己を壊すトリガーを引いて
トリガーがあって、生きてる方が違和感のある時期のわたしを取り戻してしまって大変だった。血管の隅々まで再現してしまったせいで、食欲をはじめとする命の欲求をおおよそ無視した。懐かしい。こうやって長いこと身体の声を聞いてこなかった。
長いこと体を無視していたとき、お酒が弱いのにお酒だけを飲み、徹夜したあとに始発から終電までの時間を外で過ごし、あまり何も食べなかった。食事は命を繋ぐことを意味していて、あまりに面倒だった。
無理して健康をつくろって、無理してまいにち食事して、無理して眠った。無理してたらそのうちに身体がここに在るようになった。それまでは身体がなかった。己の質量を呪い体温を嫌った。
この人生、生きてることが嫌だと感じている時間の方が長い。
いまよりまだ若い頃、わたしをそうさせた全てへの復讐心だけが心臓にあり、それを燃やすことで命を繋いだ。
大したことはない、セロハンテープを切って貼って繋いだだけの命だった。
今となっては復讐心はここになく、セロハンテープで繋いだだけのものを、あっさり切ってしまえるような気になった。だけどアラサーになった今ではそれさえ面倒なのだった。
最近は命を受け入れられる時間が増えていた。そうなったのもここ一年半くらいの話で結構最近だった。まだ死にたい時間の方が圧倒的に長い命を背負っていて、今日はそう、トリガーがあって、引き金が引かれてしまってどうしようもなかった。ちょっとでも死に近づくと落ち着いた。だから、夜の3時に散歩した。強く風のふく寒い夜中にぼやけた視界で散歩した。目にうつるものを撮ることでしか身体を実感できなかったことを思い出した。そうやって写真を撮っていた。写真を撮ることでしか息をつなげなかった。逆に今はそうやって、あれほどの孤独感で写真を撮ることは無い。わたしはどこへ行けるだろう。写真をこれからも自分の居場所にできるだろうか。三十路を前に狭間に立たされてて、依頼の質も変わる気がする。わたしは写真が撮りたい。これからも撮らせてください。
今日の散歩の時、お腹が空いていたものの、私は身体を無視する力に満ちてしまっていた。コンビニを五つくらいまわって、全て食べたいが全て食べるのが恐ろしく、何も食べずに帰ってきた。
ごく4〜5年前まではそんなことは当たり前の毎日だった。
帰ってきて、パソコンの前に座り、体温を保つのが難しくなって震える中で、ぼんやりしながら作業をしてこの土日に撮影した写真だけは納品した。2700枚くらいあった。
この土日は忙しくてあまりゆったり眠れず、今日こそしっかり眠ろうと思っていた中で身体を無視することしかできなくなった。
ヘトヘトなのに徹夜する時の、この判断力を鈍らせてくれる感じが懐かしい。
ここから先は
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/106590432/profile_3c2b3ccdb1ef141e78e2e2f9297e50aa.jpg?fit=bounds&format=jpeg&quality=85&width=330)
写真で呼吸する記憶。
日々撮った写真の記録。考えたことの記録。
サポートしていただいた売り上げは、今後の活動費用に充てさせていただきます。どうぞよろしくお願いします。