月と六文銭・第十六章(25)
留学生・劉少藩=リュウは武田と出会って、失敗続きだったパパ活が上手くいくのではないかと期待が膨らんでいた。
もちろん出会ったのは偶然だったが、何度か話していく中で彼を信じてもいいのではないか、いや、信じたいとリュウは思うようになった。
今夜、私は初めて彼に抱かれる。男性経験は少ないし、どちらかというとスレンダーな体型では彼を喜ばすことができるか不安もある。彼の抱擁力、寛大さに甘えることになるのは当然だが、がっかりさせたくない…。
~充満激情~
97
武田は私が想像していたよりも素敵な男性だと思う。何よりも自分に興味を持ってくれているから、とても居心地が良い。だから、一瞬、パパ活ではなく、普通に出会えていたなら、幸せになれたかなと思ったが、振り返って見ると、そもそもこういう男性に知り合う機会がこれまで一度もなかったよね…。
大学のクラスメイトの男子は幼く見えたし、教授や講師と何かあったらスキャンダルで学業を続けられなくなる可能性があった。それでは困るから不必要な接触は避けてきた。
周囲に年上の男性はあまりいなくて、アルバイト先の店長くらいしかこれまで接点がなかった。しかし、その店長は別のアルバイトの子と付き合っていることをみんなが知っていた。店長が私に声を掛けてきたら、あの子とトラブルになって、アルバイトを続けられなくなってしまうから、店の事務所で二人きりになるとか、二人だけで話をすることは極力避けてきた。
そんな時、同じ台湾人サークルの吳念菲が后援人=スポンサーを探したら、アルバイトの時間を減らして、勉強の時間を確保できるよ、と話してくれた。
「后援人、スポンサーって何?」
そう思って彼女の話を聞いたら、スポンサーとはパトロンのような存在で、食事に同伴することもあれば、做爱=性交を求められることもあると聞いて、フェイがそんなことをしているのに、初めはとても驚いた。
しかし、コンビニのアルバイトでは収入の上限が低すぎたし、ある程度の額を得ようとすると勉強の時間が確保できないことは目に見えていた。
フェイはスマホのアプリを使ってスポンサー候補3、4人と会って、大きな会社の部長さんと知り合い、今は安定した関係だと言っていた。毎週会っているが、食事だけの時と做爱を伴う時が交互だと言っていた。もらえる金額も聞いて、それなら自分もアルバイトの時間を減らして勉強に当てられると思った。
ちょうど、その時のボーイフレンドとはうまくいっていなかったから、別れるにもちょうどいいかと思った。
ところが自分の場合、フェイほどうまくはいかなかった。自分としては正直に状況を話して理解を得ようとしたが、男性側の学歴コンプレックスや巨乳好みにマッチしないことがほとんどだった。
ようやく望みの金額で話がまとまり、新宿のホテルまで一緒に行ったのに、事前の話と違って、その男性はシャワーに入ってくるわ、胸を乱暴に触ってくるわ、避妊をしてくれないわ、約束と違うことが多すぎてパニックを起こしてしまった。悲しさと悔しさで、そのままその部屋でしばらく一人で泣いた。
98
他にも落ち込む理由があったのだが、気分が滅入っていた時、フェイが気晴らしに北海道旅行に誘ってくれたのだ。
そして、羽田空港でたまたま隣のテーブルに座っていた優しそうな男性が武田哲也さん、今自分の向かいに座っている投資会社の部長さんだ。
父と同じくらいの年齢で、そんな年齢の男性と付き合ったことはもちろん、肌を見せたこともない。思い出してみると、父親にすら小学校4年生以降裸を見せたことがなかった。一応、今でも父とは良好な関係だが、家の中を裸で歩き回るなんてことは、したことがない。
これまで裸を見せた男性は、初体験をしたボーイフレンドと5か月ほど前まで半同棲していた前のボーイフレンド・李博雅、そして、今では顔も思い出せない新宿のホテルで会ったけど、約束を守ってくれなかった中年男性の3人だけ。そして、自分が知っている男性、つまり肉体関係を持ったという意味での男性、はボーイフレンドと呼べる二人だけだった。
