見出し画像

月と六文銭・第十四章(2)

 武田は田口たぐち静香しずかがなぜ自分と恋人の三枝(さえぐさ)のぞみを助けくれるのかを聞こうと思って、食事に誘い、小さなプレゼントも買い、ホテルを予約した。
 食事も素敵で、ちょっとしたお買い物もお土産も喜んでもらえたようだった…。

~ファラデーの揺り籠~(2)


 田口はそっと腕を組んで武田に寄り添った。ブティックを出て、右に曲がり、三越の建物を見ながら歩きだした。スタッフが深々と頭を下げてから店内に戻っていくのを視界の端で確認しながら、田口はふふふと笑った。
「久しぶりです、男性に下の名前で呼び捨てにされるのは」
「まずかったかな?」
「ううん、嬉しかったです。年配の政治家や実業家に『静香、こっちへ来い』と言われてお布団に入ることはあっても、お土産を貰うことは滅多にないし、腕を組んでエレベーターに乗るのは芝浦エレクの社長と以来です。優しい方でした。丁寧でしたし。あ、これは内緒ですよ」
 武田は田口の顔を覗き込みながら、目をぱちぱちさせた。
「あの、『課長・滝幸作』のモデルになったという芝エレの木場俊作社長?」
「し、ダメですよ」
 田口は唇に指を添えて、他言無用のサインをした。
「いや、ごめんなさい。愛妻家で、いつもおしどり夫婦で有名だから」
 武田は驚いていた。芝浦エレクは超大口顧客で、個別ファンドで儲けさせていた分、武田も相当の手数料を貰っていた。
「もうすぐ退任しますが、ちょっと心臓にレアな病気を抱えていて。6、7年前に1年ほど休養を取られて米国の病院に長期入院していました。当時、私は住み込みのナースとしてお供しました。奥様も月の半分は米国までいらしていましたが、いない時は」
「田口さんが」
 田口はちょっと恥ずかしそうに俯いて話を続けた。
「はい、奥様の代わりに夜は…。とても優しく、愛妻家なのが分かるような丁寧な扱いを受けました。戸惑ったのは、それがほぼ毎晩だったことです。お家では毎晩奥様としていたのかと思ったら、ちょっとびっくりしたというか、二人ともタフなんだと思いました。社長も心臓への負担を上手にコントロールしながら楽しまれていました」
 田口は組んでいた腕を少し強めに絞めて、武田の歩くペースを下げよとした。
「フルタイムナースとしてのメディカルサポートが私の仕事でした。時にはレストランに行ってお食事した際はカップル気分を味わうこともできましたが、社長は外で女性を見せびらかすようなことはしませんでした。あくまでも私はメディカルスタッフとしての扱いでした。それに、これは元々アサインメントでしたので」
「そうか、芝エレの原子力ビジネスの監視というわけですね」
「そういわれると気の毒ですが、木場社長も要監視対象で、米国の原子力政策に組み込まれていましたので、ちょうど私が担当するのが良かったようで」


 銀座の中央交差点は左右どちらを見ても明るかったが、新宿や六本木のようなギラギラした感じではなく、落ち着いた色を使っていることもあり、目に優しい夜景だった。
 信号待ちで正面にニッサン、道の左側に三越、左手に和光のビルがそれぞれ立っていて、50年前から変わらない景色ではないかと感じさせ、一種の安心感を醸し出していた。
 交差点を過ぎ、日産の3つほど先にあるカメラ店の前まで来たら、バーシャッターが下りていたが、ハッセルブラッド、フォクトレンダー、ニコンやペンタックス、そして武田の好きなライカが並べられていた。
 歩くペースの下がった武田の動きを察して、田口は隣に回り込み、一緒にカメラを眺め始めた。
「ポートレートを撮るならハッセルかライカなんだが」
「私のヌードはダメですよ」
 田口に先を読まれて武田は続きを言うのをやめた。田口はとどめを刺すかのように武田を制した。
「ランジェリー姿もダメですよ。武田さんのEyes Onlyでお願いします」
 Eyes Onlyとは重要ファイルを見る時の機密区分で、コピーなどは許されず、目で見てすぐに返却せよという指示を表していた。スパイ小説ならば秘密指令や秘密資料のことで、手元にコピーを持っていることが許されない資料などを指す。
「言わずもがなですが、ハメドリをしようとしたら、私に入っている状態のまま、切り落としますからね」
 ハメドリ=嵌め撮りというのはセックスの最中に性器同士が接している状態やその箇所を撮影することで、アングル的には正常位ならば女性の正面と接合した性器が写るし、後背位ならば頭の後ろや背中に加え、尻の穴を写す場合もある。
「私がどれほどそういう状況に慣れているかご存じでしょう。そんなことをしたら、切り落としたものを武田さんの目の前でゆっくりと取り出して、串刺しにして窓辺に飾りますからね。ついでにシャッターを切る人差指を切り落として添えましょうか?なんならソーセージの串焼きみたいにしてもいいのですよ、アレと指のセットとして」
 田口に腕を引かれて三友ガーデンホテル・アネックスの横を通りながら、武田は田口との関係がなんと危ういものなのかを再認識した。恋人でもないし、セックスフレンド=セフレでもないし、お金を払っているプロでもない。あくまでも彼女は好意と仕事がたまたま一致しているからこうして付き合ってくれているのだから、調子に乗ってはいけないのだ。
「さ、行きましょ!脳裏に焼き付くような景色も脳内が痺れるような快感も、武田さんのことを待っていますからね!」
 やはり田口は上機嫌だ。前回なら真面目な顔をして本当に串刺しにする仕草まで加わるところ、ニコニコしながら腕を引いていくのだ。


