月と六文銭・第十七章(01)
0.タケダ,テツヤ:スナイパー、B級、アジア
Takeda, Tetsuya: Sniper, Classification: B, Region: Asia
アサインメントを確実にこなすことで最上級の評価を受けていた武田だったが、毎度暗殺を実行して人を殺していたわけではない。むしろ人を殺さずに目的を達してきたことが評価されていた。アジア一の腕前なのは間違いなかったが、アジア限定ということで米中央情報局の外注狙撃手分類ではB級(地域制限付き)にリストアップされていた。
諜報機関は情報収集は本体で行うが、作戦実行は軍事会社か諜報機関出身の個人に外注するのが主流となっている現在、目的別、案件別に対応を依頼する。
武田が地域を限定して任務を受けることを選んだ理由の一つは、アジア人が西洋社会では目立って仕事がやりにくいからだった。いかに白人社会で黄色人種が目立つか、アジア人の少ない欧州や米国の地方に行ってみなければ分からない。それを若い頃に経験した武田が当然の選択として自分の活躍の場をアジアに限定したのだ。
ところが、アジア限定で活躍していると日本だけでなく韓国、北朝鮮、香港、中国、台湾、シンガポール、タイなどでも任務をこなすこととなる。そして、その間に他の諜報組織に自分の存在が捕捉される可能性が高まることもあった。
1.ザ・ビッグ・ディック
Takeda, Tetsuya: The Big Dick
証券会社は定期的に投資家向けの説明会や資産運用会社の社員向けのセミナーを開催して、情報提供やハウスビュー(会社の公式見解)の説明を行っている。若手アナリストやファンドマネージャーにとっては、スキルアップの機会でもあり、情報収集の場であり、互いに面識を得る場ともなっている。ベテランにとっては経営者とじかに話す機会であったり、証券会社のアナリストやエコノミストと情報交換して投資方針に反映させる良い機会でもある。武田の所属するAGI投信からも若手を出席させていたが、面白いテーマの際には武田自身が参加することもあった。
今日は野本証券のグローバル投資セミナーで、東欧とアフリカへの投資に多くの時間を割いていたため、武田も参加し、野本証券主任エコノミストの山内孝雄と彼の『東欧見聞録』の内容について意見交換した。『東欧見聞録』は山内が定期的に発行している東欧リサーチ・レポートの名称で、彼が定期的に東欧に取材に行っているものをまとめたものだ。冷戦終了後、鉄のカーテンが撤去されてからようやく実態が世界の目に晒されたわけで、日本では情報不足が続いていた東欧について比較的充実した情報を提供するレポートだった。
武田は証券会社のセミナー終了後に東欧系スーパーモデルのBeatrice Kluzhkov(ビアトリス・クルシコフ)と食事をしていた。
若い連中は、爺やベテラン層の武勇伝には興味がなく、自分たちで集まって給与や待遇、上司の悪口で盛り上がりたいため、研修後にセッティングされた交流会を早々に去って、少し離れたレストランに移るのがトレンドだった。
武田の若い頃と比べると証券会社のイベントはずいぶん軽く扱われるようになっていたのを残念に感じていたし、武田も若い頃からこの業界にいたら、上司の文句を言い、給与が安いと嘆き、隣の芝生は青いからと転職を繰り返しただろう。しかし、残念ながら、ある程度実績を積んでからこの業界に移ってきたため、初めから批判される、或いはゴシップの対象となる層に属していた。
武田にしてみたら「これだけの実績積んでから、文句を言え」と言いたいところだったが、彼自身、確かに若い頃は役所の上司の無能ぶりをあげつらって同僚と盛り上がっていた時期はあった。
若者が集まると決まって老害と処遇の低さをネタに飲み会が盛り上がるのは、何も今に始まったことではない。しかし、ジェネレーションZが社会人となってからは横の情報の共有が格段に上がり、噂の伝達力の高さと信憑性が前の世代とは段違いとなっていた。
ビアトリスからは見えるが武田からは見えない位置のテーブルに案内された若者7人はテーブルを囲んで誰が"ザ・ビッグ・ディック(=くそ野郎)"かで盛り上がっていた。自社の上司だったり、取引先の傲慢な担当者だったり、戯言のオンパレードだった。
しかし、7人のうち2人がAGI投信の若手らしいことに気が付いてから武田は耳を澄ませて発言を聞いていた。会社の金で研修に出させてもらっているのに、こういうことをやっているかと思うと、コイツら大したことないな、の証拠にしかならなかった。確かに研修本編は終わっているから何をしようと自由ではあるが、他社のアナリスト、エコノミストと知己を得る絶好の機会なのに、それをせずにゴシップ・タイムとは…。もちろん、武田もやり玉に挙がっていて、散々な言われようだった。
「うちの本部長なんてイケメンでもないくせにモデルと付き合っているらしい」
「絶対、金の力だよ」
「へぇ、どんなモデル?」
「外国人のスーパーモデルらしい」
「うそ、日本人で釣り合う奴なんているの?」
「英語はスゴイらしい」
「あそこがデカいとか?」
「さあ、でも、あの年で結婚してないから、ゲイという噂もあって」
「両刀遣いか!