日本ではこの数を"経験人数"と呼び、私は平均以下、経験が少ないとされる。経験人数も少なければ、実際の性交の回数も少ない。本当に男性経験が少ないのだ。
そして、自分としては結婚するまで、あまりたくさんの男性を知ることは避けたい。だから、この目の前に座る男性は私が知る男性の3人目となり、結婚するまではそれ以上は増やすつもりはなかった。
この男性と関係を持つことは自分で決めたことだ。多分、大丈夫。優しい人で私を大事に扱ってくれるはず。
99
リュウはキョロキョロするのをやめ、椅子に座り直して、武田を真っ直ぐ見つめて話し始めた。
「武田さん、お食事、美味しかったです」
「良かったです。
ムニエル、美味しかったですね」
「はい。
景色も素敵で本当にありがとうございます」
「東京を一望できるレストランは幾つかありますが、ここは料理もサービスもきちんとしていて、満足いただけると思ってお連れしました」
「どこのレストランもいつも素敵です。
赤坂見附のイタリアンもオイスターも良かったですが、ここはスゴイですね。
台湾にも背の高いビルはありますが、東京の景色は台北とはだいぶ違います」
「そうですか。
私はまだ行ったことがないので、そのうち行ってみたいです、台北へ」
「確か、お父様がお仕事で行かれていたと」
「はい、父が商社にいた時、2年ほど駐在していました」
「遊びに行ったりはしなかったのですか?」
「当時、父はとても忙しかったので」
「そうですか」
ここで少し沈黙の時間が流れた。
沈黙を破ったのはリュウの方だった。
「この後、宜しくお願いします。
いろいろ話したので、この後のこと、私は武田さんにお任せします」
リュウは一度軽く頭を下げ、手を伸ばして、武田の手を取った。
「ごめんなさい、お部屋行く前に確認したいです」
「どうぞ」
「私、武田さんの恋人ではないです。
それは分かっています。
それでも、武田さんが私を大切に扱ってくれることを願っています」
「それはもちろんです」
「ありがとうございます。
私、とても緊張しています」
確かにリュウの手が震えていて、それが武田にも伝わってきていた。武田はリュウの手を包み、優しく言った。
「恋人ではないですが、恋人と同じように接するつもりですよ」
「ありがとうございます」
武田の予想通り、リュウは緊張している。有意義な時間にしてあげなくては、と改めて思った。
100
武田は手を上げ、ウエイターを呼び寄せて、立ち上がった。ウエイターはスッとリュウの椅子の後ろに立って、その椅子を引き、リュウが立ち上がりやすいようにした。
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございます」
リュウもマナーだとすぐに理解し、小さくお辞儀をしながらウエイターに声を掛けた。
「とても美味しかったです。
景色もとてもきれいです」
「ありがとうございます」
リュウは自分の小さなハンドバッグを肩に掛け、帽子は手に持って武田を追い、レストランを出る前にはもう武田と腕を組んでいた。
入り口を出たところで、武田はレストランに預かってもらっていたリュウのバッグを受け取り、リュウとは反対側の肩に掛けた。
レストランスタッフに見送られながら、ロビー直行エレベーターではなく、ルームフロアに行くエレベーターに乗った。
「キスしてください」
リュウはエレベーターの扉が閉まると同時に武田に言って目を閉じた。
武田はそれに応えて、静かに唇を重ねた。
リュウは武田を抱きしめ、舌を入れてきた。日本人なら「なんと積極的な子!」と思っただろう。これで股間を触ってきて、男性の勃起具合を確認するようなら、本人がこれまで言っているほど晩熟ではないことが判明するが、一生懸命舌を動かしているだけだった。
「上手ですね」
「武田さんに私の気持ちを伝えたくて」
どっちの気持ちなのだろう?食事のお礼としてのキスなのか、この後、積極的に頑張るというサインなのだろうか。
武田が次に何かを言う前に52階に着いてしまった。リュウはサッと武田の隣に並んだ。多分扉が開いた瞬間誰かに見られると困ると思ったのだろう。