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やっちまった…。他者は自分ではない

単身赴任解消で戻ってきた夫の普段着を洗った。
夫は1980年代のままの服装を墨守していて、綿シャツ(或いはネルシャツ)の上にラグラン袖のトレーナーの組み合わせしか着ない。それも気に入ったものは、伸びきっても生地が薄くなっても破れほつれても着る。着続ける。
新品はしまい込んだまま、おろさないので、みすぼらしく見えるが本人は気にしない。金遣いは荒いのだが、服装だけ見た人は、虐げられ搾取されているという印象を受けるだろう。
それが珍しく、
「その綿シャツは捨ててもいいんだが…。破れているから。どうしようか。でも、できれば取って置きたいんだが…」
と言った。
「破れたときの思い出があって…。いや、別にどうでもいいんだが…」。

見ると、10cmくらいのかぎ裂きが、前身頃にあった。
かぎ裂きは、そのままにしておくとどんどん破れが広がる。できれば取って置きたいというなら、そして、破れたときのエピソードが思い出だというなら、捨てるか捨てないか迷っているというなら、リメイクしてずっと手元に置いて使えるものにすればいいのではないか?
破れ目は裏側になるようにし、表側からは破れとわからないように継ぎを当て、周りにミシンをかけて破れが広がらないようにしつつ、裏側からは破れ目が確認できるようにし、マイバッグにリメイクした。前身頃の左右を、真ん中にミシンをかけてつなげ、マチを5cmとり、捨てる生地をなるべく少なくすむようにして、だいたいA4サイズが入る大きさのマイバッグができた。
諒解を得ずにリメイクしたけど、おびただしい量の荷物が運び込まれ、服もすごい量で、洗って乾いてもしまう場所がない。タンスの中もぎちぎち。むりやり入れたらタンスが崩壊しそうな気がする。
捨ててもいいんだがと本人が言っていたし…。
怒るかもしれないし、気にいるかもしれない。
ふたつにひとつ。
多分、真ん中はない。


取捨選択ができず、優先順位がつけられない結果として、とんでもない量のモノを溜め込む夫。
モノに圧迫された暮らしがいやで、仕方なく私や子どもが自分の持ち物を処分すると、「ここに収納場所があった」と喜んで更にモノを増やして迷惑をかける。
私は、モノに圧迫された暮らしに辟易して
「もうこれからの人生で、『源氏物語』で論文を書くことはないだろうから」
と、大学の卒論のテーマだった『源氏物語』(日本古典全書)も処分した。決して、好きでしたことではない(ろくな卒論ではなかったからと思いきった。私は今後、国文学者にはなれないのはわかっている)。

気分転換にと出かけていた夫が帰ってきたので、リメイクした綿シャツマイバッグを見せて説明した。

結果は、
『取り返しがつかないこと』
であった。

「もういい。服の形をしていないのだったら、意味がない。
あ〜あ…………………。
使いたいなら使えばいい。
オレは、使わない」。


あちゃ…。
やっちまったか。
多分これは、夫としてはかなり我慢して抑えた言い方だな。
もとに戻せない以上仕方がない。
私がどう考えてそうしたかを話したところで全く無意味だ。自己満足でしかない。自己満足で、他者の持ち物を毀損したことに対して、詫びなければ。

「すみませんでした。申し訳ないことをしました」。


数時間後、夫が、
「ごめんね」
と言いに来た。
「ごめん。でも、自分にとっては、服でないと意味がないんだ」
と。

私は、もう一度、
「こちらこそよく事情を聞かないで、勝手なことをしてごめんなさい」
と言った。

なんでも、その綿シャツが破れたのは、中学生が自転車で突っ込んで来たからだという。
その中学生に、説教だか言い聞かせだか、したそうだ。
それが、
捨ててもいいんだができれば取って置きたい
という理由のエピソードなのだという。

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