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月と六文銭・第二十一章(29)
アムネシアの記憶
記憶とは過去の経験や取り入れた情報を一度脳内の貯蔵庫に保管し、のちにそれを思い出す機能のこと。
武田は複雑かつ高度な計算を頭の中だけで計算できた。スーパーコンピューター並みの計算力ではあったが、それを実現するには記憶領域をある程度犠牲にしていた。
<前回までのあらすじ>
武田は新しいアサインメント「冷蔵庫作戦」に取り組むため、青森県に本拠を置く地方銀行・津軽銀行本店を訪問していた。津軽銀行がミーティングを快く受けてくれたおかげで武田は自分の隠されたミッションができそうだった。
昼の会議が無事に終わり、夜のミッションを遂行するため、青森で合流した劉少藩=刘にはしばらく寝ていてもらうことにした。予定よりは少し時間が掛かったものの、傷つけることなく気を失わせ、寝息を立てている横で素早く着替え、裏通りでチームと合流し、狙撃現場に移動した。
29
ここまでスムーズに武田を運んできたSUVは、作業用エレベーターの前で武田を下ろし、向きを変えようと再び動き出した。
武田は小走りに工事中のビルに入り、中ほどの、多分中央エレベーターになると思われるシャフトにある工事用エレベーターで8階まで上がった。
靴の跡が付くので、武田は工作員が通った跡を辿りながら、狙撃地点まで慎重に歩いた。指示通りにゴムマットのようなシートが広げてあり、そこに腹ばいになって狙撃を実行するのだ。
動く人がいるわけではなく、聴衆や群衆もいるわけではない。その点はどんなに気持ちが楽か。演説か何かだったら、ちょっと弾が逸れただけで、側近、警備スタッフ、聴衆などがドンドン狙撃範囲に入ってしまうのだ。間違って中った者がいたら、それは申し訳ないと武田は思っただろう。そうなりそうだったなら、中止する選択肢はまだあるが、今回のように、高速で動くターゲットしかない場合、後は狙撃手の力量次第だった。
今回はNATO用の薬莢を使用して、鈍い先端の弾丸を空調ダクトの羽の間を通して、施設内の冷蔵施設で跳弾させ、奥に保管されている冷蔵庫の扉を開けるのが任務だ。山梨にあった宗教施設の空調機を破壊するアサインメントに似ていたが、今回は冷蔵庫の扉に不具合を起こさせ、中身として保管されているワクチンを温度変化で破壊する。
武田はゆっくり腹ばいになって自分の位置、銃の位置、灯りや反射、警備員の懐中電灯の動きなどを観察し、リズムを作った。ヘッドホンには「あとはまかせろ」と話して、ヘッドホンを取った。
す~、は~、す~~、は~~、す~~~、は~~~、す~~~、は~~~
武田はヨガなどでの呼吸のように、ゆっくり安定した呼吸を繰り返し、心臓もきっちり1分間に50回拍動するように自分の調子を整えた。こうして、武田の脈拍は貯蔵施設の排気ファンと同調し、羽根の隙間が1/25秒ごとに生まれるのが見えた。この銃の初速と伸びなら弾丸は羽根の間を抜け、関係ない冷蔵庫の後ろの金具で跳弾する。今回は傷つけるとか破壊をするのではない。扉を開けっ放しにして、誰の責任でもない事故を演出したいのだ。それには破壊せず、留め金が緩んでしまった状態か扉が微かに開いたままの状態を作り出せればいい。
ところが、先月施設点検を実施したばかりで、要改善や不合格だった項目はなく、きちんと整備された施設なのだ。
武田は3つのプランを用意していたが、今回は大型冷蔵庫の扉の金具を閉め忘れた状態にする。その状態なら、施設の整備とは関係がなく、係の閉め方が悪く、扉が完全に閉まらなかったことから冷却能力が低下し、ワクチンがダメになってしまったといえる。
武田の人差指が銃本体の右横からスッと下がり、敏感なトリガーに掛かった。1/25秒ごとに見えるwindow(=窓、この場合、隙間)はもはや問題ではない。ファンを通過した後の跳弾が次の課題だった。この施設は2年ほど前に地震対策を実施しており、各冷蔵庫が壁に取め金で固定されていた。
