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年輪

つい先ほど読んだ文章に

過去は匂い、未来は光 その程度でいいのです。

と書いてあった。

私は人の人生の年輪を大切にしたい方だけど、とある人と話していた際に

ほら、彼の若い頃はそういう時代じゃなかったでしょ?
とか、彼は若い頃きっとそうやって努力してきたんでしょ?

とか必死で話していたら、

あのさぁ、そうだとしてもその話は無意味なんだよ。過去いくら輝いていても、今輝いていないと言うことは、努力を怠っているということなんだよ。
過去の積み重ねが今だし、時代は変わっていくからね。
10年前の価値観で生きている人や、過去の武勇伝を恥ずかし気もなく話す人はすなわち、成長を諦めた人なんだよ。

と強めに言われ、

じゃあ、若い頃は綺麗でした!とか、痩せてました!という自己申告は全くの無意味だと?!

と突っ込むと、今までで一番の笑顔で

若い頃美しく、今も綺麗なのが理想的ですね。

と言われ、ぐぬぬ。となった。

彼の一番厄介なところは、こんなにも辛辣、毒舌なのに誰もそこに気づいていないことで、みんなわりと好き勝手彼に言うため、いや、この人が一番怖いんですけど、、と私は密かに震えている。

結果より過程が大事
カルピスと
冷めてしまった
ホットカルピス

という短歌があるけれど
これってどっちの意味なんだろうか
過程ばかり重視してる人を馬鹿にしている?
それとも、カルピスと冷めたホットカルピスは実は大きな違いがある?

どちらの方向に皮肉を込めているのかもはやわからなくなり

ただやっぱり、年輪は大事な気がしている。
慣れない環境下に置かれたとき
目標を見失ったとき
急な孤独に陥ったとき
ものすごくうまく行き、幸せなとき
その人の表情と、周りにいる人、起き上がる速さ
それはその瞬間生まれるものではなく、年輪の成せる技だと信じたい。

もし、価値観が古かろうが
少しの間努力を惜しんでいようが
年輪さえあれば、誰かに理解され、自信を取り戻せるのだと。

誰もが順風満帆に、綺麗に年輪を重ねれるわけではない。
人間なのだ。
努力を怠る時も
休憩して価値観が進歩していない時もあっていい

でもそれで、もう挽回できないよ!あいつは努力しなかったから!
と思うことが正しいのか

いつでも努力が花開くわけでもない。
過去の栄光にすがりたい日もある。

自分がそうなったとき、過去の栄光にすがる自分を責めるのではなく、すがれる過去があることに誇りを持ってもいいじゃないか。

結果より過程が大事
生まれつき肥満な人と
中年太り

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