月と六文銭・第十七章(19)
19.主要計画立案
Planning the Master Plan
呉は暗号電話を切り、上司である秦大佐に報告するために3階に向かった。
「大佐、本部は白虎を諦め、明華の成果を待って、最終的に鉄矢の起動を認めています」
「少佐、明華は成功するだろうか?」
「今まで失敗はないですが、どうも相手は一枚上手なのと、組織が月女神を守っているようで」
「因みに、その狙撃手、男で間違いないのだな?」
「と言いますと?」
「暗号名が女神となっているということは女性である可能性は?
今まで見つからなかったのは、我々が男性を追っていたからではないのか?」
「ヤツは九龍城で明華の父親を殺しています。
祭少佐の父もその時殺されています。
辛うじて生き残った部隊員の証言からは英国が投入したのは3人の男性工作員でした。
明華は香港とタイで英米側の工作員を仕留めていますし、念の為仲間について聴取しています。
どちらも、互いの本名は不明だが、3人とも男性で、英語でコミュニケーションを取っていたが、二人は英国英語、一人は米国英語だったことも分かっています」
「するとその3人目の工作員というのが今回の狙撃手で美国の工作員なのだな?」
「間違いないかと。
香港とタイは英国英語ですし」
「わざわざ米国或いは近隣国から派遣して私を狙わせたということは考えられないか?」
「可能性はありましたが、ダークウェブには全くそういった情報がありませんでした。あくまでも日本での狙撃はローカル、つまり地域限定の作戦だと判断できます」
「誰も国境を渡っていないのか?」
呉は一瞬考えてから秦の質問に答えた。
「どちらかと言いますと白虎の日本入国情報が流れていたり、明華が特定されるような情報が見つかっており、我が軍中央に潜入している工作員がいる可能性を探る必要があるかと」
「そうか。
本部に通知しておこう。
少佐、統合参謀本部と党軍事委員会宛に個別案件名を挙げずに情報管理の徹底を依頼してくれ」
「は、了解しました。
すぐに対応いたします」
「ああ、宜しく頼む」
呉は敬礼して一歩下がった。振り返ろうとした瞬間、秦が話しかけた。
「少佐、私の入院中もすみれを監視していたそうだが」
「は、米日への内通の可能性を、一応」
「ありがとう。
結果は?」
「正直なところを申し上げてもよろしいでしょうか?」
「ああ、問題があるなら対処しないといけないからな」
「あの方は大佐のことを心配していました。
内通の事実もなく、ただ本気で心配していたように見えました」
「そうか、すまん。
聞いて安心した。
とても優しい女性だ。
君に何かしてもらうことはないな」
呉少佐は、秦大佐を少し怖いと感じて、今の発言の意味するところを頭の中で反芻した。私に何かさせるとしたら、あの女性を殺すこと以外にないだろう。優しい女性だと言い、奥方に隠れて関係を続け、あれだけ気に入っているのに、何かあれば平気で殺してしまえと命令できる冷徹さがないと諜報の世界では生き残れないことは分かっているが…。
「少佐、明華に鉄矢をサポートさせて、すぐに月女神を仕留められないか?」
「と申しますと、すぐに鉄矢を投入しろと?」
「香港とタイが片付いているのなら、この際、日本国内の脅威も取り除いた方がいいだろう。
せっかく迫っているなら、このままカタをつけてしまった方がいい」
「ご指示とあらば、本部に大佐名で申請を出して、明華が鉄矢をサポートし、早急に決着を付けるよう指示します」
「この際だから処理してしまった方がいいだろう。
今後の我れらの活動への制約、脅威は取り除いておいた方がいいだろうし、美国の工作員ならば日本国は口を出さないだろうし」
「は、承知しました」
呉は敬礼し、頭の中を整理した。大佐の指示をどの順番に実行したら最も効果が出て、我が国のためになるのか考えた。
「それとすまんが、来週、妻の誕生日なんだ。
君の奥方に聞いて、何か相応しいアクセサリーを探しておいてくれぬか?」
「は、承知しました。
多分、欧州系宝飾店のネックレスあたりが良いかと思いますが、妻と相談します」
「ありがとう。
問題は木曜日だってことだ」
呉少佐は少し首を傾げた。木曜日の何が問題なのだろう?あ、大佐は愛人と過ごすと約束していたのが、木曜日だった。
「木曜日は遅くまで本部と会議ということになっておりますので問題はないかと」
大佐は、愛人のウィオラと会うため、木曜日には会議があることにしていた。
「そうだったな。
金曜の晩にディナーに連れて行くことにすればよいかな」
「こちらも妻と場所を探しておきます」
「いつもすまんな。
本来ならば私の世話などせず、玄武班を率いてインド軍などと戦っているところだろうに…」
「いえ、妻にも良くしていただいていますし、日本で生活させていただいていますので」
呉は軍内で伴侶と知り合い、秦大佐が二人の仲人的な役割を果たしてくれたおかげで、呉は「ミス南方方面軍」と綽名される美人と結婚できたのだ。元々党幹部の娘で、父親は影響力のある人物だが、呉は実力で軍内で出世してみせると妻に約束していた。その代わり、妻にも協力を仰いで上司や大使館の同僚の様々な依頼に対応していた。
呉が美人な妻の顔を思い描いていたところ、秦が放った言葉が耳に残った。
「もし、ウィオラに何かおかしなことがあったら遠慮なく言ってくれ。
あれは優しい女性だが、その優しさが仇となるなら、摘んでおかねばならん」
すみれ=ウィオラは花だ。危険なら摘んでしまえ、か。
呉は妻を大切にしたいし、愛人を持つようなことをするつもりはなかった。万に一つ愛人を持っても、その愛人を人として大切にし、花を摘み取るように殺せるほど冷徹にはなれないと自分では思っていた。いや、思いたかった。
階段を下りながら、呉は本部に送る申請書の文案を考えていた。大使館内や我が軍内部のことはともかく、ここまで25年も不明だったターゲットに迫っているのだから、このチャンスを活かさなかったら、またいつ月女神を仕留めるチャンスが回ってくるか分からない。
早急に明華と鉄矢に月女神の処理を指示せねば。ヤツの凄腕がどこまで我が軍のエリート暗殺集団、そして、エリートスナイパーに通用するのか、見定めたい。