私の思いつき 社会のかたちを空想してみた② ちょっと変わるだけでいい
投稿してみて気付きましたが、投稿してみると案外長くないものですね。文字の大きさで感じ方も変わるのかな…
なにはともあれ、前回( https://note.com/manmarume/n/n7ca18af6a4f5 )
の続きです。
さて、仕事や学業に関わる時間が減り、その成果も減ってしまうかもしれないけれど、その分心が求める時間の使い方ができるようになる暮らし
それが今後も成り立ったら、あるいは成り立つためには、社会はどんなかたちになるのだろうか。
都合の良い私の空想かもしれません。軽い気持ちで読んでください。
具体的には、時間とお金についての考えが変わってもいいんじゃないかなあと思うのです。
時間とお金の使い方が変わっていくのと同時に
時間とお金についての価値観、というと大げさに聞こえるかもしれませんが、バランスのとり方が変わったら、良いかもしれない。
時間については、①でも触れました。
仕事などに費やしていた時間が減って、家族、友人、恋人、ペットや、自分自身との時間を持つことができるようになったら。
もちろん、仕事は悪ではないし、それに費やす時間を限りなく0に近づけたいという野望もありません。笑
ただ、今までは、心が求める時間のバランスと実際の時間のバランスが崩れてしまっていたのではないかなと感じるのです。
それを少しだけ、心地よい方へ傾ける
そんなことができたらいいなあと、私は思わずにはいられません。
0か100かではなくて、
仕事を捨てるとかではなくて、
ちょっとだけ変わってみる
それは不可能なことではないかもしれないと、思ったりします。
思いたいというのが本当のところかも。
そして、時間の使い方が変わると、必然的にお金の使い方も変わると思われます。
使い方の前に、入ってくるお金も変わるかもしれませんよね。
単純に働く時間が減ったら、お給料が減るのも当然のこと。
働く時間が減っても成果は変わらないような工夫はきっとあると思うので、実際にお給料が減ることはないのかもしれないですが、私は少しくらい減ってもいいなと思っています。
少しくらい、というのがミソですね。
どっちつかずなことを言って、ズルいと思われるかもしれないですが、
0になるのはもちろん、生活に困るくらい減るのも困る。でも、仕事に割くウェイトが減った分くらいなら、減ってもいいです。
私は貯金がたっぷりあるわけでもなく、後ろ楯があるわけでもありません。なのになぜ、少しくらいなら減ってもいいと思うのかというと、最近の生活で気付いたのです。
あれ、お金の使い方変わったな…?
と。
まだnoteの一投稿あたりの適切な長さがつかめてないので、ここで今日は切ります。笑
次はお金の使い方がどういう風に変わったかについて続きから書こうと思います。
それではまた…!
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