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子供というひとりの人
我が家は一戸建て。
玄関に行くにも、各々の部屋に行くにも必ずリビングを通る設計になっています。
それは「察したい」という親である私達の思いから、そういう動線を選択しました。
我が家には、社会人の娘と大学生の息子がいます。
幼い頃、私達と常に一緒に泣いて笑っていた子供達も、思春期を迎える頃には、大人と同じような外部からの楽しい誘惑、人間関係による壁、将来への不安など、挙げればキリがないほど心の内も複雑化していき、感情が親とは非同期の場面が増えていきます。
そんなことなんでわかるの?だって自分がそうだったじゃないか。
幼い頃のように、友達とケンカしちゃった。ごめんね言おうね。ごめんね。いいよ。
なんて事では済まない、子供達なりの複雑な事情が見え隠れしてきます。
ふと学生時代の自分を思い出すと、すべてを親に話してはいませんでした。
いや、何も話していなかったかな。
自分の中で楽しんで悩んで、ただそれで精一杯だった日々。
思春期を迎える頃、何かあってもすべてを話してくれないかもしれない。
本人が話したくない事を毎度聞き出すのもどうなのだろう。
いってきます。ただいま。の声のトーンや足取りと表情で、心の内を話さなくても察する事ができるかもしれない。
声にならないヘルプを見逃さないようにしたい。そう思いました。
顔色の悪い、いってきますの日。
少し声が枯れた、いってきますの日。
行きたくなさそうな、いってきますの日。
足取りの軽い、いってきますの日。
疲れた顔の、ただいまの日。
聞こえないくらい小さい、ただいまの日。
ただいまの後に、やたら饒舌な日。
ただいまも言わず、泣き腫らした目ですぐ2階に上がった日。
子供の毎日の変化を感じとる事ができました。
すぐ手を差し伸べられていたか、足りていたかはわからないけれど、何かあったら時には飛び込む準備はしていたつもりです。
家を建ててからもうすぐ21年。
今でもこの設計にして良かったと思っています。
子供もこの家が気に入ってると言ってくれてるので、オールオッケー。