天使と悪魔・聖アナスタシア学園(24)
第二十四章
~父と子と社会の規範と~
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アメヌルタディドは礼拝堂の屋根の上でユータリスと話していた。彼らの視線の先には足元の礼拝堂へと続く行列があった。亡くなったサクラのお別れの会がこの礼拝堂で営まれていた。
「お前にしては随分と趣向もなく、困らせる時間も取らずに殺してしまったものだな」
「申し訳ないと考えています。
アルゲースがケラスースをびっくりさせようと並木道の大木を狙って雷を投げたところ、大木は割れず、雷が濡れた木の表面を走り、真横にいた女子生徒が乗っていた自転車という鉄の乗り物に中ったのです」
「母子相殺となるはずだったのに、つまらんことになったな」
「アルゲースを罰しますか?」
「そういうことはどうでもよい。
つまらなくなったな、と言ったのだ」
「ヴィオラに母殺しか父殺しをさせる案に変えましょう。
学生の友人の死は友人本人たちに影響するのはもちろん、彼女らの親もまたいろいろと考えるところでしょう」
「ほお、彼女の両親は何か問題を抱えているのか?」
「父親が数年前から会社の若い女性従業員と不誠実な関係を築いており、母親が気が付いているのですが、どうしたら良いのか悩んでいます。
そこで、娘の同級生の急逝で父親に対し、母親がそういうことをやめてと訴えれば家庭内の紛争が始まり、受験期で神経質になっている娘が爆発すれば、両親も連鎖反応を起こすでしょう」
「しかし、なにゆえ、その受験というもので年ごろの子供たちを困らせるのだろうか?」
「国の法や経済の水準を維持するために選抜を繰り返すのが東洋世界の数千年前からの習わしで、中国の科挙や日本の入学試験や公務員試験などはその典型例です」
「能力ある者が政治を行い、資産のある者が資金を提供し、労働力を提供する者が労働すればよいのではないのか?」
「社会のより高い層に進むには選抜を繰り返し、より高い層に属する伴侶を見つけ、その生活を維持することが大事となっているのがこの国の社会の仕組みです」
「しかも、金銭が評価の基準となっているとは」
「古きナザレの人々ならば羊の数で表された富が、この国では百五十年ほど前までは金の保有量でした。
今は銀行と呼ばれる組織に預けている金の量で富が表されますが、実際に金そのものではなく証書で毎日の取引をしています」
「おお、彼らはそれをお金と呼んでいるな。
実際にはほとんど価値のない紙に価値を持たせるなど、悪魔でも思いつかないすごい方法だ。
詐欺とか、欺瞞だとか、誰も思わないのか?」
「近代国家の制度として、その紙が価値を持つものとして扱いましょう、という約束事があるそうです。
貴金属は量が限られているから価値が維持できる点が優れているのですが、金の量は増やせないために経済成長に限界ができてしまいます。
紙ならば働いたら増やせるということで国民の富、国家の富が増大します。
大航海時代のように金や銀を探しに危険な冒険をしなくてもよくなった点は評価できますが、脆いシステムとしか言いようがありません」
「それが好不況の経済循環だろう?
自分たちの人生が自分たちが作った社会の仕組みに翻弄されている現実を変えようとしないのはどうしてなんだ?
儂には理解できん」
「不思議に感じられますが、経済状態が良い時の全体の幸福感の増大が大切なようです」
「『最大多数の最大幸福』のことか?
みんなが幸せになれる社会の仕組みは本当に可能なのか?
