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天使と悪魔・聖アナスタシア学園(09)

第九章
 ~放課後補習~

 ユリが初めて斉藤先生の補習授業に参加したのは、学園長の許可が下りた翌週の火曜日だった。塾と補習を合わせると、ユリの自由な時間が大幅に減ったが、志望校に一歩近づいた感じもしていた。

 斉藤の補習授業は「基礎」と「応用」の2部構成で、基礎は全員で授業を30分ほどやって、頻出分野の基本問題をカバーした。応用の時間は60分から90分、個別に各自の弱点や志望校別の問題に取り組んだ。
 家とか、塾とかで自習するのとどの程度違うのか、傍から見たら分からなかった。しかし、斉藤の教え方が上手なのは確かだったし、彼がまとめた「予想問題」の半分くらいは当たっていたし、面接の練習も徹底していた。
 学内から反対意見がなかったわけではないが、推薦を狙う子の推薦文、小論文、エッセーのすべてに彼は手を入れたし、各大学の学生課にも直接連絡を取ったりしていた。裏口入学との疑いを持たれかねないほどのコネクションと行動力を示し、学生のために奔走していたのは確かだ。

 毎年一般入試で数名がMARCHに入っていた。聖アナスタシア学園の学生のレベルでは、いわゆるトップ校、東大、一ツ橋、早慶はまだ厳しかったが、全くいないわけではなかった。斉藤の厳しい指導で入試を突破した者は、少数ながらいた。
 学園長は聖アナスタシア学園をトップの女子高に並ぶレベルまでもっていくために5年前から優秀な講師を雇い入れ、徐々に放課後補習などを充実してきた。入学する生徒も学力を重視する親との面談を繰り返し、各クラスのトップ3の生徒は学費免除、諸施設の優先的使用、先生の優先的対応などの特典を設定した。
 引き続きのんびりしたい生徒は何も影響を受けず、従前の教育体制で学ぶことができた。しかし、徐々にではあったが、全体の学力のレベルが上がるにつれて、入ってくる子ものんびりだけの子が減りつつあった。
 学園長の目論見では6年間で偏差値を10引き上げようとする野心的なプランだった。この6年間は、ちょうど中等部から入学した生徒が卒業する年数に一致した。この体制を望んでいなかった生徒は影響を受けずに卒業できるわけだ。
 その代わり、新体制を望んだ生徒は入学と同時に「のんびり」コースと「頑張る」コースが選べた。ある意味フェアだったし、入学してから急に勉強が厳しくなるのはフェアではないとの配慮もあった。そんなことを望んでいない子達のうち、学力的について行ける生徒は1/3もいなかっただろうと思われた。
 また、強力な父母会やPTA、OG会の了承を取り付けるのに、実は3年ほどかかっていた。ちょうど中等部に入学したマサミたちの親が聖アナスタシア学園卒業生の第3世代の中心で、古き良き学園生活を娘たちに経験させたい世代だったのだ。若干バブル世代でもあるこの層の親は、娘にはノビノビと学園生活を送ってほしいと思っていたし、そのための寄付を惜しまない層でもあった。
 しかし、プログラムが始まったら肯定的に評価する親が増え、高等部は少し時期がずれて同様の体勢になった。その第一期が実はゆり子や梨花達だった。ここにマサミやユリとの違いがあって、本来なら仲良くなるとは思えないグループ同士が降霊という秘密の行事で繋がっていた。
 ゆり子の親は娘がユリたちと付き合っているのを不思議に思っていた。PTAでも学力向上推進派の自分と静観派(内実は無視している親たち)のユリの親とは全く会話もないのに、娘達は仲良く塾に行くし、時々泊りの勉強会を開催しているのだ。
 企業オーナーのユリの親は、娘があまりバカなことをせず、将来家を継ぐか、婿を貰って、その人物に会社を継がせることしか考えていないようだった。
 サラリーマンなのに、背伸びして聖アナスタシア学園に娘を入学させたのは自分たちのわがままとエゴだとゆり子の父母は自覚があった。娘が有名私立女子高で楽しい学園生活を送った上で、普通の女子大よりもレベルの高い大学に行けるならば、「何と充実した高校生活を送れたのだろう!」と考えている親の一組だった。

 学園は斉藤以外にも学力アップのために数人の先生を雇い教科別に補習授業を実施させていた。

「斉藤先生のところはかなり効果が出ていますが、どうやって中級程度の子をそこまで引き上げられるのですか?」
「入学してくる子は多くが地頭の良い子です。どうやってその地頭をフルに活用して、開花させるかがポイントだと思います」
「しかし、やる気があるだけでは勉強ができるようになるとは限りませんよね?」
「目標をはっきりさせ、そこに至る道筋を示せば、一歩ずつでも前進したい子は歩き出しますよ」
「そんなものですかね?」
「あれ、鈴木すずき先生は車でどこかに行く時にカーナビを設定して、効率よく、渋滞を避けて走りますよね?」
「それはもちろんそうだが?」

 斉藤の同僚の鈴木は「何を当たり前のことを言っているんだ?」という風に思ったようだった。

「生徒が行きたい大学に行くには、カーナビを設定して、どんな道を走るのか事前に教えてあげれば、何に備えたらよいのか分かるし、余計なことをせずに、最短距離で目的地に到着できると思って指導しています」

 目的地は生徒ごとに違うし、行き方、つまり走る道も違う。そもそも、それぞれが乗っている車が違うので、走る速度も、燃費も違う。そういうことを先生たちは分かっているのだろうか、と斉藤は常々思っていた。
 マス授業、マニュアルに沿った進路指導、一斉模試など生徒達全員が同じ基準で動いていると考えての指導は、これまでは良かったが、本来の意味での個別指導ではない。
 彼が思うのは、平均から見て何が足りないのかではなく、目的地に到着するのに必要なことだけを集中して訓練すればほとんどの生徒が自分を運転するのが上手くなり、目的地である大学に到着できるだろうと考えていた。

菊池きくちさん、君はK大学に行くには二次関数、二次不等式、三角形と円の関係をマスターし、場合の数などを理解しないといけない」
「はい、今は二次関数のグラフを書くだけでも苦戦しているのですが、大丈夫でしょうか?」
「大丈夫だ、僕の言うことを聞いて、毎日一歩ずつ理解して行けば間に合う。説明したルール通りに、まず変形して、軸と頂点をグラフに書いて形を確かめ、どのような二次関数かイメージできるようになろう。その為の問題がここに30ある。毎日5問解いていこう。そして、次の週には因数分解による解の求め方を理解して行こう」

 ある意味、忍耐と根気が必要な指導方法でもあった。斉藤は補習に参加している生徒別に指導の進捗をノートにまとめ、各生徒に合った指導を細かく続けた。普通に授業をしている以外にこれだけのことをやっていたことに感心する同僚教師も多く、「真似ができない」などという教師もいたが、斉藤にしてみたら、こうした教師は怠惰で本当に生徒のことを思って指導しているとは思えなかった。
 そんな考えを口に出せば、他の教員と喧嘩になることは明らかだったので、斉藤は自分の意見を飲み込み、結果を出すようひたすら努力を続けた。

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