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月と六文銭・第十八章(02)

 竜攘虎搏りゅうじょうこはく:竜が払い(攘)、虎が殴る(搏)ということで、竜と虎が激しい戦いをすること。強大な力量を持ち、実力が伯仲する二人を示す文言として竜虎に喩えられ、力量が互角の者同士が激しい戦いを繰り広げることを竜攘虎搏と表現する。

 中国暗殺集団の包囲網が迫る中、武田は渡英を視野に債券運用部門での後任選びにも着手していた。しかし、独裁者となっていた彼の代わりは簡単に決まるわけもなく、部下とも意見の不一致をみていた。

~竜攘虎搏~

05
 オフィスでの馬鹿なやり取りは、他のチームを騙すカモフラージュだった。武田は債券チームが変な人の集まりと周囲に思わせたかったのだ。
 仮に土曜日に他のチームのメンバーが出勤していたとしても、武田のチームが本当は何をしているのか知られないよう、猿芝居を演じていたのだ。
 そして、最も信用できる債券チームの中心メンバー"チーム・タケダ"の何人かが毎週交代でオフィスに来て、武田の猿芝居に付き合っていた。
 今週は『副長』こと副田そえだ将一しょういちが"出勤"してくれていた。休日出勤の指示を武田が出すしかなく、代休の消化までを確認する義務があった。

 オフィスでの猿芝居第一弾終了後、真面目な話をしようと駅前のファミレスまで来た二人だったが、オフィスでの雰囲気とは全く違う二人だった。

 副田が副長としてチームをまとめる力量があることを武田は認めていた。後は会社に納得させるだけだ。自分はいつまでもいるわけではない。だからこそスパルタ式にチームを鍛えてきた。

「副田さん、そろそろ考えてもらえないかな?」
「何をですか?」
「どうしてそう冷たいのです?
 そろそろ私の後任に」
「俺はそんな器じゃないです」
「じゃあ、どんな器なのですか?」
曜変天目ようへんてんもくだったら今すぐにお引き受けしますが、ファミレスにあるこういうカップとかケーキ皿なんですよ、私」
「何ですか、その卑下した喩えは?
 マイセンかロイヤル・コペンハーゲンのティーカップセット辺りじゃないとか思っていたのですが」
「お褒め頂き、ありがとうございます。
 しかし、もう少し武田さんの下で修業させてください」
「ダメです。
 明日にでも取って代われると思っているのですが」
「辞めちゃうんですか?」
「誰が辞めると言いました?
 会社がクビにしようとしたらハラスメントで億の賠償金を取ってからなら辞めるけど。
 あの専務にパワハラを受けたと主張するのはどうだ?」
「いやいや。
 そういう話をしているのではなくて」
「では、どういう話をしているのですか、副田さんは?」
「武田さんがボードに行って、実務に手が出せなくなったら、やりますけど、ボードに行っても手放さないでしょ、現場の指揮権?」
「そんなことはないですよ。
 独裁者は倒されていくものです」
「後継者が同じくらい優秀でないと帝国は続かないというのが歴史の教訓だったはずです。
 武田さんはそういうのも詳しいでしょ?」

 サーバーが二人のデザートを持ってきたので会話は一時中断。

06
 二人で美味しくデザートを食べながら、どちらが先に口を開いて、やり取りを再開するか、互いに探っていた。沈黙に勝てず、武田から再開した。

「とにかく、僕がパリから帰ってきたら、社長に提案するから」
「そうやって上から攻めるのはズルイです。
 パワハラで訴えますよ」
「ほー、不利益を被るならハラスメントだが、利益を得るのも日本ではハラスメントに該当するのかな?」
「スーパーモデルを紹介してくれましたら、考えてもいいですよ」
「ごめんなさい、副田さんが付き合い切れるとは思えません。
 わがままですから、あの職種の人達は」
「やっぱりそうなんですか?」
「まことに、まことに。
 本当に大変ですよ、モデルなんかと付き合うのは」

 副田は沈黙して、チーズケーキの最後の欠片を口に入れた。
 武田は別の切り口から攻めた。

「ニューヨーク勤務はどうですか?」
「上の子が高校生なので動けないです」
「そうですか。
 受験か」
「来年。
 異動するには微妙な時期だと思います」
「それに、家族連れじゃスーパーモデルとの逢瀬は難しいな」
「そうですよね」

