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【4/5】私を閉じこめていたのは

私を閉じこめていたのはー『何でもないふりして生きているけれど』4/5

「それでは聞いてください」
わざとらしい咳払いを2回挟んで、曲が流れる。スマートフォンの小さな画面の中、やたらと高い声を震わせて歌っているのは、高校の同級生。同じ軽音楽部の別のバンドでボーカルをしていた彼女は、高校卒業後、音楽の専門学校へと進学した。それからほどなくして、彼女はありとあらゆるSNSに自分の歌唱動画をアップするようになった。大学へ向かう電車のなか、彼女がアップした動画を見ては、再生数といいねの数を確認する。裏声を使わず、無理に高音を出そうとする彼女の歌い方が、私は嫌いだった。
 
 大学一年の夏、軽音楽部の後輩のライブへ足を運んだ。数ヶ月ぶりの顔が集まり、それぞれの近況や思い出話に花が咲く。この日姿を見せなかった彼女の話題になった時、あるお調子者の同級生が、私に言った。
「正直、俺らの代で一番歌が上手かったのは、あいつじゃなくてお前だよな」
 そんなことは、言われなくても分かっている。分かっているから許せないのだ。大して上手くもないのに、平気な顔して自分の歌を全世界に発信する彼女が、どうしても。
なれるわけない。そんなレベルで、歌で食べていけるわけない。
 
 
 私は人並に遊んで、人並に勉強して、人並に就活に苦しんで、人並に仕事をこなす社会人になった。気付けば高校を卒業してから八年の歳月が経っていて、私は二十六歳になっていた。
 
一日の終わり、暗い部屋のベッドの中で、そっと目を閉じる。この時間が何よりも好きだ。瞼の裏にいる私は、いつだって前を見て、大きな声で歌を歌っている。大きなステージの上で、たくさんの観客に囲まれて、スポットライトを一心に集めて。夢のなかでは、私はいつだって自由だった。
 
 カーテンの隙間から差し込む朝日に急かされるように、重たい瞼を開ける。夢から覚めて始まるのは、今日もまた、代り映えのない一日。歯を磨き、顔を洗い、化粧をし、髪を束ね、ストッキングを履いて、ジャケットに袖を通す。会社へ向かう電車の中、暇つぶしに開いたSNSのおすすめ欄に、彼女の動画が出てきた。彼女の歌声を聞く度にイライラが募り、フォローを外したのは何年前だっただろう。久しぶりに聞いた彼女の高音は、7年前よりも耳障りが良くなっていた。動画の再生数を見て、自分の顔がこわばるのが分かる。スマホを鞄のなかへ投げ入れ、電車を降りた。背中から聞こえる電車の発車ベルが、いつもよりもやけに騒がしく感じた。
 
高くも低くもないビルにある小さな机が、私の居場所。ドラマチックなことなど何も起きない日常に、嫌気がさしているのかももう分からなくなっていた。
 
 
 その週末、高校時代のお調子者の同級生から数年ぶりに電話がかかってきた。新卒で入った会社を辞めたことは、風の噂で聞いていた。
「お!出た!元気にしてる?」
「かかってきたんだから出るよ。久しぶりじゃん」
 数年のブランクを感じさせないフランクな会話で、すぐに青春時代の温度を取り戻す。
「突然の電話で悪いな。良いもん見せれるように頑張るわ」
「うん。頑張ってね。それじゃ」
 けれど話をするうちに、私は彼との温度差にめまいがして、それを隠すように早々に電話を切り上げた。
馬鹿みたいだ。好きなことをして生きていけるほど、世界は私たちに優しくないのに。どうしてそんな簡単なことが、彼らにはわからないのだろう。
 
 暗い部屋のベッドの中で、そっと目を閉じる。私はその日も、夢のなかの大きなステージで、四方を観客に囲まれて、まぶしいスポットライトを一心に集めて、大きな声で歌を歌っていた。この時間が、私の一日で一番幸せな時間なのだ。夢の中にいるこの時間が。
 
 
 次の週末、私は会社とは反対方向へ走る電車に揺られていた。たどり着いたのは下北沢。ライブ会場もたくさんあるのに来るのは久しぶりだなと思いながら、改札を抜ける。駅を出てすぐの広場で、路上ミュージシャンがギター片手に綺麗な低音を響かせている。彼の前を通る人が、一人、また一人と足を止める。私はスマホで地図を見ながら彼の前を通り過ぎようとしたけれど、突然立ち止まった目の前の男性にぶつかり足を止めた。
「あ、すいません」
 男性は一瞬だけ私を見たけれど、視線はすぐに路上ミュージシャンへと向けられる。その視線に釣られて、私も彼の方を見てしまう。うわ、声若いけどけっこう年とってるじゃん。
足元に置かれた無駄にアメリカ風の缶に、まばらに入れられた小銭と千円札。あの缶から拾い上げたお金を財布に入れる時、彼は一体どんな気持ちになるのだろう。そんなことを思いながら、綺麗な低音に背を向け目的地へと向かった。
 
