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羽生書店(02)

 武田がC県の大動脈・S線にある駅に田口から呼び出されたのは9月のある木曜日だった。
 ここから米中央情報局工作員・田口静香たぐち・しずかの冒険『六闘りくとう三略さんりゃく』より、『羽生はにゅう書店』の巻が始まった。


 伸びをした店員は客にニコッと微笑んだ。 

「あ、失礼しました!
 お探しの本は見つかりましたか?」
「あ、ああ、この雑誌と、あったらこの前の号は有りますか?」
「前の号は基本的には置いていないのですが、それは昨日入れ換えたばかりですので、ちょっと確認しますね。
 『ドライバー・アンド・ロード』の9月号ですね。
 少々お待ちいただけますか?」
「あ、ああ、お願いします」

<これで在庫があれば、豊かな胸を強調しただけで2冊売れることになる。書店業界は薄利多売だから、多く売れるに越したことはない。もちろん、一般の客はほしい本が手に入り、ちょっとセクシーな景色を見られたということで満足度が高いだろう。しかし、こんな書店があるのは知らなかったなぁ。巨乳、いや羽生書店か>

 武田はそのすぐ後、ビクッとなった。レジの店員が電話に出たのだが、はい、羽生書店です、と答えた後、すぐに店長に代わったのだ。何かあったことを感じさせる対応だった。

「君、奥から13日の返品予定の箱を持ってきてくれないか?」
「はい、13日の分ですね」
「そうだ」

 そこにルンルンな感じの田口が戻ってきて、「旅行、楽しみ~」と甘えてきたのだ。

「その雑誌を買うの?」
「うん、上高地の特集よ!」

<このまま本当に連れて行くことになりそうだ。そうなったら、のぞみになんて言い訳をしたらいいのだろう?出張だからと言っても、国内だったらついて来れるし>

「のぞみさんなら大丈夫よ。
 会議の準備期間に哲也さんが出張になったら、ついて来れないから」
「それはそうだが」
「上高地、行きましょ、ねぇ、あーなーたー」

 ギュッと胸を押し付けてくる田口に戸惑いながら、レジに来たら、田口はふいと腕を解いた。

「ごめんなさい、あなた、もう一つ欲しいものを思い出したの。
 店員さん、C言語のインプット・アシスタンスのテキスト有りますか?」
「あ、はい、3番通路の右奥、コンピューター言語の棚にあると思います。
 見つからなかったらお声がけください」

 武田は田口のリクエストを何となく聞いていたが、C言語のInput Assitanceのtextと聞いて、頭文字を繋げたら、CIA=米中央情報局になると気づいて、驚いた。本当にCIAの指示書をここでやり取りしているのだ。

<ということは、この魅力的な巨乳の店員たちは田口の後輩や次世代の工作員達なのか?>

 田口は振り向きながら、右奥の棚のある方を指差した。

「あそこね、ありがとう。
 あなた、ちょっと待っててくださる?
 データ交換のモジュールについて知りたいの」
「あ、ああ、探しておいで」
「ありがと」

 田口は武田の二の腕を撫でながら離れて行った。屈んでカウンターで何かを書いていた店員が姿勢を正した。168センチ、寸法は不明だが、少なくとも田口と同じEカップ、いや、もっとありそうな胸をドンと示し、武田に微笑んだ。

「素敵な方ですね」
「え?」
「奥様」
「ああ、ありがとう」
「仲が良さそうで」
「はぁ、まあ」

 田口が技術系の雑誌を手に戻ってきた。

<本当にそれを読むの、静香?>

「ごめんなさい、もしかしたら買いそびれてしまったかなぁ?
 これの前の号の特集が何か調べることはできますか?」
「はい、こちらに移っていただいて、少しお待ちいただけますか」

