長崎万寿山聖福寺

長崎万寿山聖福寺公式ブログアカウント。聖福寺は1677年の創建。 禅宗の1派である黄檗宗で、ご本山は京都黄檗山萬福寺。その末寺の1つとなります。 聖福寺の大雄宝殿、天王殿、鐘楼、山門が国指定重要文化財となります。

長崎万寿山聖福寺

長崎万寿山聖福寺公式ブログアカウント。聖福寺は1677年の創建。 禅宗の1派である黄檗宗で、ご本山は京都黄檗山萬福寺。その末寺の1つとなります。 聖福寺の大雄宝殿、天王殿、鐘楼、山門が国指定重要文化財となります。

最近の記事

第2回万寿山聖福寺文化財修理現場見学会開催

令和4年6月4日5日の2日間に渡って2回目の文化財修理現場見学会を行った 見学場所は解体作業を終えた山門と解体途中の大雄宝殿(本堂)の2か所 4日の見学会はまず山門の解体現場へ行き解体保管している柱や梁等の木部を並べてある解体現場にて文化財建造物保存技術協会の説明に続いて施工業者の金剛組による木部解体の説明を山門の木部の一部を縮小して再現した模型を使い創建当時の棟梁達の建築技術の高さを説明した 解体する際にどのように組み立てたかを確かめて外していかないと固定されて外れないので

    • 聖福寺山門解体が進んでみえて来たもの

      新年を迎え聖福寺山門解体作業は残すところ柱と虹梁の部分の木部となりました。 まず木部の材料ですが、主要柱と眺めてよく見える虹梁等の木部はケヤキ材を使い、あまり目立たない横の虹梁や屋根内部の見えない木部はツガ材を使用されていた。 写真の柱と下の虹梁がケヤキ材で上の細い虹梁がツガ材。 そして、解体して判ったのは木部に何かしら染料が塗られていること。 唐寺に見られる朱塗り(ベンガラ)のような色ではなく、もっと木材が古くなった様な色に統一されているように見える。 おそらくは違う木材

      • 万寿山聖福寺大雄宝殿の足場組立作業が進む

        令和4年早々に大雄宝殿の解体修理が始まる前に足場素屋根組立作業が進んでいます。 全体を覆い前面にも張り出し文化財4棟の解体修理では最大規模の広さになります。 作業途中の現場に入らせて頂き光が射す内にと写真撮影!! 大雄宝殿の額を水平の高さで撮ったり鬼瓦を間近で撮ったりしました 足場のもう一段上で屋根の上部分をカメラで覗くと下からはキレイに見えない真ん中の宝珠と両脇のマカラ(黄檗宗ではシャチホコでは無くマカラが多い)の顔がハッキリと確認出来た マカラはワニとライオンを掛け

        • 第1回聖福寺修理現場見学会開催

          キンモクセイが薫る10月30日土曜日万寿山聖福寺主催の聖福寺修理現場見学会を開催。1日3回に分けて各20人の定員制にして応募多数の為に抽選となりました。 今回は修理中の山門を主に見学する事になっております。 修理状況や建物に関しての説明は文化財建造物保存技術協会の担当者の方が行い、現場の準備や説明しやすい展示の仕方や実技披露は金剛組の方々が担当されました。 最初に文化財指定されているお堂や境内のお堂の配置の説明を行い、次に足場組立作業を行う大雄宝殿の現在での建物構造の分かる

          万寿山聖福寺修復事業スタート時は何をした?その3

          聖福寺修復事業を振り返る第3弾。 什物、仏像搬出保管作業の続きになります。近代において本堂内の全ての什物を搬出する事は今までにない事でした。 戦後からは聞かない話です、そして動かしていくうちに隠れていた物や入れ込んでそのままになっていた物を表に出すとこんなのがあったのか?これは何?という物が続々と!! まずは本尊の前机にあたる須弥壇、本尊と前机の間に上り下りする階段と高台がピッタリと引っ付いていたので前机の後ろ棚に何が入っているのか今まで分かりませんでした。 動かして中を見て

