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まんまみーまMBTI心理機能定義書 - Te「構造」

はじめに

以下参照。


定義(Definition)

外向的思考(Te) = 構造(Constructure)

副次的解釈:
機能、再現性、社会、功利、効率、儒教、義務


概要(Overview)

外向的思考(以下Te)を語る上で重要なポイントは、”機能”です。我々の生活は、原始時代から現代に至るまで様々な変化に適応すべく、事象に形を与え、その機能を管理していくことでこれまでの文明を築いてきました。

機能化の対象は、建造物、インフラ、政治、文学、科学など多岐に渡りますが、全て”説明可能である”のが特徴です。

そもそも全て説明可能という現象が、本来不自然なことです。例えば、文学作品などで度々登場する”虹”ですが、虹については有名な解釈話があります。

日本の虹は7色ですが、国によっては4色、5色、6色と、その色彩の数が異なります。これは、自然に純粋に向き合えば、いくらか概念上の矛盾とも取れるような複雑性を暗示しています。同じものを認識し合う時、そこに複数の解釈が存在していることは、本来的に、その対象を捉えきれていないことを意味しています。

虹は虹であり、あのグラデーションには明確な線など存在していません。虹を構成するそれぞれが粒子の様にアトミックで不可分な存在であり、4色、5色、6色といった分割自体が虹そのものを理解する上でナンセンスであるはずです。また、虹という名前がついていて他の空間と識別可能な時点で、虹とその他の空間についても同様のことがいえます。つまり、その対象を虹と呼ぶこと自体が本来不自然であるということです。

虹の色

こういった背景から、そうまでしてでも境界線を設けたい人の心情が垣間見えます。

ここまで、”不自然”という言葉を繰り返し多用してきましたが、その不自然さこそが鍵であり、自然に形を与えて解釈をするという不自然で人工的な営み、自然ではなく概念を基に生活を作り上げ行く工程こそがTeの象徴、その全貌を私は構造と定義することにしました。


小話「なぜ人は構造を好むのか?」

なぜ人は構造を作りたがるか、その心を考えてみます。これは、別記事で記述する内向的感情(Fi)との対比と統合によって解釈がしやすいと考えます。

私はFiを安寧と定義しましたが、安寧獲得の過程を考えて行くと全容が掴めてきます。

先に述べたように、我々の生活は、様々な文明に支えられていて、今では全国民が一から農耕をして、米や野菜を育てずともコンビニで美味しい弁当が食べられます。その水面下では、分業という名の下に、農家が汗水流して美味しい米と野菜を作っている現実が存在しています。

これについては、各所で習うように、その方が各々が楽だからそうすることにした、という背景があります。

”楽””そうすることにした”、これらがキーポイントです。

安寧とは、安心や楽といったニュアンスが含まれているはずですが、安心や楽とはどうやって築かれていくのか、そこには必ず”危険”の存在が表裏一体に存在していないでしょうか。

全ての人が等しく農耕をしていれば、地域の天候や、労働者の健康面などで不作が起きる危険を孕んでしまいます。そこには、餓死という”脅迫”が付きまとい、自らの存在を脅かす”災厄”が想起されます。災厄が頭の中にある状態は安寧といえるでしょうか。

その不安に、分業という一つの構造を与えるだけで、今では不作や健康問題から餓死する心配の必要がなくなりました。そこには、小さな安寧が生まれている。

つまり、いくら本来的な生命活動が自立的に行われるものであり、構造を与えて誰かに自分の食料を与えてもらうことが不自然な行為であったとしても、それがだから人々はそうすることにしたのです

忘れてはならないのが、安寧は願っているだけでは手に入らないという当然の帰結です。

これについては、xxTJタイプとxxFPの行動志向を観察すれば分かりやすいです。外界に対し、xxTJが自ら働きかけて資産や環境を築いていくことが多いのに対して、xxFPは比較的受動的に適応していこうとする光景が多く散見されます。

xxTJとxxFPが一緒に居合わせた時、xxTJが構造を大切にし、xxFPは安寧を大切にするため、お互いの主観的な事情を優先すると、お互いの事情が解決されないという現象が発生します。これは、安易に、構造と安寧を対比して見た際に起きる問題です。

これまでの話の通り、実際には、両者は対比される存在であるよりも、ノンデュアルな関係であり、統合される相互補完の関係にあるという視方ができます。

安寧(Fi)を願って、初めて構造(Te)が与えられ、説明可能な再現性が表出することで構造が社会となり、様々なラベルが付けられて安寧を獲得するという仕組みで我々の世界は機能しています。

今、自然が自然として存在している世界に、次はどんな構造が与えられるのか。


あとがき

現代では、法律を初めとした、倫理観や道徳観に対する文化感が、貴族層のみならず、一般層にも普及しています。

倫理観や道徳観、それらはどのようにして構成されているのか。これは安寧の統合元である”構造”から紐解いていくことで、その仕組みの全貌が見えてくると考えています。

詳細は、内向的感情(Fi)を参照ください。


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