ペーパーバックを読む⑦
師弟関係:カート・ヴォネガット&ジョン・アーヴィング
カート・ヴォネガットが亡くなってからもう13年になる。私が彼の名前を知ったのは、彼がまだカート・ヴォネガット・ジュニアと呼ばれ、B級SFを書く作家だと思われていた頃だ。亡くなった時には、現代アメリカ文学を代表する大作家になっていた。彼が精進によって変貌したわけではない。世界が彼の真価に気づくのが遅かったのだ。私だって、先見の明があったなんて誇れたものではない。私が彼の面白さを知ったのは、「スローターハウス5」が映画化された後だ。1969年の映画だから、私が見たのはたぶん70年代に入ってからだった。大学生の頃だ。その後、さかのぼって、「タイタンの妖女」や「猫のゆりかご」「プレーヤー・ピアノ」等を翻訳本で読んだ。翻訳が出るのが待ちきれず、ペーパーバックで著作を次々に読むようになったのは、もっと後の事だ。
かさ張るので、ミステリを中心に、数百冊の古いペーパーバックを処分したのだが、さすがにヴォネガットの本には愛着があって処分出来なかった。今、本棚を見たら、"Breakfast of Champions" "Slapstick" "HOCUS POCUS " "Welcome to the Monkey House" "Jailbird" "BLUEBEARD" "GALAPAGOS" "DEADEYE DICK" "PALM SUNDAY " "Mother Night"といった、少々くたびれたペーパーバックがあった。もうほとんどの内容は忘れてしまったが、これらの本を読んでいた時の幸福な気分は今も覚えている。カート・ヴォネガットは、当時の私にとって、尊敬できて話の面白い親戚のおじさんという感じだった。個人的な思い出のために、彼が亡くなった後に私が自身のホームページに書いた文章をここに再録しておきたい。2007年5月の記事です。
先月、大好きだったアメリカの作家、カート・ヴォネガットが亡くなった。85歳。年齢を見れば仕方がないことではあるが、やはり淋しい。SF作家として出発しながら、現代文学の巨匠として、広く国際的に尊敬されるようになった経歴は、昨年亡くなった、ポーランドのスタニスワフ・レムに似ていないこともない。でも、二人の作風はかなり違うものだった。レムが批評家的知性をあわせ持った堂々たる長編作家であったのに対して、変幻自在で皮肉っぽい、ブラックユーモアを湛えた軽妙な中短編を得意としたのがカート・ヴォネガットである。ドイツ系のアメリカ人として生まれ育ち、第二次大戦で、捕虜として、ドレスデン大爆撃に遭遇して九死に一生を得た体験が、そのブラックユーモアの根底にあることは広く知られている。たぶん、ヴォネガットの最後の本である、この"A MAN WITHOUT A COUNTRY"は、自伝的な文章を集めたエッセー集のような本である。ヴォネガットの遺言だとも言えるだろう。その内容は、彼の他の小説と同じく、ほろ苦い。冷戦の終結によって、世界唯一のスーパーパワーになったアメリカの傲慢さに対して、ほとんど絶望しているかのようだ。彼の愛したマーク・トエインのアメリカはもう存在しない。音楽だけが救いである。アメリカ人は、アメリカなんていう国家には何の希望も抱かず、それぞれが「拡大家族」と呼べるような中間共同体の中で生きるようにすべきである。そんなことが、村上春樹にも影響を与えた、例の独特な魅力ある文体で書かれてあった。ヴォネガットは最後までヴォネガットだった。冥福を祈る。
少し重複するが、彼の経歴をwikipediaで簡単におさらいしておくと、1922年インディアナポリスの裕福なインテリの家で生まれた。コーネル大学で生化学を学ぶ。陸軍に入った後、機械工学も学んだ。そして、彼の人生にとって最も大きな出来事が起こる。第二次大戦のヨーロッパ戦線で捕虜になったのだ。そして、捕虜として、同盟軍によるドレスデン爆撃を経験し、辛くも生き延びた。この経験が、後に「スローターハウス5」という作品を産んだ。戦後、アメリカに帰還したヴォネガットは、シカゴ大学の大学院で人類学を学びながら、地元紙の記者などをし、同時に小説を書き始めた。1950年に作家デビュー。しかし、作家としてなかなか評価されず、執筆をやめようとした1965年、アイオワ大学の「ライターズ・ワークショップ」で講師の職を得た。その講義を受けた学生の中に、ジョン・アーヴィングがいた。「猫のゆりかご」がベストセラーになったのは、彼が講師を務めていた時期である。この時期に彼は「スローターハウス5」も完成させ、一気に、反体制の若者たちのカリスマになった。
というところで、ジョン・アーヴィングの登場。現代のアメリカ人作家の中で、私が最も愛読する作家だ。現代のディケンズと呼ばれたこともある、正統的な長編作家。作品の数々が映画化されていることもあって、やや通俗的だと思われているが、そのストーリーテリングは圧倒的な魅力に満ちている。