 今夜の宿、三友ガーデンホテルは先ほど前を通過した系列のアネックスよりも先、方角的には更に東にあり、歌舞伎座を左手に見ながら右に曲がった先にあった。機能的なシティホテルだった。部屋によってはきれいな夜景が見えるところもあったが、最上階に大浴場があって足を延ばせるというのがウリだった。
 田口が部屋の風呂に一緒に入る時は、いわゆる前戯か後戯の一部で、雰囲気を盛り上げようとしている時の行為だった。ベッドの中で上になったり、下になったり、壁に手をついたりする方を好んだし、あくまでもベッドでの行為が主であって、バスルームでのプレイは従だった。
 そういう時以外は一人で入浴し、念入りに体の手入れをするのが普段の彼女の行動だった。

 この女性を見る度に組織の人選の的確さに感心せざるを得ないと武田は思った。男性の戦闘員ならば体格が良いのも条件となるが、女性の工作員となると目立ち過ぎてはいけないが、魅力がない存在では男性ターゲットに近づけないし、魅力的過ぎたら女性の嫉妬を買って余計な雑音で苦戦する可能性もあった。
 そういう意味で田口を冷静に見た場合、背は高過ぎず、顔も真ん丸でもなく、尖がっているでもなく、腕や脚は筋肉質だが、女性でも筋トレをしたりジムに行くのが普通となった現代ならば違和感はない。胸と尻については女性らしさが出ている体の部分ではあった。尻はそのままで日本人らしい安産型をしていたので、相手に安心感を与えていると言えた。その代わり、形の良い、身長から見たらやや大きめな胸は、普段は着やせする服装を選んで隠していた。武田も初めてクリニックで見かけた時、彼女の胸はあまり存在感はなかった。
 先ほどプレゼントされた口紅はちょっと派手な発色をするタイプだったので、看護師をしている時ではなく、任務の時に使うのだろう。髪を留めている簪は、相手を刺すこともできるが、捻ると途中から刃物が出てきて、喉を掻き切ったりする時に使うことができる武器だった。
 別の機会にそれを使った時のことを聞いた武田は、ベッドに来た田口がその髪飾りをしていないことを必ず確認するようになったほど、男性にとっては恐ろしいエピソードだった。


 チェックインを済ませ、エレベーターで上がる間、田口は武田と腕を組み、箱内の鏡に写った自分が意外と幸せそうなのを不思議に思ったみたいだった。
「私たち、意外とお似合いのカップルだと思いませんか?」
 頭を武田の方に傾かせて寄り添う仕草が可愛かった。
「こうしてみるといい感じですよね」
 武田も少しだけ年の離れたカップルとして通用するだろうと思った。アルマーニ・タワーのレストラン・スタッフもそう思ったことだろう。
 田口は組んだ腕を解きながら、腕を下ろし、触れたところで武田の手を握った。その瞬間、エレベーターは目的階に到着し、扉が開いた。
 廊下を歩きながら、指を絡めた田口に武田は握り返して、その気持ちを伝えたつもりだった。もちろん、恋人にはなれないのはお互いに分かっているし、来月には任務で全く違う街で生活しているかもしれないし、二度と会うことがない可能性すらある関係だった。

 部屋に到着すると、テーブルの所に紙袋が2つ並べられていた。瓶がきれいということで、ホテルにペリエ・ジュエを用意してもらっていたが、箱にはそれほど特徴がなかったため、田口に見せてもフーンという感じの反応だった。
「開けますよ」
 武田が声を掛け、開けた箱の中の瓶を見せたら、ソファに座って眺めていた田口の目が若干大きく開いた感じがした。
「わ、素敵なボトルですね!そういうのもシャンパンにはあるんですか?」
「はい、瓶に直接描かれているのは珍しいです。今回は喜んでもらおうと思って用意しました」

いいなと思ったら応援しよう!

八反満
サポート、お願いします。いただきましたサポートは取材のために使用します。記事に反映していきますので、ぜひ!