
月と六文銭・第十一章(5)
武田は台湾人留学生リュウショウハンからパパ活を提案された。彼女に興味があるだけに、命を狙われている状況でこの提案を受けることは浅慮としか言いようがないだろう…。
~留学生・リュウ~(2)
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リュウは意を決して武田にパパ活を提案した。パパ活の定義自体があいまいで、どのようなお付き合いかは人によって違うことくらい武田も知っていた。
食事やお出かけに同伴してお手当という名目でお金を受け取るケースもあれば、肉体関係を伴う、彼女らの言葉では「大人の関係」までを含むケースもあり、セックスはしないが「洗いっこ」と称して一緒に入浴して性器を触ったり、「プチ大人」と呼ばれる挿入はしないがそれ以外の性的行為をするケースなど様々だった。
エスコートという業態を知っている武田にとって、日本のキャバクラもパパ活も半端な感じがしていた。
しかし、目の前のリュウは思いつめていることもあって、武田も半端な返事をしたら面倒なことになるなと警戒し始めていた。
「私のしたいこととは何を考えているのですか?」
「エッチ」
リュウはストレートに口にした。
「毎月決まった回数、私、武田さんとエッチします。
アルバイトだけでは厳しいのです。
時間はかなりかかりますので、効率が悪いです。
勉強にもインターンにも就職活動にも時間が欲しいです」
「効率よく生活費を稼ぎたいために?」
「友達のフェイはアプリでいい人を見つけました。
私、アプリで人と会うのちょっと怖い。
空港で会った武田さん優しそうだったから連絡しました」
「そうですか」
武田は返事に窮した。定期的にある程度の金額をリュウに渡すことは可能だが、恋人がいる状況ではややこしい関係にはなりたくなかった。かといって、本当にリュウがいう関係を持つとしたらまさに援助交際になってしまうし、定期的に会うとなったら、のぞみを裏切ることになる。
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リュウは武田がすぐに返事できないことを予想していたのか、武田の目を覗き込みながら、第二の提案をした。
「武田さん、私を良く知らないから心配でしょ?
何度か、エッチで会ってください。
私、尽くします。
その時にお手当ください」
リュウは、パパ活では会うたびにお手当を渡す「都度払い」を提案した。食事に同伴したら幾ら、ホテル等へお付き合いしたら幾ら、といった具合だった。
「心配ならもう一回、お食事しましょう。
それで武田さんに私のことを知ってほしいです」
昼間から外国人にパパ活を提案されるとは、さすがの武田も一歩引いて客観的に状況を見つめる必要があった。
リュウが想定している金額は多分問題にはならないだろう。二人きりになったら、それなりに尽くしてくれるだろうし、武田も中国人は何らかの秘技・房術を持っているのではないか、との興味はある。
しかし、自分の命を狙っている中国人、或いはその一味で、完全に術中にはまった場合、間違いなく殺されるし、こちらからその機会を提供したということでは、愚かさの極みとなるだろう。
「リュウさん、もう一回お食事に行きましょう。
少し考えさせてください」
「私とのエッチ、いやですか?
私、頑張ります」
「エッチが嫌ということではないです。
とても魅力的な女性だと思っていますよ」
「私、勇気を出して、話しました。
助けて欲しいです」
「分かりました。
段階を踏んでいきたいと思います。
いきなりの提案でしたので、ちょっとびっくりしています。
ご理解してください」
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リュウの目が潤んでいるのが分かった。かなり勇気を出して提案したことだったはずで、ほとんど何も知らない外国人に自分の身を任せることの重大さは、現代の日本では忘れられている価値観と言えた。
武田はもったいぶるつもりはなかったが、リュウがただの留学生で、パパ活で生活費を賄いたいのか、それとも、もっと怖い罠を仕掛けてくるのか、冷静に分析する必要があった。
そして、認めたくはなかったが、田口静香に相談しておかないといけないと感じた。田口のことを知る前は、全て自分で判断してきたが、直接自分の命を狙われたのが初めてだったから、少なくとも現状を伝えないといけないと思った。
「リュウさん、話は分かりました。
もう一度お食事をしましょう。
その時、私の返事をお伝えしたいと思います」
「分かりました。
武田さんが優しい人なのは分かっています。
また来週ここでこの時間に会ってくれますか?」
「はい、そうしましょう」
武田は警戒心を悟られまいと、躊躇せずに返事をした。結果的に、翌週も会うことを約束させられた。武田自身はリュウに興味があったことは事実だったし、自分を狙っている中国人ではないと確信していた。証拠は何もない。感覚、或いは直感でしかない。
しかし、あの日、自分はたまたま車を出して幾つかの信号で適当に曲がり、結果的に空港に向かい、たまたまファミレスに入り、そしてたまたま隣のテーブルにリュウがいたのは偶然だったはずだ。
武田の得意な確率の計算で言えば、リュウとの出会いは偶然の産物で、3267億分の1程度の確率の結果だろう。それを数人の中国人が操作して、自分がリュウと出会うように仕組むことなど不可能だろう。それが武田の判断の根拠だった。
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「ところでリュウさんは台湾のどちら出身ですか?
私の父は過去に台湾で仕事をしておりまして、昔、いろいろ聞かされました」
リュウはじっと武田を見つめ、ニコッと笑顔になって、カバンからペンケースとノートを取り出して、ルーズリーフの1枚に台湾の輪郭を描いた。大都市の台北と高雄を書き込み、島の反対側の中央に丸印を付けた。
「ここが私の家族のいるファーリェン、日本語で花蓮市です。
父は半導体を作っている会社の工場で副工場長をしています。
台湾の大きな都市は台北と高雄です。
私は台北大学に2年通ってから日本に留学しました。
今、叡智大学の国際関係学部で日中関係を勉強しています。
台北大学は日本の東京大学と同じ旧帝国大学ですが、昨年は交換留学の募集がありませんでした。
台湾でも有名な安政大学と叡智大学を考え、リベラルアーツが充実している叡智大学を選びました」
「台湾では親元を離れて、大学の寮に入っていたのですか?」
「オヤモト?」
「家族と離れて、どこで暮らしていたのですか?」
「台北の親戚の家にずっといました。
私のおばさん、母の姉、の夫の実家です。
おばあちゃん的な人と一緒に暮らして、そこから学校に行きました」
「そうでしたか。
父が台湾で総経理をしていた時、部下の一人が台北大学出身だったと思います。
今でも古い世代の方は帝大と呼ぶそうですね」
「はい、私受かった時、伯母さんも伯父さんもおばあちゃん的人もションションが帝大に受かったと、とても褒めてくれました。
あ、ションションは私のこと。
日本ではショウハンですが、中国語ではションファンと読みます。
パンダみたいです。
私、パンダ大好きです」
リュウはカバンを持ち上げて、取っ手からぶら下がっているパンダのチャームを武田に見せた。
武田がもう一度会って、自分の提案について回答してくれると約束したため、リュウは安心していろいろ説明してくれた。武田の信用を得るために個人情報を開示しているつもりなのだろう。必ずしも望み通りの回答になるとは限らないものの、自分に有利な回答が得られる感触を得たから話し続けていたのだ。
「武田さんは私に興味がありますよね?」
リュウは確認するように、武田の顔をじっと見つめながら聞いた。
「エッチしたくないですか、私と?」
ストレートに聞かれると、困ってしまうが、もちろんベッドの中の君の痴態を見たい、と答えたら安心するのだろうか。
興味があることは間違いないのだが、自分のスケベ心を見透かされていることに恥ずかしさを感じていたのも正直なところだ。
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