私がアーヴィングの存在を知ったのはいつか、もう記憶が曖昧だが、たぶん、村上春樹が雑誌「海」で彼の作品を紹介したのがきっかけだったと思う。事実、村上春樹はアーヴィングの処女作品「熊を放つ」を翻訳している。でも、私はそれを読んでいない。アーヴィングの作品は最初から、翻訳ではなく、ペーパーバックで読んだ。彼の小説はみんな長いけれど、英語そのものはそんなに難しくない。(それが通俗的だと思われる原因かもしれない。)最初に読んだ作品は、たぶん、"The World According To Garp"「ガープの世界」。映画化されたので、見た人も多いだろう。とにかく、これを読んで、すっかりイカれてしまった。それから、アーヴィングの追っかけが始まった。"The Hotel New Hampshire" "The Cider House Rules" というような初期の長編から始まって、" Until I Find You" "A Widow for One Year"などをへて、比較的最近の、"Avenue of Mysteries" に至るまで、ずっと読者として伴走してきて、アーヴィングの小説に裏切られたことは一度もない。小説を読む楽しみをこんなに味わせてくれる作家は、それこそ、ディケンズ以来なのではないだろうか。というところで、"Avenue of Mysteries"を読んだ感想を、例によって、私のホームページ「神須屋通信」から引用する。2017年9月の文章です。(「神須屋通信」は月に一度の更新。)
今月もkindleでの読書から。久しぶりのジョン・アーヴィングです。私の敬愛する作家の一人。いつも新作を心待ちにしている。この小説も、いつものように、翻訳すると二巻本になる長い物語でしたが、とにかくおかしな人物ばかりが出てきて面白いし英語も難しくないので一気に読みました。というのは嘘、半月くらいかかったかな。やはり日本語の小説を読むようにはいきません。今回の小説の舞台はメキシコ。主人公はメキシコのスラムに生まれ育ちながら、さまざまな偶然と人々の善意で、アメリカで作家として成功した人物です。ちょうど、この小説を読んでいる時に、メキシコで大地震がありました。メキシコも日本と同じような地震国なんですね。トランプが大統領になってから、なにかと話題になるメキシコですが、アーヴィングがこの小説を書いたのはトランプ以前ですから、関係はないでしょう。いや、予感していたかな。こんなにも素晴らしい人のいるメキシコとの間に壁を築くことの愚かさを、前もって示そうとしていたのかも知れない。そうそう、この小説の題名を書くのを忘れていた。"Avenue of Mysteries"です。日本語の書名は「神秘大通り」。メキシコは神秘に満ちている。(この小説はメキシコだけじゃなくフィリピンも舞台だということも書き忘れていました。この二つの国はなんとなく似ていますね。どちらもスペイン文化の影響を受けたせいでしょうか。)
この小説の主人公フアン・ディエゴは、アメリカのアイオワ大学で学んで教鞭もとっていたという設定です。ジョン・アーヴィングは、他の大学を卒業した後、アイオワ大学の創作科でカート・ヴォネガットの教えを受けました。そして、修士論文として書いた小説「熊を放つ」で作家としてデビューしました。その処女作を日本語に訳したのが村上春樹です。私がアーヴィングの小説をずっと読むことになったのは、カート・ヴォネガットと村上春樹という敬愛する二人の作家の導きだったわけですね。ずいぶん長い付き合いになりました。アーヴィングももう70代半ば。ヴォネガットは故人になってしまいましたが、アーヴィングとの付き合いはこれからも続きそうです。もちろん、もっと若い村上春樹とも。アーヴィングの小説には、男性が女装するトランス・ジェンダーがよく登場するんですが、この小説にも登場していました。彼はいつも健気に生きる少数派の人々を愛情をもって描く。これこそ小説の役割だと私は思います。
ここで、やはりwikipediaを借りて、彼のプロフィールを紹介しておくと、1942年3月2日、ニューハンプシャー生まれ。現在78歳。名門高校、フィリップス・エクセター・アカデミーでレスリング選手として活躍した。ニューハンプシャー大学をドロップアウトした後、ドイツ語を学んでウイーン大学に留学。帰国後、ニューハンプシャー大学に復学して卒業。その頃にはすでに結婚していたが、アイオワ大学の創作科でカート・ヴォネガットと出会う。大学の修士論文として「熊を放つ」を執筆したのは、師のヴォネガット自身の「猫のゆりかご」がかつてシカゴ大学の修士論文として認められたのと同じ。この「熊を放つ」で作家デビューした。1968年、26歳の時だった。
気になるのは、"Avenue of Mysteries" 「神秘大通り」の後、新作が発表されていないこと。アーヴィングももう若くはないが、まだ現役を引退したわけではないと思う。まあ、本質的に長編作家だから、時間をかけないと体力が持たないということはあるかもしれないけれど。
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