07
 土曜日の午後3時近く、駅前のファミレスで大真面目に大の大人が二人、モデルを口説くにはどうしたらいいのか、みたいな話をしているのがいかに滑稽なことか。

「辞めないでください、少なくともあと1年は」
「何故ですか?
 私がいなくなれば、あなたは当然昇格してチームリーダー兼債券投資部長だ。
 悪い話ではないはずですが?」
「私には私の考えがあります」
「そうですが…」
「それに、あなたが3年に1回転職していることを知っています。
 偶々この会社では海外勤務が挟まったので、在籍が長くなっていますが、本来ならば来年の夏には転職をする勘定になる」
「誰から聞いたのですか?」
「公表されている武田さんの履歴くらい見てますよ。
 部下ですから上司がどんな人間か興味を持つのは当たり前じゃないですか?」
「そこから導かれた結論が、私が辞めるから後釜を探している、と?」
「当然の帰結です」
「甘い」
「ほら、やっぱりまだ無理です、私には」
「なんなら月曜日に社長に推薦しておく」
「喧嘩を売っているのですか?」
「売っているなら、買ってくれるの?
 その際のディスカウント・レートはいくら?
 オプション価格は?
 途中でコールしてもいいの?」
「殴ってもいいですか?」
「当たらないと思いますよ、というかクラヴ・マガをご存知ですか?」
「クラブ・マカ?
 精力剤ですか?」
「いやいや、20世紀前半、イスラエルで誕生した近接格闘術で諜報機関のモサド初め、各国の軍隊や警察で採用されている護身術です」
「聞いたことがないです。
 正直、そういうのが分からないんですよね。
 普通のおっさん、あ、失礼、なのに、地政学、投資運用手法、情報分析、車の運転、モデルと知り合う機会など謎が多い。いや、多すぎるんですよ。武道のほかにも我々の知らないことがいろいろありそうですし」
「聞いてくれれば教えますよ」
「本当ですか?」
「もちろん!」
「じゃあ、聞きますけど、イスラエルのスーパーモデルと付き合っていたのは本当ですか?」
「何ですか、そのピンポイントな質問は?」
「みんなが知りたがっているので、私が代表して」

08
 これは事実だった。ニューヨークにいた時、武田は元ミス・イスラエルとしばらく付き合っていた。振り回されていたと言ってもいいかもしれなかったが…。

 しかし、裏はもっと奥が深かった。
 武田が知り合った元ミス・イスラエルは、兄がニューヨークで画廊を経営していたのだが、これが実はイスラエルの諜報機関・モサドのフロント会社。画廊のオーナーである父はモサドのナンバースリーで米州オペレーションの責任者、ニューヨークの画廊の責任者である息子(モデルの兄)は米国駐在のモサドのエイジェント、娘(モデル本人)はモデルとして世界中を飛び回りながら暗殺を実行しているキードン部隊員という生粋のモサド一家だった。そう、この娘が元ミス・イスラエルで現役スーパーモデルのエレナ・ヘンスィークだ。
 武田はニューヨークでのモサドとの共同作戦の際に彼らと知り合った。妹エレナはモデル仲間以外は男性の知人がいなかったため、なついてくれていたので、時々美味しいものを食べに行ったり、パリのショーを見に行ってあげてたりした。
 ベッドの中では初め従順でいろいろな要望に応えようとしてくれたが、作戦中或いは戦闘中の激しさ同様、最終的に欲求を満たす段階になると積極的かつ妥協がなく、気を失うほど激しかった。武田も今よりはだいぶ若かったからそれに付き合えたが、それでも息が上がり、エレナの横で数分はコープス(死体)状態だった。

「ニューヨークにあるモデル事務所に知り合いがいて、パーティーに呼ばれたら、同じテーブルにいたのが元ミス・イスラエルだった。
 アメリカのモデルと違い、スリムで胸があまり大きくなかったな」
「武田さんっておっぱい星人なんですか?」
「なんだその『おっぱいせいじん』というのは?」

 武田は"浦島太郎"になることが多く、流行りのことや流行りの人、アイドルや歌手、ドラマには疎く、常識とされる物事を知らないと周囲を驚かせることが度々あった。
 因みに"浦島太郎"と言った場合、玉手箱を開けて急に年を取ってしまう現象にフォーカスしているのではなく、竜宮城で楽しく過ごしている間に地上では三百年経っていたことを指すように、海外勤務していた間に日本の芸能情報や社会現象などが分からなくなることを指していた。

「巨乳好きな人の俗称です」
「まぁ、嫌いではないが、特に胸が大きくないと付き合わない、というわけではないかな」

 実際に付き合った女性で、やや小ぶりな胸なのは、大学の恋人・小畠こばたけ弘美ひろみと今の恋人の三枝さえぐさのぞみ、そしてパパ活女子のリュウショウハンの三人だけ。あとはスタイルが良いか欧米的グラマーな女性が圧倒的に多かった。
 グラマラスな欧米のモデルに比べてミス・イスラエルがスリムに見えただけで、日本のブラサイズでいうとEカップとかFカップはあった。衣装、下着、水着によって随分と胸のボリュームが違って見えるのは不思議な現象だと武田も思っていた。
 どこかでのぞみとのことが判明した時、"巨乳好きの武田部長"が意外と小ぶりな胸の女性と付き合っていた、とまたゴシップのネタを提供してしまうだろう。のぞみが巨乳じゃないなどというのは余計なお世話だし、彼女に失礼極まりない話だが、ゴシップ雀どもは構わずチュンチュン鳴くだろう。

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