目を見開き耳をすませて
上のリンクは6月5日に発生した人事労務ソフトの、サイバー攻撃によるシステム障害の現在の状況を報じたもの。
今、禍中にあるソフトはクラウド型だが、クラウドシステムやデータの保守は細心の注意を払い、充分なお金をかけて行っていたはずだ。このたびクラウド型がこうなったからといって、ユーザーのPCにインストールするオンプレミス型が安全かといえば、ユーザーのPCが攻撃されてしまえばその事業所の管理しているデータはひとたまりもない。むしろ、今回サイバー攻撃を受けた会社は、業界シェア1位であり優れた技術と資金を投入して事業を行っていたからこそ、この状況にあって、解決には及ばないまでも一部の機能についてではあるものの代替ソフトを提供するなどの対策を講じている。
しかし………。
エムケイシステム以外にも、同時期にエーザイ、コクヨもサイバー攻撃の被害に遭ったとの報道に接した。
これらの報道でどうしても考えずにいられないのは、今の前のめりで強硬なやり方のマイナンバーカード推進のあやうさだ。
少なくとも、現行の健康保険証を廃止してはならない。国会で可決されたとはいっても、誤りをただすのに躊躇することはない。
現在機能しているものを廃止し、行政サービスを切り捨て、選択肢を無くして「ほらマイナンバーカードがあってよかっただろう!便利だろう!」と言われても…。祖国をわざわざ権力者の執念で焼け野原にされるようなもので迷惑このうえない。
今明らかになっている問題点は「人為的なミスによるもの」であるとデジタル大臣は強調するが、優れたシステムなら人為的なミスが起こらないように幾重にもチェック機能をはりめぐらせ、事故を未然に防ぐように構築するものだ。
しかも、PC・スマホ・タブレット等個人所有の端末のセキュリティはどうなのか。上に貼ったリンクの会社は事業としてやっている。セキュリティの技術も、かけたお金も一般人とは比較にならなくてもこの状況だ。
今のこの状況は例えば、「気づきなさい」と幾度も声をかけられているのに、無理矢理耳をふさがせられ、急き立てられているかのようだ。リスク分散という安全装置があるのにわざわざそのスイッチをオフにさせられて目の前にポイントをちらつかされて、医療を受けられなくなるぞと脅されて。身分証明書の選択肢を減らされて。
過去のできごと・歴史の中に、先人の教えの中に、ヒントはある。気づき考えることを促されているのではないか。ほんとうにそれでいいのか?と。
例えば、
「全電源喪失はありえない」。
東海村臨界事故
ハインリッヒの法則
人間が、「絶対にそうする」と決めたときに言いがちな言葉がある。
「そんなこと言っていたら何もできない!」。
「ネガティブなことを言っていたら始まらない」。
「やらないための言い訳だろ!」。
そう言うとき、投げかけられた疑問や指摘に対しては耳を貸さずに跳ね返すと決めているのだ。
記事の冒頭に掲げた『社労夢』のようなソフトは、労働保険や社会保険手続などのe-Gov電子申請を行うことができる。資本金一億円以上の企業には、令和2年から義務化されている。
それに当てはまらない事業所でも、電子申請は望ましいこととして奨励されている。下に貼ったのは厚生労働省のサイトにあるリーフレットへのリンク。
しかし、e-Govを利用しての電子申請は使いにくくて手続がなかなか成功しないのが知られている。今サイバー攻撃によるシステム障害の状態にある社労夢のようなソフトを利用することでAPI連携で電子申請が利用しやすくなっているという現状がある。電子申請を利用できるようにというのは、社労夢のようなソフトを導入する際の大きなきっかけになる。
システムエンジニア並みにPCを使いこなせる人はいいのだろうが、そんな人は多くないのだ。電子申請を簡単に確実に行う為の業務ソフトに助けられている事業所は多い。
e-Govがもっと使い易く構築されていれば、電子申請手続にはe-Gov…などのような使い分けができてリスク分散につながったのではないか。
ただ、ひとつだけ思うのは、
全く同じシステムを複数用意して常時どれも動かしておいて、なにかあったら通常メインとしている方を切り離してもサブのシステムで運用したりは、無理だったのだろうか………ということ。
私はろくに知らない分野なので、そういうことができていたらなぁ…と、ちょっと思っただけなのだが、一応書いておく。
根本に共通の要素を連想させられる問題が、社会で同時多発的に起きているとき、目を見開いて、耳をすませて考え、調べ、判断したい。
今はまるで、目を固くつぶり耳をふさいで突進させられているようだ。
堤未果さんの著書、『堤未果のショック・ドクトリン』に、デジタル先進国エストニアのことが取り上げられている。
エストニアも、以前は利便性だけを追求して制度構築し、2007年にロシアからのサイバー攻撃を受けて行政機能が停止したという失敗経験があるとのこと。それを克服して現在がある。
そのくだりを読んでいて強く感じたのは、為政者としての覚悟と、国民との信頼関係だ。
今の日本社会において、統治機構と国民との間にどれほどの信頼関係があるというのだろうか………。