月と六文銭・第四章(3)
武田は、自分の部屋でリラックスしていた。大学2年次に米国に留学した12か月余りの間に受けたトレーニングを思い出していたが…
~オーディオ・システム~
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武田は部屋の壁に組み込まれたシステム家具のオーディオでCDを聞いていた。
システム構成はオーディオマニアの先輩に教わった原則に従って、コンポーネント(構成部分)ごとに高性能なものをOFC(oxygen free copper、無酸素銅)ケーブルでつないだものだった。
CDプレイヤーはデンオン(今はデノンという)のDCDシリーズのリミテッド・エディション、プリメインアンプは同じくデンオンのPMAシリーズの、こちらもリミテッド・エディション、そして、スピーカーはB&Wのノーチラスだった。
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ノーチラスはその名の通り、オウムガイの様に渦を巻いたデザインのスピーカーだった。しかも、ボディが真っ黒。
ガールフレンドののぞみが初めて見た時は、文字通り目が点になって、口が塞がらなかった。
「このスピーカー、エイリアンとか生まれそう」
訳の分からない感想を発したのが、その衝撃の大きさを物語っていた。
しかも、のぞみの好きな曲を掛けたら、家やヘッドホンで聞くのとあまりに違うので、違うCDを掛けているのではないかと、のぞみはCDプレイヤーのトレイを開けて確認したほどだった。
「CDってこんなに細かい音まで入っているのね」
「あぁ、今のデジタル音楽は上や下や細かいところをカットしているから、全然聞こえないんだ。
本来は音の違いや楽器の聞き分けが可能なんだよ。
僕の大学の同級生なんて編集の切れ目まで聞き取れると言っていたけど、僕はそこまでは分からない。
交響楽では何番ヴァイオリンがズレたとか分かっちゃうから、プロの演奏家といえど油断できないし、何度も何度も演奏して、一番いい部分を繋いでいくのが今の作り方の主流だから、彼にはその切れ目が気になって仕方がなかったみたいだよ」
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今夜、武田が音楽を聴き始めた時間が少し遅かったので、本体にケーブル経由でヘッドホンを繋いで聞いていた。
本来は交響楽などを聞くための構成のはずが、なぜか西海岸サウンドの代表選手・ビーチボーイズ(The Beach Boys)の楽曲を聞いていた。
「あの夏のカリフォルニアが今の自分の原点だったから」
そんなことを言いながら、自分の生まれる前からこの仕事を始める前までの時代、1963年のサーフィン・ユーエスエー(Surfin' USA)から1988のココモ(Kokomo)までを次々と聞いた。
目を閉じると波の音からオープンカーの風の音まで思い出せそうだった。
~銃との関係~
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狙撃をする時、呪文を唱えるように、銃の神様に対し「いかにこの銃が自分にとって大事か、これが自分のすべてで、そしてこの一撃を捧げる」言葉を口にするスナイパーが結構いる。
しかし、武田を指導した教官は珍しくそういうことには拘らず、「とにかく集中しろ」、「指先まで神経を行き渡らせろ」、「環境に馴染め」と繰り返し叫び、時には30分も雨の中でターゲットにレーザー照準を合わせたまま体を1ミリも動かさないことを要求した。
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武田の集中力は群を抜いていた。日本の受験勉強で鍛えられたからと笑って他の訓練生に冗談を言ったが、拳銃の組み立て、機械類の分解掃除、暗号解読などではその集中力をいかんなく発揮した。
その集中力に加えて、弾道計算能力が高く、与えられた状況で多くの要素を考慮して、速く、かつ正確に弾丸の通り道を想像し、狙撃を実行した。
通常のスナイパーだったら、撃ち手とサポーターは二人一組で行動し、サポーターが気象データなどを考慮して撃ち手に伝え、撃ち手が照準を微調整して正確な狙撃を実行する。
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武田は、手は右利き、目も右利き、脚も右利き、心臓は普通に左側にある標準的な体だった。体格は特に大きくもなく、小さくもなく、体力は持久力も瞬発力も標準より高い程度で、狙撃学校でのチェック項目を余裕のある水準でパスしたものの、もちろん最高ではなかった。
訓練生の中にはA級スナイパーとして欧州に派遣された者もいたが、白人社会に溶け込めることは大きなアドバンテージだった。
アジアにいる限り武田は十分活躍できたし、無理をして米国や欧州或いは南米やアフリカの様な白人でも黄色人種が主体でもない社会に活躍の場を求める必要もなかった。初めから地域限定のB級スナイパーとして“契約”したのはこうした背景もあった。