カールが提唱した社会の仕組み、『共産主義』と呼んだと思うが、は結局半世紀ほどしか持たず、多くの民が失望して消え去ったではないか」
「この国の隣の国、今の中国が数少ない共産主義国として残っています」
「しかし、実態は都合よく共産主義の看板を掲げながら資本主義を追求しているよな?」
「そうですね、やはり共産主義に限界があったというアメヌルタディド様のご意見は正しかったのですね」
アメヌルタディドは顎髭をいじりながら、ユータリスに次のヴィオラの件の趣向を整えるよう指示した。
「この結婚という制度も時代に合わないとか、この国に合わないとか、何か問題はないのか?」
「あるから『不倫』、あ、これはこの国で結婚の約束に反した行為がそう呼ばれています。結婚という約束に違反して他の異性と性行為、肉体関係を持つことは、法的にも社会的にも罰せられる行為となっています」
「それにしてはよく見かけるぞ」
「この国に合わない制度なのかもしれませんが、親子関係をはっきりさせないと富の分配と独占の権利がはっきりしませんので、婚姻関係外の親子は存在しないことにされています。
実際に存在したとしても、財産の分配に立ち会うことすら許されない仕組みでした。
キリスト教的家族観の弊害といえます」
「よくみんな我慢するな。
為政者の首を切り落としてでも制度を変更しないと明日のパンが食えないではないか」
「民主主義の弊害です。
無能な為政者が治め続けることが許される国だからこそ経済は停滞し、富が偏在し、社会がギスギスして小さなイザコザが繰り返されるが、根本的な解決が数十年も先送りされ、社会が疲弊しています」
「そして、我がファンの女子生徒のように別の世界の力を借りて、小さいながらも自分たちの欲望を満たそうと行動するわけか」
「やや単純化されていますが、そう言えます。
大変革のチャンスが百五十年前の為政者の大きな交代の時にあったのですが、為政者層が変わらず、その中での権力の譲り合いで終わりました。
次が大戦争に敗れた時に古い制度を捨てるチャンスではあったのですが、伝統的な制度と舶来制度の融合をうまくやり過ぎたため、現状では国民性に合わない社会制度となっていて、矛盾を抱えたまま親子関係、友人関係を築かないといけない状況です」
「古のナザレ人のように富める者が皆の面倒を見る、働く者が物を作る、ではいかんのか?」
「無能な者も富を求め闘争します。
富める者が富だけでなく、男女ともに様々な物を独占します。
持たざる者が大量に発生して、社会が不安定化します」
「それはその者の努力が足りないのではないか?
或いは能力がないのだから、能力の範囲で生活を営む謙虚さがないのではないか?」
「近代国家が大切にしてきた『平等』というルールです」
「平等なのはその能力に応じて、財を持つことが許されることではないのか?」
「それをしますと近代以前の『力が正義、力が判断基準』という野蛮な世界となってしまい、社会が安定しません。
あちこちで問題が起こって、我々も手を焼くことになります」
「そうだな。
本当に人間は社会を不安定化させ続けるよのう。
我々のように彼らの考えを読み、能力を測り、適所において働かせればよいものを」
「人間社会はまだそこまで発展していません。
だからこそ神の国と地上とは離れていて、近づくことがないのです」
「父は楽しい遊び場だと思って人間の女にうつつを抜かしているし、母も時々人間の男に悪戯をしている。
良くも悪しくも兄者たちは天界と地界をどう治めようか真面目に取り組んでいるな」
「は、立派な大天使様だと思います」
「儂はそれが気に入らんのだ!
能力に応じて治める天界の範囲を定めると言えば儂の気も済むのに、長子相続とか、双子分割とかが伝統だからそれに従うと言わなければいいものを!
そういえばモンゴル帝国は末子相続ではなかったか?」
「それは帝国を長続きさせるための知恵で、自然の摂理に反する行為だったことからすぐに帝国が分割され、長続きしませんでした」
「そうだったな。
しかも父も母も兄者たちもほぼ永遠に生きるのだから、儂の出番は結局ないではないか!」
ユータリスにはそれに対して発することができる言葉がなかった。アメヌルタディドが分をわきまえ、天界の軍隊の副将として兄ミカエルに従って悪魔の軍団を倒して平和をもたらす手伝いをする気持ちになってくれれば、多くのイザコザが解決するのに、この弟は兄たちよりも自分が優れていると思っているところに問題がある。
自分で分をわきまえて自分の役割に徹するなら平和はすぐにでも訪れ、父からの評価も上がって、より多くのことを任されることになるだろうに、そこは我慢できないらしい。兄たち双子の大天使に比べ、戦闘力と統率力では劣るところはほとんどないのに、野望が大きすぎるのが弱点だ。それですぐ上の兄であるルキフェルを陥れようとしたから、地上の混乱が始まったのだ。