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月と六文銭・第二十一章(01)
アムネシアの記憶
記憶とは過去の経験や取り入れた情報を一度脳内の貯蔵庫に保管し、のちにそれを思い出す機能のこと。
武田は複雑かつ高度な計算を頭の中だけで計算できた。スーパーコンピューター並みの計算力ではあったが、それを実現するにはある程度の犠牲を伴っていた。
<前回までのあらすじ>
韓国パク・ジウン大統領が訪日、前半のスケジュールを順調にこなし、後半のハイライト、安政大学の隈田講堂で講演が行われたところ、挨拶に立った大統領の後ろに控えていた祖国党幹事長チョン・フンハが右肩を撃たれた。
パク大統領はその場を離れ、韓国大使館に逃げ込んだ。チョン幹事長は、病院に運ばれたが命に別状はなかった。
内閣府内閣情報室直下に位置する対テロ特別機動部隊、別名「鈴木班」は、韓国大統領への狙撃直後、広範にわたり、容疑者などを尋問して狙撃手逮捕への取り組みを進めていた。
01・運用戦略会議
職場での武田は、何の不安も不満もなく、会議を取り仕切り、方針を立て、甘い予測をする部下に切り込んでいた。
会議に出席していた武田の恋人・三枝のぞみは「やっぱり、哲也さんはスゴイ!」と思った瞬間、自分の運用プランの甘さを指摘され、詰められて、泣きそうになっていた。
<そう、ここは職場、甘えようなんて私が間違っている>
のぞみは勇気を振り絞って武田の指摘に反論した。会議の場が一瞬凍り付いた。ベテランの副田が反論するならまだ武田も持論の正当性を証明しないといけないかもしれないが、のぞみ初め、若手は自分のプランの正当性や確固たる根拠を示すことは難しく、「こう思いました」とか「こうなると思います」としか言えず、いかにその根拠が甘いか、反論と反証を示され、ほとんどの若手は撃沈していた。
「三枝さんのプランだと、お客様の資金が2%減る可能性がありますよね?
どちらかにベットするのはいいと思いますが、後でその根拠をお客様に説明できますか?
『いやぁ、たまたまマーケットが逆に振れたので損失が出ました』では納得いただけないと思います」
「は、はい。
マーケット予測では1.2%のグロースとなっていまして…」
「副田さんの半導体需要予測を見ていますよね?
引き続き3%以上の需要超過で供給不足は長引きそうです。
それに、フロンティアマーケットのフォーキャストを佃部長が今朝アップデートしてしますが、そのデータは三枝さんの予測に反映されていますか?
台湾、ベトナム、インドネシアの鉱工業指数のリバイスもあり、中国もいよいよ8%成長が厳しくなりそうという見方ですが」
「は、はい、すみません、まだ佃部長の予測が反映しきれていなくて…」
「今朝8時35分に出た物ですから、まだ反映できていないことは十分理解できますが、お客様に説明する3日後にはきちんと反映しておいてください。
私たちのミーティングでは、この数字がどっちに振れるかの予想も含めて運用プランを立てる必要があると思います。
プランAかBかCを用意しておいて、佃部長のビューが出た時には、それに最も近いものをこの会議で示したら多くの人が納得いくプランの作成ができていると判断すると思います。
ね、渡辺さん?」
外部研修後の私的飲み会を武田に目撃され、武田がスーパーモデルのビアトリス・クルシコフと一緒にいるところの目撃者となってしまった渡辺弘明はすっかり大本営の一員になっていた。
「はい、今回私は1.5%の成長、ゼロ成長、1.5%のマイナス成長のシナリオを用意し、プラスの1.2という数字が出たので、1.5%の成長シナリオを採用、微修正しました。佃部長の中国の予測は衝撃的でしたが、実際に7.2%の着地でしたので、中国シナリオは修正せずに本日皆様に配布しています」
渡辺の発言を受け、武田は指摘事項をまとめた。
「三枝さんはアナリスト試験の初級を先日取得されて、シナリオ作り、プラン作成にもだいぶ慣れたと思いますが、可能性の高いプランとリスクシナリオのファイン・チューンを頑張ってほしいと思います」
「はい!」
「それでは副田さんから今週の重点確認項目を発表してもらいます」