          万寿山聖福寺修復事業スタート時は何をした?その3

          万寿山聖福寺修復事業スタート時は何をした?その2

          令和3年11月から聖福寺本堂である大雄宝殿の足場組立作業が始まる。現在の本堂内はがらん堂!!全ての什物と仏像達は倉庫に保存されている。その搬出保存を日本通運さんにお願いしました。 お願いした理由としてまず九州国立博物館の特別展「隠元」の際に聖福寺の本尊の釈迦如来坐像と天王殿の布袋尊を出陳するのに日本通運さんが行い、様々な仏像、什物の調査時にも日本通運さんが動かす作業をされていた経験があった為でした。しかしながら特別展に出陳する時に既に劣化が認められ、とても慎重に運ぶ作業であっ

          万寿山聖福寺修復事業スタート時は何をした?その2

          万寿山聖福寺修復事業スタート時は何をした?その1

          令和2年11月2日に修復事業申請の認可が下り急ぎ設計監理者の入札を行い、年末年始を挟んで施工業者の入札を行う。 晴れて設計監理者は文化財建築物保存協会さん、施工業者は1400年の歴史を持つ金剛組さんに決定!! 令和3年3月4日には修復事業の安全祈願祭を執り行った。 まずは各お堂に足場組立を行う前に作業に支障をきたす石の欄干や支障木の伐採から始まった。 山門の欄干の撤去 本堂前の支障木伐採 楠の幹は何かに使えないか?と金剛組さんにお頼みして保管して貰っている。 丁度10年

          万寿山聖福寺修復事業スタート時は何をした?その1

          謎?謎?謎?

          万寿山聖福寺山門の解体作業が進んでいます。しかし、棟札が特殊な書き方の為に年代特定が難しい!と報告を受けました。 タイトルの写真は棟札が2つあり、創建当時からのものと思われるのが1つと大正時代に改修した棟札が1つ。 大正時代の棟札は良しとして問題はもう1つの棟札で内容は創建に因む由来と寄進者の名前と棟梁達の名前が記されて最後に開山鉄心禅師が記したとあるのだが、裏面に約百年後の現監龍門再建 維持寛政10年とだけ書いてある。 文化財建築物保存技術協会の担当者が何かもっと年代を確定

          山門木部解体作業が進む

          万寿山聖福寺山門解体作業は3つの屋根の野地板を支える垂木が全て取り除かれた状態となりました。 棟木を支える大きな垂木は互い違いに組んであり、細い垂木を支える木部には丸釘と角釘が使われていた また漆喰壁も全て取り除かれて今まで見えていなかった部分があらわになっていた。 また建てる時に間違わぬ様に文字で印を付けているのが見えやすくなってきた。 また大雄宝殿は今年11月から素屋根の足場組みが始まる、その前に完全に堂内を空にする作業を行った。設計監理者の文化財建築物保存技術協

          山門木部解体作業が進む

          聖福寺山門木部解体始まる

          万寿山聖福寺山門解体修理は今週から木部番付解体が始まりました。先ずは野地板部分に番付を施し位置を確認して取り外してゆく。 取り外した野地板を修復時に再利用出来るか出来ないかを判別し再利用するものと破棄するものに分けておく。 文化財は保存維持を目的としているので漆喰や使われている土もサンプルを取っておき復元時に同じものに再現若しくは再利用をする。 野地板を外して行くと中央上段部の梁に棟札が貼り付けてあるのを発見!!最初に目に入ったものは大正と記された棟札でした。県文化財の

          聖福寺山門木部解体始まる

          聖福寺山門屋根野地板が全てあらわに!

          万寿山聖福寺山門解体修理の屋根瓦と瓦を固定していた漆喰と藁スサを取り除く作業が一段落となり、野地板があらわになりました。 見比べていくと両下段の野地板の多くが新しい板材の様に見える。もしかすると祖父の代に大規模な修復は出来なかったが部分修理は行ったと聴いていたので、その時の板材かもしれない。丁度、新しい板材の部分から「キキツ」という刻印の瓦があったところでもあるし恐らくそうなのだろう。 野地板が取り除かれてある場所で垂木が見えているところに木?金具?で固定してあるのが見える

          聖福寺山門屋根野地板が全てあらわに!