メチャ、セックス上手そう!」
全員が大笑いをした。
「なぁ、どこのモデル、そのスーパーモデルって?」
「ニューヨークで知り合ったらしい」
「金髪かぁ!
いいなぁ」
「結構Mでモデルにいろいろやられたりして」
「モデルって言ってもいろいろいるしね」
「どうせたいしたモデルじゃないんじゃないの?
自称モデルとか、日本で言う読者モデルとか」
「そもそも、モデルとスーパーモデルってどう違うの?」
「国際的に活躍しているのをスーパーモデルというらしいよ。
パリとかミラノの有名なファッションショーに出ているとか」
「へぇ~。
でも、スーパーモデルって意外と胸小さいよな」
「そうか?
あれって水着で抑え込んでいて、インスタとか見るとかなりデカいぜ」
「それに俺らの年収の十倍は稼ぐらしいからな」
「え、そうなの?」
武田は立ち上がって、静かにそのテーブルに近づいて、全員を見回しながら話しかけた。
「こんばんは!
渡辺さん、鈴木さん、今日の研修はどうでしたか?」
二人の酔いが一気に覚めたのが他の5人にはすぐに分かった。二人が起立し、直立不動で武田の顔を見ずになんとか返事をしようとしていた。武田は二人を見た後、他の5人に目を向けて、話しかけた。
「あ、ごめんなさい。
申し遅れました、私、この二人の同僚の武田と申します。
よろしかったら、名刺交換をさせていただけますか?」
武田はティファニーの銀の名刺入れを出して、残りの5人と名刺交換をした。5人はそれぞれ名乗りながら名刺交換に応じた。
「大日生命の森です」
「野本アセットの相葉です」
「大東京海上の斉藤です」
「みどり生命の島田です」
「第一アセットの小野寺です」
「せっかく盛り上がっていたのに、お邪魔してすみません。
うちの二人がいるのを見つけたものですので」
「よ、よろしくお願いします!」
「せっかくなので、渡辺君、これを使って、皆さんで楽しんでください」
そういって武田は渡辺に3万円を渡した。
「は、すみません。ありがとうございます」
渡辺は手が震えていた。武田がレストランや飲み屋で部下や若手を見つけた時、食事代や飲み代を出してくれるという噂を聞いたことがあったが、本当だったことを今回知った。
「それでは、私はこれで」
「は!部長、すみません」
渡辺と鈴木は頭を下げ、他の5人は軽く会釈した。武田は軽く手を挙げて今夜のパートナーを呼び寄せた。
「Beata, let's go star chasing!」
「Sure!」
武田はわざと彼らの前にスーパーモデルのビアトリス・クルシコフを呼び寄せた。
「These two are from the firm and these five are all young analysts from other firms」
社の2人と他社の若手アナリスト5人をビアトリスに紹介した。
「Hi, nice to meet you all!
I'm Tetsuya's friend Beatrice Kluzhkov」
ビアトリスは手を出して、全員と握手した。彼女がファッション誌の表紙に載っていたのを若手の一人が気が付いたのだが、その場では何も言わなかった。
ビアトリスが武田と腕を組んで店を出て行くのを見届けてから、再びゴシップタイムが始まったが、正直なところ、全員が圧倒されていた。
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