人との距離感
飯村さんのお米といちごのチラシを作りました。
お米頼んだ方はそのうち見てもらえるかと思います、よろしくお願いします!!
わたしは神経質な性格なので人と近しく親しくなることがあまりないのですが、飯村夫妻とはいつのまにか寝食を共にするほど仲良くなれました。
さらに今年はロゴとかチラシも作らせてもらって、ほんとに楽しかったです。
初めて二人に会ったとき、わたしは「茨城の農家さんなんだ、へ〜・・・」という無の感情のみでしたが、後々から聞くと夫妻のわたしへのファーストインプレッションはなぜか好感度が高かったらしく、そのすぐあとに沖縄の勉強会で数日間ご一緒する機会があり、そのときもわたしはまだ「ほぼほぼ初めて会ったよく知らない夫婦」というスタンスを維持していた記憶がありますが、飯村さんたちは「すごく良くしてくれた」と思ってくださっていたようで、そのあとも野菜やお米を送ってくださったり、あとは別のところで会う機会があると「マナさーん!!!!」と声をかけてくださったり、なんかそこらへんから急激に親しくなっていった気がします。
わたしは基本的に単独行動の人間だし、友達は疲れるくらいならいらないという性格なので、飯村さんたちが継続的にアプローチしてくれなかったらきっとその場限りのご縁で終わっていたと思います。
いつも真面目でやさしいのりひささんと、おもしろくて天然炸裂のみささんの人柄に、気がついたら自分のほうが惹かれていたのかもしれないです。
とはいえ人と距離をつめるのにスローなわたしは、援農をかねて遊びに行くことはあっても必ずその日に帰っていて、二人の泊まりに来てという誘いを10回くらい受けてようやくお泊まりにチャレンジ。
わたしもお泊まりするのは楽しみだったし、飯村さんたちも大歓迎してくださり、しかも「帰りの心配をしないで飲める」という状況は、3人のテンションを全解放してしまったため、飯村家の初夜はしぬほど酒を飲んで大騒ぎして全員酔い潰れて爆睡という幸せな時間になりました。
そんな感じでちょくちょく遊びに行ってはいますが、毎回必ず「商品の写真撮影」「ロゴの相談」とか「イベントの打ち合わせ」とか「炭埋」とか「チラシ作り」とか、会う理由があるときだけ行くようにしてます。
そういうところが自分の性格と思います。
なんか、用もないのに他人の家になんとなく遊びに行くってことがあまりできません。
ちょうどよい距離感を見失って万が一友情が壊れたらいやだからです。
帯広のホテルの教会にあったイザヤ書にこんな一文がありました。
「隣人の家に足繁くしてはならない」
どんなに親しくても、距離感は大事。
他者との関係性がうまくいかない人は、他者との距離感がわかってないことが多いです。
他者と距離を詰めるのに、強引さがあると確実に嫌われます。
逆説的ですが、一人で平気な人、孤独に強い人のほうが多くの人と自然な交流ができて、結果的に良い友人知人に恵まれやすい気がします。
自立した人、と言い換えることもできます。
わたしは子どもの時からの元々の性格として一人が好きだったのですが、それは対人関係には不利なものと思い込んでいました。
その後、思春期とか20代という途中経過でのよくありがちな大失敗などを経て、大人になったいまはその性格が対人関係で良い働きするところまで来れたように感じます。
大好きな友人夫妻が真面目に作ったいちごハウスは、炭埋をやって明らかに変化しました。
電子の流れって、ほんとにあると思います。
ビニルハウスは閉鎖空間なのでどうしても空気が止まるのですが、不思議な流動感があり、すっきりしていました。
奥は水蒸気で小さな霧が発生して、幻想的な世界。
妖精が飛んでそうです。
素朴な友達と、気持ちいい空間。
大切にしたいと思います。
こんなにすばらしいところだから、やっぱり用もないのに来ていいところじゃないよなあと、思います。
こんなの聞かれたら二人には笑われそうですが、わたしみたいな神経質な人嫌いに、なお明るく声をかけ続けてくれた二人にいまさら感謝です。
どんなに一人が好きだったとしても、人生は必ず他人と関わり合いながら生きていくものだから、良い人たちと縁があることはとてもありがたいです。
そんなわけで、これからもちょうどよい距離感で、楽しく穏やかな関係を続けられたらいいなあと、思っています。