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あの肌色

人が、特に女性が初めてカメラの前で服を脱ぐ時、それは覚悟で、変身願望で、自傷行為だったりする。確固たる意志で写っているかに見えて、時にとても危うい。

普段脱がない人、普通に社会生活を送ってるように見える人たちのヌードを撮影させてもらう機会がよくある。

グラビアの方やセクシー女優さんを撮影することも多いが(そういった方もまた、1人の人ではあるのだが)、その一方で一般募集の依頼を受ける中でそういう撮影をしていることも多い。
撮影は、写り手にとって自分に向き合う時間だったりするものだ。自分と向き合う覚悟で私の元へ撮影しに来る人は多い。

心が裸になろうとしてる時に、服を纏うこともやめてしまうらしい。
実は撮影時に「服を脱いでください」と頼んだことがない。撮影を通して相手と向き合ったとき、気付いたら服を脱いでいた人が多かっただけである。
それがいつの間にかヌードをよく撮影するだと印象付くようになってきた。
そのくらい、社会に溶け込んで見える人たちのヌードをたくさん撮ってきた。
世に出ているものも、出ていない写真もたくさんある。

裸で写りにくる人の理由は様々だが、混乱ゆえに写りにくる人は多かったりする。写真を通して自分と向き合いたいくらい、自分のことがわからなくなっている、そういう人がよく撮影に訪れてくれる。
混乱したままの心で、撮影した写真をネットに載せることがあったりもする。自分の内情を写したものを分かって欲しくて載せるのだと思う。そういう動機で活動を始めてしまった人間であるからして、傷んだ心を分かってほしい気持ちは分からないでもない。でも、そういう時に皆さんは慎重になった方がいいと思う。
後々投稿を消してほしいと頼まれることもある。多くは、性的な視線に晒されて怖くなったからという理由だ。
主観でそんなつもりはなくてもヌードであると言うことで、性的な視線の暴力を浴びることになる。そういう視線を向けるのをやめろという気持ちがあることを知っている。それは間違ってないこともあると思う。だけどこれは社会がそうであるから、性を消費するものとして扱っているから、それを分かった上で行動したほうが良いでしょう。

そんな景色を散々見たから私個人の作品撮影では、個人がわからないようにヌードを撮影した。
あなたが脱いだことによって、そして写ったことによって外部からまで暴力を受けずに済むように。
去年、今年と人の裸を撮って、写った人のクレジットを載せずに展示をした。写真集も作った。


これからも人を撮る活動はしていきたいなと考えている。いるんだけど、人の危うさに漬け込んで、悪い方に力を向かせてしまってることもあるのではないかとこの記事を書いた。

これからもあなたの個人的な理由で撮影させてほしい。冠婚葬祭でなくとも、個人的な人生の節目を残しておくことはきっとお守りになるから。


P.S.
来月も依頼を受けている。記載の日程でなくても依頼したい場合は気軽に連絡ください。タイミングが許せば当日の依頼も受けてます。

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