「劇団夜の舞、会場はこちらですー」
 気付かずに通り過ぎようとした私の足を、スタッフの声が止める。何の特徴も看板もないこの小さな雑居ビルが、どうやら私の目指していた場所らしい。
「会場へは奥の階段を上ってください」
 スタッフに促されるままに階段を上ると、そこには小さな劇場があった。受付を済ませ、どこに座れば良いものかも分からず、一番後ろの席に座る。想像していたよりも遥かに客席とステージが近い。しばらくして客席が暗くなると、かすかに流れていたBGMのボリュームがグッと上がった。
 
 ステージの中央にスポットライトが当たると、お調子者の同級生が見たことのない顔で立っていて、聞いたことのない声で台詞を発した。凛々しい目で、逞しい声で、歯の浮くような台詞を次から次へと。一人、また一人と登場人物が現れる度に、一人残らず歯の浮くような台詞を話す。耳をふさぎたくなるような、ストレートで恥ずかしい、むき出しな台詞の応酬。私は逃げ出したい気持ちになんとか理性で蓋をして、拷問のようにパイプ椅子に座り続けた。
 物語が終わり、ステージが暗くなる。再びステージが明るくなると、出演者が一列に並んでいた。その真ん中で、やり切った顔をしている同級生。
「ありがとうございました!」
 という彼のまっすぐな声に続いて、出演者たちが頭を下げる。顔を上げた彼ら全員が達成感に満ち溢れた表情をしていて、私はどんな顔でステージを見れば良いのか分からなかった。
 
 出演者がステージからはけ、客席が明るくなる。一刻も早くこの場を立ち去ろうと帰り支度を始めた時、二つ隣の席にいた女性が泣いていることに気が付いた。長くて綺麗な黒髪を耳にかけ、ハンカチで丁寧に涙をぬぐう仕草がとても美しい。彼女がなぜ泣いているのかこれっぽちも理解できず、ただ驚いて彼女を見つめてしまった。
「あ、ごめんなさい」
 私に気付いた彼女が、慌てて足をパイプ椅子へとしまい、通り道を作ってくれた。そういうつもりじゃなかったのにと思ったけれど、ここに留まる理由もない。すみません、と頭を下げながら彼女の前を通り過ぎ、小さな劇場を後にした。
 
 
 暗い部屋のベッドのなかで、そっと目を閉じる。私は今日観た演劇の登場人物になった夢を見た。夢のなかに理想の世界を創り上げ、貝殻に閉じこもったまま眠り続けるヤドカリになった夢を。
 
 
 カーテンの隙間から差し込む朝日にせかされるように、重たい瞼を開ける。歯を磨き、顔を洗い、化粧をし、髪を束ね、ストッキングを履いて、ジャケットに袖を通す。始まるのは、今日もまた、代り映えのない一日。小さな机でカチカチカチカチと、ただひたすらに無機質なリズムを響かせてパソコンを叩く。
 仕事を終えて帰宅する電車の中、暇つぶしに開いたスマートフォンに、お調子者の同級生からメッセージが届いていた。

〈昨日は観に来てくれてありがとうな。そういえば、あいつインディーズでデビューしたらしいよ〉
 彼の言うあいつが誰のことかなんて、聞かなくてもわかっている。メッセージと一緒に送られてきた動画のURLは開かなかった。電車が揺れ、目の前に立っていた高そうなスーツを着たサラリーマンにグッと体重をかけられる。
「あ、すみません」
 振り返ったのは見覚えのある顔で、思わず凝視してしまう。サラリーマンは軽く頭を下げすぐに正面へ向き直ってしまう。思い出した。彼は、昨日駅前で綺麗な低音を響かせていた路上ミュージシャンだ。昨日心の中で彼を蔑んだ自分が心底恥ずかしくなり顔を伏せた。真っ暗なスマートフォンに映る私は、とてもつまらなそうな顔をしていた。このままでは駄目だと思った。
 
 
 自宅の最寄り駅で、電車を降りなかった。窓から見えるオレンジ色がどんどん濃くなっていく。それでも私は、電車を降りなかった。この電車の終点には海がある。
 
 まだ少し空に明るさが残っている夏の海。海水浴場から少し離れたこの砂浜には、誰もいない。砂浜を一歩、また一歩と進む度に、パンプスのヒールが埋まってズシリと重い。パンプスを脱ぎ、ストッキングを脱ぎ、ジャケットを脱ぎ、髪をほどき。一歩、また一歩と進む度に、重たいものを脱ぎ捨てた。身軽になった体で、海へと走る。オレンジと藍色が入り混じる海から吹いてくる向かい風が、私の髪をなびかせる。
 波打ち際にたどりつく。冷たい海水が、私の砂まみれの足を濡らす。まだほんの少しだけ顔を出している太陽が、ひっそりと私を照らす。
 私は、25年の人生で、一番大きく息を吸った。まっすぐに前を見て、誰もいない海に向かって、ほんのわずかな残光に照らされながら、大好きな大好きな歌を、大きな声で歌った。
 
 
あぁ、私はずっと、何に怯えていたのだろう。私を閉じこめていたのは、私だった。
 

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2024年7月に制作した全5編からなる短編小説集の第4話でした。
順番通り推奨ではありますが、1~4はどこから読んでも大丈夫なので他のお話もぜひ!

『何でもないふりして生きているけれど』
1.夢の向こう
2.誰かを好きになれたら
3.彼女の背中
4.私を閉じ込めていたのは
5.そして、海へと向かう

▼第1話はこちら

▼第2話はこちら

▼第3話はこちら(短めで読みやすいです)


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