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あたらしい風のはじまりに。


母とはこれまでたくさんの葛藤があったけれど、今日は「たまにしか会えないから楽しい話をしたい」と言ってくれて、愚痴ではなく楽しい話をたくさん聞かせてもらった。
いままでわりとたくさん愚痴を聞かされてうんざりしていたからびっくりしたし、嬉しかった。
いままで失敗だと言われていた人生だったのに「こんなに長く写真を続けていて偉いね」「会社でも『娘さんが東京でフリーのカメラマンをしているなんてすごい』とよく言われるよ」と言われ、素直に嬉しかった。
正直、今日ももし自分の人生を呪われたなら母と絶縁することも考えようと思っていたものだから、本当に良かった。
母が少しずつ距離感を掴んでくれているのを感じられて、本当にありがたい気持ちになった。
久しぶりに、はじめてかも。人と人としてちゃんと会話してる心地になった。
分かり合おうと会話するってこういうことなのかなと思った。

母と私を繋いでいたのはいつもKinKi Kidsだった。私が5歳の頃からずっと母とコンサートに行っている。今も、コンサートの時だけ私たちは会う。
KinKi Kidsのコンサートに行き、その名前で活動する最後のライブだと知った。
昔の曲もたくさん披露されて、私自身も彼らの音楽と共に育った人生を思い返していた。
それも今と昔がリンクするような曲がピックアップされていて、走馬灯のように記憶と今のライブパフォーマンスが心身を駆け巡る。感動が止まらない。
会場のエネルギーも素晴らしい。五万人のペンライトの色と意識が同期していた。
上の方の座席からそのエネルギーをみて、パフォーマーやステージに関わるプロの人たちの仕事にも思いを馳せて、素晴らしくてすごくって涙が止まらなくなってしまった。
隣で母が「(この曲)懐かしいね」と呟くのを聞いて、まるで二人とも20年前に戻ったような気がした。

「KinKi Kids」という名前が終わるというのは象徴的で、彼らの活動や楽曲と共に築いてきた親子関係も一区切りついたように感じた。
でも、それは終わりではなく、新しい形で作り上げていけるのだと心から思えた。

母子家庭故に、母はほとんど休まずに働いている日々だった。その時のことを尋ねたら、母は「やりたいことをお金のせいで諦めさせたくなかったから必死に働いた」と話してくれた。
その言葉を聞いて、改めて「たくさん稼いで、たくさんお金をかけてくれてありがとう」と伝えた。まじですごいと思うから。
父はいなかったけど、私は母のそんな背中をずっと見ていたよ。

母は「死ぬほど働いて大変だったけれど、今思うと楽しかったなと思えるよ」とも言っていた。当時母は結婚式場のスタッフだった。
私はその式場のカメラマンをやってたこともあって、1日だけ親子で同じ現場で働いた日もあって、あれは楽しかったね。そしてハレの場の仕事はいいし、素敵だよね。
私はハレの場が好きでカメラマンをしていると思う。その感覚は、母から譲り受けたものかもしれない。

母の親である祖母もなかなか性格が悪くて大変な人なんだけど笑
祖母ももういい歳だから最後かもしれない、と母も母自身の親子関係に向き合い始めている。
だから私と母との呪いも今日解けたのかもしれない。
母は最近毎週のように観劇を楽しんでいるようだった。自分の好きなことを楽しむ人生を歩み始めたのを見て、心から良かったと思う。
そして私も、ようやくしがらみから解かれて、健康な親子関係を築きながら、自分の人生を生きていけると感じている。

さて、ライブの最後、KinKi Kidsのデビュー曲である「硝子の少年」を観客全員で歌う機会をいただいた。
「硝子の少年時代の
破片が胸へと突き刺さる
何かが終わってはじまる
雲が切れてぼくを
照らし出す」という歌詞のところは心を込めて高らかに歌った。あんな場面を経験できて本当に嬉しいよ。
自分たちの人生もまた新しいステージに向かっていくのだと強く思った。
子供の頃から見ている、彼らの仕事や活動への真摯な姿勢にはいつも救われ、二人の存在は私の心に宿る救世主だった。
現代を生きて駆け抜けていく、腹を決めた巫女のような二人。活動名が「DOMOTO」になるこれからも彼らも楽しみだなあ。

もし二人が解散していたら私たちの親子関係も終わってたんじゃないかって、本気で思う。
昔から好きなものが、私と母を繋ぐものが残ってよかった。

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