いい歳してバックパッカーなぞやってるのはイタいのか

「海外一人旅なんてやっても自分などは見つからない」とか、「いい歳してバックパッカーなんかやってるのは落ちこぼれ」だとか言う意見をよく見かける。おおむね正しいと思う。

 学生時代にバックパッカーとしてあちこち旅していたとき、同じことをしている年齢が一回り上の人たちによく出会った。
 私は「やはりなんとなくみっともないし、バックパッカーなんかできるのも若いうちだけかな」なんて思って、学生のうちにできるだけの旅行をしようと考えたのだった。

 しかし今、会社員として、あの時いい歳してバックパッカーをやっていた人たちと大体同じ年齢になって、まったく意見は変わっている。

じゃあ会社でやりたくもないシゴトしてるのがイタくないのか

 東南アジアとかで「自分探し」をしてしまう人たちは総じて、先進国の落ちこぼればかりだ。いい歳した人はなおさらそうである。しかし少なくとも、そういう人たちは通常のキャリアや他人からの評価を犠牲にして自分のやりたいことをやっている。

 翻って、そういうことをバカにしがちな普通に日本で毎日働いている人たちはどうだろう。9割方、毎日行きたくもない会社に行き、やりたくもない仕事をしているだけだと思う。私だって今はその一員だ。
 その代わりに、キャリアや無難な結婚や子育てを成立させる財力とかが得られるわけだ。
 
 しかし客観的に見れば、これだって、大概、バカげた話だ。いったい子供をサピックスに入れるだとか、早慶や東大に入れるだとか、それがなんだって言うんだろう。「自分探し」と同じくらいオモチャみたいな話である。
 30代半ばで皆示し合わせたようにローンで都内のマンションを買って、そりゃバンコクの安宿よりずっと立派だろうけれど、こういう見本みたいな無難な生活が、毎日の貴重な時間の犠牲と見合うのか疑問に思う。(そう疑問に思ってしまう人がバックパッカーになったり、私のように海外で不安定なキャリアを選んでしまったりするわけだが)

結局われわれは色んな「イタさ」から何か選んでるだけ

「自分探し」がイタければ、毎日のクソ労働と子供のお受験やローン、、、みたいな生活もやはりイタいと言えばイタい訳で、結局われわれは種類の違うイタさから、なんとなく自分に合ったものを選んでいるに過ぎない。
 無論、結婚や子育てのような人生の転機の方が、アジア放浪みたいな経験よりもオトナっぽいと言えばその通りなのだが。

 実際、放浪するような人は子供っぽいだけではなく、将来を考えると厳しいものがあると思う。四十になって、あるのは放浪経験だけ、みたいなことを想定すると、暗澹たる気持ちになる。しかしこれだって、他人がとやかく言う話じゃない。

 まあいずれにせよ、若さが最大の価値であり、わざわざ歳食ってから旅なんぞしないで、若いうちにできるだけ色んなものを見るに越したことはないとは思う。豊富な経験は様々な物事を相対化するし、それぞれの存在とか規範が、それぞれ違った「イタさ」を内包していることに気づけるようになるだろうから。


  

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