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イッツアスモールワールドは問いかける
ディズニーランドにいったら必ず行くアトラクション。イッツアスモールワールド。
一緒に行く人には大体、「休憩所」扱いをされてしまうアトラクションなのですが、わたしはこのアトラクションが、ディズニーの挑戦を体現しているかのように思えてならないのです。
イッツアスモールワールドの中身はいたってシンプルで、各国の伝統衣装を着た人形たちがそれぞれの言語で「小さな世界(イッツアスモールワールド)」を歌っている中を船で巡るというものです。回転が良く比較的並ばない。しかも座れて、所要時間は長め。条件的に眠気を誘うのもわかります。
でもなぜ、ディズニーはこのアトラクションを作ったのでしょう。
美女と野獣しかり、ベイマックスしかり、アトラクションは映画をモチーフにしたものが多く、基本的にはディズニーやピクサー映画をベースとして設定がされています。しかし、イッツアスモールワールドは特定の映画が見当たりません。人形の中には確かに、ディズニーキャラクターを模したものはいるのですが、他の人形よりも目立つ場所にあるわけでもありませんし、アトラクション自体のストーリー性も希薄です。
わたしと一緒に行く人の反応からしてみても、一般に人気があるとはいえませんし、回転を良くしたいアトラクションを作りたいだけなら、他にも手段はあったはずです。
内容も、「休憩所」扱いされるくらいですから、刺激的ではありません。人形たちはただただ歌詞を繰り返します。
世界中 だれだって
ほほえめば仲良しさ
みんな輪になり
手をつなごう 小さな世界
世界はせまい 世界は同じ
世界はまるい ただひとつ
きれいな部分だけをすくった歌詞です。ともすれば説教臭い。
子ども向けの歌詞だから、と一言で済ませるのは簡単ですが、ではなぜ、子ども向けの歌詞を、ディズニーランドでここまで直球にぶつけるアトラクションを作ったのかが気になります。
わたしはディズニーに対しての知識が深いわけでも、歴史を知っているわけでもないのでただの憶測ですが、
ディズニーは、イッツアスモールワールドを作って、そしてわたしたちに見せることによって挑発ともいえる挑戦をしたのではないかなと思うのです。
現実は、歌詞のようにキレイにはいかない。大人なら、みんなわかっていることです。
でも、歌詞のような世界を目指すことは、大人でもできる。
そして大人になって、歌詞のような世界を目指す人になるならば、子どもの時にそんな世界を感じてほしい。
イッツアスモールワールドの中は、きれいごとな世界です。
でもあそこまできれいごとで固められると、きれいごとでない世界で普段生きているわたしたちは、ハッとしてしまいます。きれいな世界を信じたい自分に。
現実はほほえんだって仲良くなれるかはわからないけれど、
とりあえずほほえんでみたら何か変わるのかもしれない。
そんな、青臭いことを思えるように、あんなにきれいな世界をアトラクションの空間に閉じ込めたのではないでしょうか。それが、ディズニーから私たちへの挑発であり、ディズニーがわたし達に問いかける挑戦だと思えてならないのです。