          聖福寺山門屋根瓦降ろし終わる

          万寿山聖福寺山門屋根瓦が全て降ろしてありました。上段部は野地板を剥がしてある部分もありましたが、野地板の釘跡に全て印を付けてありました。 下段は瓦を降ろしただけで瓦を固定する漆喰や土がそのままで、この漆喰や土は質が良ければそのまま保存して屋根を葺き直す時に使うのですが、水分も無くボロボロと崩れるから恐らく使えないだろうと言っていた ただ屋根瓦はまず降ろしただけでこの後に使えるか使えないかの判断を行う

          聖福寺山門屋根瓦降ろし終わる

          聖福寺山門屋根瓦降ろしが進む

          令和3年6月17日時点で金剛組さんに聞いたら山門屋根瓦の降ろし作業が半分進みましたと仰ったので確認へ。 現場に上ってみると山門屋根の一番上の部分の瓦がキレイに降ろしてあって選別作業をしていました。瓦を固定する土も取り除かれて垂木が見えていました。 垂木の太さにちょっと驚きましたね。 そして、よくみると字が書かれている所が数ヶ所見つけました。 山門屋根の四隅に獅子が飾られていますが、上段部分の獅子が降ろしてあったのでジックリと観察するとちゃんと阿吽になっていた。下段の屋根の

          聖福寺山門屋根瓦降ろしが進む

          聖福寺山門屋根瓦番付解体作業始まる

          令和3年6月に入り聖福寺山門屋根瓦の番付解体作業が始まりました。昔からの瓦であろう4種類の堺の刻印が入った瓦と途中で葺いたであろうキキツの刻印が入った瓦があるとの事。文化財保護としてはおそらくキキツの刻印の瓦は修復時には省かれるかと思います。設計監理者の文化財建造物保存技術協会(文建協)さんがキキツってどこ?って言っていたくらいですから。まぁサイズも間に合わせのようで違うそうですし。 屋根の隅に獅子が飾っているのですが、1つだけデザインが違うのがあった。 刻印も違うのでおそ

          聖福寺山門屋根瓦番付解体作業始まる

          山門足場素屋根組立終了!!

          万寿山聖福寺山門の足場素屋根組立作業が終了し第三者通路も出来て修復作業中でも通り抜けが出来る様になりました。 6月からいよいよ屋根瓦番付降ろし作業に入ります。その前に足場に上らせて貰いました。瓦には本瓦、軒瓦、平瓦にはそれぞれ堺の刻印が入っていて4種類の刻印を確認しているとの事。 また屋根の隅々に狛犬を飾ってあって同じく堺の刻印が。そして狛犬のお尻の部分に遊び心が!!業者さんもあまり見ない細工ですね、シワも彫ってありますしと。狛犬ですが“阿吽”にはなっていなかったのが少し気に

          山門足場素屋根組立終了!!

          5月22日いろは丸事件談判記念揮毫イベント【第3回5・22和の国日本 日本人よ、世界の龍馬となれ】

          5月22日は万寿山聖福寺で坂本龍馬達亀山社中(海援隊)所有のいろは丸と紀州藩の明光丸との衝突事故の談判が結審へと進んだ転機となった日として揮毫イベントを行っています。今回で3回目となるイベントは各地で揮毫イベントを行っている和プロジェクトTAISHI主催及び聖福寺、修復協力会共催となります。 イベントのメインは坂本龍馬の妻お竜さんも習った流派の月琴奏者山田慶子先生の献奏と昨年揮毫して頂いた原雲涯先生のお弟子さんで地元NBCテレビレポーターの樋口晟瑤先生による揮毫となります。

          5月22日いろは丸事件談判記念揮毫イベント【第3回5・22和の国日本 日本人よ、世界の龍馬となれ】