日常をハレにしてまで。
日常をハレの日にしてまで、毎日特別な日を生きたいと願い続けた。
そしてそれは叶った。この春に思うこと。
卒業シーズンと呼ばれる時期。
自分はもう27歳、学生を終えてから丸5年になる。
フリーランス独身であるため、卒業してから特に大きな節目なくやってきた。たとえば就職とか結婚とかの類のものだ。
最近になってようやく、終わりも始まりもないような、息が詰まるような心地を覚え始めた。
いや、それなりに節目はあったと思うんだが、 おそらく自分がちゃんと節目にしてこなかった。
個展をやるとか、大きな仕事が決まるとか、上京するとか、節目っぽいことはあった。あったんだが、まるでそれを日常として日々を過ごしていた。
必死にやっていたために、ハレの場にする余裕がなかったとも取れる。
また、自分は人の個人的な節目に立ち会うような撮影をすることが多い。
いろんな事情を乗り越えるために撮影に臨んでくれる人からの依頼を受けている。
その節目がどんな理由で訪れるものでも、毎日を特別な今日にしたいと願ってきた私にとって夢のような仕事だ。
一方で、毎日が節目の儀礼、ハレの日々である。
日常に、ケに、生活に欠ける日々。
ハレの日は毎日繰り返してもケに転じることはない。
慣れても祭りは祭り、儀礼は儀礼のままだ。
お客様とハレを共有する限りハレの日は続く。
それは自分にとって、本当に幸せなことだ。向いている。
大切だと思える今日を繰り返してきたのにどうして、大学を卒業してから5年経った今。今更になって、どことなく息が詰まる心地がするのか。
一つは自分が毎日を祭りにしてしまったから。これはまあ、魂が望んでしまうことだから仕方ない。
息がつまるもう一つの理由は、みんなで一斉に迎える節目がなくなったのが原因じゃないかと感じている。こんなことは初めてなので。
学生の時はみんな一斉に入学して、みんなで卒業した。
春はいつも、人間関係も環境もみんな同時に一気に変わるような季節。ある意味全部をリセットできるタイミングでもあった。
それがなくなった。なくなって5年経った。
人間関係も環境もリセットされるものでないことを実感する。
今どう生きるかで明日からが変わることを確信する。
壊れた人間関係はなるだけ立て直した方がいい。新しいキャンパスを得ることは難しく、壊れたものからの逃避も難しい。そもそも得てきたものを安易に壊さない方がいい、未来は続いていくんだから。壊すより適切な距離に置くよう心がけたほうが良いことを、今更になって実感している。
自分の人生を漕ぎ出すとはこういうことなのか。
みんなと背を並べて歩き出すのと違って、自分の足で人生を進めていくってこういうことなのか。
自分の手の中にちゃんと今日があること、割と怖いんだな。
孤独だとか、結局自分次第とか、まだ人生のチュートリアルにいることとか、なんとなく感じていたけれど、こんなタイミングでそれを自覚するなんて。
自分の人生が、自分の手にあるってこういうことだったのか。
ずるずる続く毎日を、ちゃんとこの足で歩いていこう。
ようやく自分の足で行き先を決めることができるようになったんだから。
この孤独に歓喜しよう。ようやく腹を括れてきたような気がする。
節目にはちゃんと節目をやろう。自分の誕生日を誕生日にするところから始めよう。
めでたいことがあればお祝いしよう。個人的なことでいい。自分の節目をお祝いしよう。コロナも馴染んできたところだし、なるべく人と一緒に。
あとはそうね、生活を手放さないように気を付けよう。ハレの先に行ってしまわないように。
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写真で呼吸する記憶。
日々撮った写真の記録。考えたことの記録。
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