 店員は検索用のパソコンが置いてあるカウンターの一角へと二人を案内し、すぐに検索を始めた。

「前の号は9月号となりますね。
 特集は画像処理のインターフェイスのアップグレードとなっております」
「やっぱりほしいわ、その号
 もう在庫はないかしら?」
「お調べします。
 実は昨日雑誌の入替えを行いまして、いくつかは在庫としてストックしていますが、対象の物があるかは見てみないと」
「あ、お願いします。
 録画した物の解像度を上げたいので」

<ちょっと待てよ、録画した物の解像度を上げて、何を細かく見るの?>

「ねぇ、静香、どんな映像、画像を細かく見るの?」
「もちろん、仕事で録画した記録映像よ。
 社外の人には見せられない資料映像で、結構映像も音声もしっかり録画されているんだけど、もう少し細かいところを確認したいし、音声もしっかり確認したいから、機器のアップグレードを考えていて」
「ふーん」

<いやいや、それって僕の監視映像の解像度を上げたいということよね?音声も?もしかして、僕がいない間に、刘が中国語で何を話しているのを解析したいのかな?そうなら、別にマイクを仕掛けた方がいいのでは?>

「解像度を上げて何を見るの?」
「今の技術は凄くて、目で確認できなくても、実は髪の毛一本まで録画されているので、それを確認しようと」
「毛の一本一本まで?」
「そう、毛の一本一本までよ(うふ)」

 田口が「うふ」と含み笑いをすると碌な事がない。だいたいが武田をがんじがらめになるような提案をされ、否定しようが抗おうが田口の掌の上で転がされるのがオチだった。

 店員は奥から戻って、二人を見つめた。

「すみません、在庫はありませんでした。
 申し訳ありません」
「いや、いいですよ、1か月も気が付かなかったのですから。
 それではこちらをお願いします」

 田口は上高地を特集した旅行雑誌を差し出し、武田の腕に自分の腕を通して、ニコニコした。
 武田は財布を取り出し、3980円を払い、田口はニコニコして学生のように大事な旅行雑誌を胸に抱え3ていた。

「旅行雑誌って最近、高いんだね」
「カラーだし写真が多いからかしら?
 雑誌に限らず、税金が10%になってから特に高く感じるね。
 もっとも、外国の方が10%を越えてたのが早かったけど」

 田口はルンルンしてデートを楽しんでいるようだった。武田の耳元に口を寄せ、店員について聞き始めた。

「あのレジの高橋という店員から何か言われませんでしたか?」
「いや」
「通路の田中は?」
「探している本はないか、聞いてくれたよ」
「その時、前の号はないか聞いている人はいませんでしたか?」
「ああ、田中さんの胸を、鼻の下を伸ばして眺めているおっさんがいたよ」
「大きく重たそうな胸でしたか、田中さん?」
「多分FかGだったね」
「携帯電話、会社支給の、を出して、トラッカーを起動してください」
「ん、なぜ?」
「そのおっさんが今回のターゲットで、田中さんが渡した本にトラッカーが入っています。
 時間制限は3時間です」
「3時間以内に処置するの?」
「はい、私が」
「その間、僕はどうするの?」
「私のアリバイを証明してもらわないと困るから、今日はこのまま13時23分までは絶対一緒に行動してね」
「それはいいけど、どこで、どうやって?」
「さすがに私達はデート中なので、彼をホテルに誘うようなことはしませんよ。
 ホテルは二人の午後の楽しみに取ってあるわ」
「じゃあ、路上で?」
「それは大胆過ぎるよ、いくら私でも」
「どこで?」
「電車の中で」
「え、どうやって?」
「さあ、何がいいかな。
 刺したり切ったりしたら、血が出て大騒ぎになるからダメですよね?」
「それはもちろん。
 ホームにはホームドアが設置されていたね」
「となると毒物かなぁ?」
「それも大胆だな」
「じゃあ、これはどうですか?」

 田口はクイズのような質問を始めた。
 武田は田口を見つめ、頭の中ではクエスチョン・マークが踊り続けていたが、なんとか考えようとした。

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八反満
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