鉋をかけて削っているかのように。そこで新たに埃を削り出しているのだが。
まじないのように、
「汚くしやがって!」「掃除をしていない!」「ここも汚い!」と、罵りながら。
こちらは、いつ食ってかかられるかと生きた心地もしないまま、無言で台所やリビングや、サッシの桟などの掃除をする。

たまに、足音も荒々しくやってきて、問い詰める。
「これはなんだ!」
と。

私や子どもの持ち物は、要不要をみては適宜処分するので、ひと所に集めて置いてあった。
ある年末のこと。
「これはなんじゃ!?」
ああそれは、長男が高専1年生の頃に使っていた小型CDプレーヤー。スピーカーが変わったところについててコンパクトだったけど、こわれちゃって。電化製品だから通常のゴミとして捨てられないからまとめて市に申し込むのよね、集めてあったの。
「それで!?それでこのプレーヤーを長男が置きに持ってきたんじゃな?いつ置きに帰ってきたんじゃ?」


ダンボールを掘り返して、底のほうのを掘り出したな。で、見慣れないものが出てきたから、おびえてくってかかっているんだな…。
あのプレーヤーは、わりと早く壊れたから、もう10年くらい前に「処分して」と持ち帰ってきた。ある程度粗大ゴミ・家電ゴミがたまってからまとめて申し込んでいた。
自分で環境センターに持っていく人もいるけど、うちには長く車がなかったから、市に収集をたのんでいた。たまたま、次に溜まったら捨てる順番だったのだろう。
夫のポリシーは、自転車・徒歩・公共交通。なかでも自転車。何時間かかろうと自転車。多少の雨なら自転車。荷物が多くても、振り分け荷物で運ぶ。夫は現在33年ペーパードライバーだ。
私は極度の怖がりで、運動音痴だったために、限界集落出身なのに免許を取りそびれた。仕事の必要にせまられてAT限定を取ったのは50歳のとき。下の子が取ったあとのことだ。

子どもたちには、高校(高専)3年生の年度末が近づいたら普通自動車免許をマニュアルで取らせた(姑から、「まあ!お金がかかるでしょう!いくらかかるの?たいへんねえ。ウチのコたちの頃には…」とまくしたてられて委縮する私…)。その頃、夫の父が亡くなり、形見の軽自動車を譲ってもらった。しかし、車を持つ生活になっても、なかなか、車という運搬手段を思いつかないのだった。

小中学生の頃、長男も次男も、
「あいつんとこは、おカネがないから車が買えないんだ」
と、子どもの憶測でいわれていたことは、ふたりとも車をもらって初めて口にした。不憫なおもいをさせてしまった。


話がそれた。
夫は、そのとき初めて目の前に発見した(実はずっと前からその部屋に置いてあった)プレーヤーを、いつ長男がやってきて忍び込んで置いて行ったのかと、しつこく私を問い詰めるのだった。たしか、2021の年末だったと思う。

いつ怒り出すか、何がきっかけで形相を変えて問い詰めるか、予測のしようがない。
気に入らなければ、塩ビシートが剥がれて欠片が舞うほど力任せに床をこする。
汚くしやがって!なんにもしていない!とうなりながら。


2023年の大晦日、昼を過ぎてもその調子で洗面所を独占してののしりながらはなれないので、ゴミを捨ててきた私と次男は手が洗えない。
急に、次男が横から夫に体当たりした。

「邪魔!!どけよ!」
「なんだと!?」
「オレだって母さんだって日頃から掃除してるよ!」
取っ組み合いでもつれあいながら2人が叫ぶ。粉せっけんや重曹が舞い散る。次男が逃げ込んだ部屋のドアを夫が殴りつける。


夫は、右橈骨遠位端骨折。
大晦日の整骨院で応急処置を受け、救急外来で手当てを受けた。自分でドアを殴っているから、第三者行為の用紙はいらずに保険診療を受ける夫。

次男は胸腹部を殴られて、医療関係者なので 肋骨の骨挫傷とあたりをつけつつ、殴られたからには第三者行為証明書が必要だから受診せず、動物のようにうずくまって治した。


年末年始が、嫌いだ。

いいなと思ったら応援しよう!

マンネンロウ
もしもチップをいただけましたら、文章修行の為の書籍購入に使わせていただきます🍀。