月と六文銭・第十七章(11)
11.工作員の帰宅
Operatives Heading Home
「花岡、お前まだ鍛え方が足りないな」
「そうですか?」
「この中をチラって見てみろ」
花岡は渡されたアタッシュケースを開けてチラッと中を見た。狙撃銃の部品が入っていた。彼は急いでケースを閉め、誰にも見られていないことを確認した。工作員達で壁ができていたため、自分たち以外には見えなかったはずだ。
「これは?」
「お前、サラリーマン氏と何を話していた?」
「ホームにいたサラリーマンに何が起こったのか聞かれたので、事故があったらしいと話しました。
下り電車に乗る予定だったみたいです」
「そいつの顔をじっくり見たのか?」
「いいえ、ただのサラリーマンでしたので。
野次馬ですよ」
「野次馬か」
作戦主任は少し呆れた顔をした。
「アレが狙撃をしたスナイパーだ。
今日の狙撃を成功させた凄腕だ
直接話す機会があったのに、残念だったな、気が付かないとは」
「え、だって、普通のサラリーマンでしたよ」
「そうやって彼は誰にも気づかれず、疑われず、捕まらずに任務を遂行するんだ」
「え、だって、え?」
花岡が話しかけられたサラリーマンが凄腕のスナイパー?
「ホームで我々が人間回廊を作って一般市民の安全を守りながら彼の狙撃の成功を手伝い、こうして備品を回収した」
作戦主任は花岡からアタッシュケースを取り戻した。
「お前がサラリーマン氏と話している間に大友がアタッシュケースを交換したんだ」
「作戦全体を話してくれないなんて…」
「今回の件、お前の気付きの訓練にもちょうど良かったからな」
「…」
納得いかない花岡だった。
「それでお前は見事に不合格だ」
「えぇ、ちょっと待ってくださいよ」
「別に降格はされないが、別の部署の勤務に変更だ」
「…」
花岡は憮然としていたが、主任が言うように注意不足だったことは確かだ。
それにしても超A級の腕前のスナイパーというのはあんなにも目立たずに生活しているものなのか?あのまま佐倉の一戸建てに帰って、可愛い奥さんがいて、可愛い子供がいて、一緒に任天堂のテレビゲームをしているような男性だった。
漫画に登場する超A級スナイパーは存在感自体が威圧的だったりするのとは大違いだ。自分ら現場工作員は目立ってはいけないが、体を鍛えていたりしたら、どうしても体型や服装に出てしまう…。
ちょっといいスーツ、丁寧な言葉遣い、無駄のない動き。でも、きっちり仕事をするサラリーマンならその程度は"当たり前"だろうと花岡は思った。
しかし、確かに顔を思い出せない。特徴がないというか。不快ではなかった、きちんと髭は剃っていたからだろうか。身長は平均よりは少し低かった。自分よりも背が低かったが、あの年代のサラリーマンならそんなものだろうか。
主任が言うように自分はまだ学ぶことが沢山ある。特に先入観というか思い込みが強いな。
下り電車に乗ったサラリーマン氏は次の津田沼駅で電車を降りて、上り電車が来るホームへと移り、洗練された感じの女性と合流した。
「お待たせしました」
「いいえ、会ってくれてありがとうございます」
「今夜は本当に大丈夫なんですか?」
「子供は親がみてくれています。
出張ということにしてあります。
明日の朝は本当に早く出てしまいますが」
この辺りの心理は武田には分からなかった。子供を親に預けてまでして、男に抱かれに来る女性の心理。子供第一なのは嘘ではないが、まだ若いので、自分の時間というか、女としての時間が欲しいのだろう。
二人は上り電車に乗って品川駅まで移動した。ホテル群があり、新幹線の駅でもあることから早朝の出発には都合がよい。