武田の副長格である副田副部長兼リサーチ班長は渡辺ら若手のシナリオをまとめる役割も担っていた。その段階でシナリオから大きく外れているプランに気が付くのだ。もちろん副田もいつも正しいとは限らず、そこは武田に敵わない点だった。武田のシナリオはまるで歴史をたどっているかのような正確さで未来を予測していた。
そして、会議が終わるや否や議事録を全員にメールしてくるのだ。
「げ、もう来てるよ!」
渡辺が叫び、のぞみも、一年先輩の土屋良子も渡辺のPC画面を見て青くなっていた。
副田によると武田は官僚出身で議事録作成が若手の仕事だったから得意なんだと説明されたが、それにしても早い。自分たちが席に戻るや否や届くのだ。
「すご過ぎる…」
のぞみもこれには青ざめるばかりで、議事録担当の土屋はもう焦りまくりだった。
「私、まだデスクPCを開けてもいないのに…」
のぞみは土屋に武田の万年筆をそっと渡した。
「また忘れていったから届けながら」
「うん、そうだね、ありがとう。
ね、一緒に行く?」
のぞみはコクンと頷き、土屋と一緒に武田が会議室に忘れた万年筆を持って部長室に向かった。
オープンドアポリシーの武田の部屋の扉が開いていたので、声をかけてもいいということだった。
「部長、会議室に万年筆を忘れられています」
「あ、ありがとう!
お、留学二人組じゃないですか!」
「は、はい」
「どうぞ、入って、座って」
「はい、失礼します」
二人は武田の机の前に進み、土屋が万年筆を机の中央に置いてから、二人は同時に座った。
「だいぶ慣れましたか、運用戦略会議に?」
「はぁ、ペースが早くて議論についていくのがやっとです。
議事録を書く余裕がまだなくて、すみません」
「追々慣れて、タイムリーに書いてくれたらいいですよ」
「ありがとうございます。
しかし、議事録を作るのが部長の仕事ではないことは十分理解しています。
先日も副田さんから『もう少し頑張れ』と注意されました」
「なに?
副田ちゃんがそんなことを言ったの?
厳しいねぇ!
土屋さんも三枝さんも運用戦略会議に参加してまだ三、四か月でしょ?」
「はい、そうですが、無理を言って参加させてもらっているのに、役に立っていないのはさすがにまずいと二人とも自覚しています」
「誰ですか、そんな厳しいことを言っているのは?
副田ちゃん?渡辺さん?」
「誰が、ではなく、私たちが自覚しているということです」
さすが土屋、誰かに指をさすことなく、話を進めることができる才覚の持ち主。人事からも彼女の年次では一番の出来との評価だった。隣に座っている三枝も年次ではトップで同期よりも資格が一つ上、つまり土屋の同期と同じに、半年前になっていた。土屋は三枝の一つ上の資格に同時期に上がっていた。
「君たちはそれぞれの年次では最も優秀だそうだね」
「昇格発令は受けていますが、運用戦略会議ではお荷物状態で議事録すら満足に書けていないのが現実です。
すみません」
「言っておきますが、僕は意地悪をするつもりで書いて送っているのではないですよ。
みんなが会議の結果を受けてすぐに動けるようまとめているだけです」
「それなんですが」
武田は笑顔を崩さず、続けるよう促した。
「私たちが出すまでは部長の議事録を送らないようお願いできますか?」
のぞみはびっくりしていた。土屋がそんなことを言うとは思っていなかったのだ。
もちろん、武田が怒ったとしても、怒鳴るとか、机を叩くなんてことはしないと思っていたが、さすがにこの発言に怒らない人はいないよね、とは思った。
「今、言いましたように、僕のはメモでしかないです。
会議録として登録されるのは担当者が作成した議事録で、君たちの前は渡辺さんが一生懸命作成してくれていました」
「お言葉ですが、渡辺さんは涙を流しながら必死に作成して、送っていました。
部長が意地悪をしているとは誰も思っていませんが、早過ぎて私達ではどうにもならないのです」
「いつもの私の愚痴になってしまいますが、民間は鍛え方が甘すぎます。
役人を馬鹿にする前に彼らより上に行くことです」
「部長が官僚をされていたことをみんな知っています。
役人を馬鹿にしている人なんていません。
しかし、どうやってもかなわないとなるとモチベーションが上がりません」
「ならば、こうしましょう。
二人で分担して議事録を作成するというのはどうでしょうか?」
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