冷蔵庫本体で跳弾させたら、横に凹みができる。それが目立つものなら、外部からの狙撃などの工作が行われたことを警察は見抜くだろう。そして、武田が取り寄せた大型業務用冷蔵庫の仕様から外装にはあまりお金がかかっていないことが分かっている。つまり、当たり方によっては弾がめり込むかへこみが残るような代物なのだ。冷蔵庫本体を跳弾の土台に使うことは不可能だった。壁に固定している金具も調べたら、意外といい金属を使っていたし、壁に固定されていることから、宙に浮く薄っぺらな金属ではなく、壁と一体ならば相応の強度を保ってくれそうだった。
武田は「職員が扉を完全に閉め忘れてしまい、ワクチンの一部をダメにしてしまい、申し訳ありません」という謝罪会見が楽しみになった。
冷蔵庫の強度は大丈夫なはずだ。跳弾せずにめり込んだら、確実に狙撃の証拠が残ってしまい、警察に追われる身となってしまうが、跳弾のベースを固定用金具に求めたので、その心配も格段に下がった。
「地獄道、餓鬼道、畜生道、阿修羅道、人道、天道」
この言葉を聞けたのは、すぐそばに判定用の双眼鏡を覗いていた組織の作戦管理官だった。彼が作戦が成功したか失敗したかを判定するが、初めからアルテミスの落ち度を探すのを諦めていた。いかにすごい狙撃を成功させるかその目で確認したい気持ちの方が強かった。
「今回は人のため、世のため、正しき行いをすると申し上げる」
銃を撃つ場合、「引き金を引く」というが、実際には「手を握る」感じ、英語でいうとgrip或いは「雑巾を絞る」感じ、同じくsqueezeという感じだ。
「この一弾にて、人々を正しい道に導かん」
フェザータッチのトリガーは武田の指の動きに呼応して、ストンとハンマーをリリースし、先端を削って鈍くしてあった弾丸は冷却用のファンを通過し、3つ目の冷蔵庫の固定用金具で跳弾し、国会議員用のワクチンが保管されている冷蔵庫の扉の金具の根元に当たり、真横に再度跳弾した。それで、留め具が緩み、扉と本体の間に隙間ができた。
この隙間がもう少し小さければ、冷蔵庫のバキューム現象で扉が閉まってしまう。もう少し大きければ、何らかの警報が鳴るか、点検に来た職員がすぐに気づいてしまうだろう。
夜間の数時間でこの冷蔵庫は本来の冷却能力を発揮できなくなり、格納されているワクチンは使い物にならないだろう。もちろん、職員にアラートが行かなければ、このまま週末の静かな時間が過ぎる間に確実にワクチンはダメになる。
双眼鏡を覗いていた作戦管理官が作戦終了を宣言した。
<Done(完了だ)!>
周囲にいた工作員達は初めて見る超精密射撃に感動していた。換気扇の羽を壊してでも弾丸を侵入させることは彼等でもできる。羽を壊さず、回転を乱れさせず、羽根の間を通過させられるのはラッキーではなく、「見切り」ができるかどうかだった。
軍や警察関係者はそういう曲芸の様な狙撃を認めない傾向があった。それはもちろん、彼らは「壊してでも中てる」ことが許されるからだ。店舗正面のガラスが割れようと、換気扇が壊されようと、極端な場合、壁に穴を開けても、ターゲットを倒せるなら良しとされるからだ。
それに対し、武田のようなスナイパーが必要なのは、「誰が撃ったのか分からない」「いつ撃ったのか分からない」「どうやって撃ったのか分からない」という条件を満たすことが求められるからだ。
その為に、米中央情報局13課の『SS(サイレント・サンダー)プログラム』が企画・立案され、現在も運用されている。偶々武田がこのプログラムの要件を満たしていたから組み込まれたのであって、本来は別のプロジェクトの要員だったのだ。
武田はゆっくりと体を起こし、腕を伸ばし、腰を伸ばした。床に固定されているかのように置かれていた砂袋や弾丸の箱で作られたステーション(基地)は分解され、そこにバラバラにされた狙撃銃の重要部品の3つが分かれて格納された。
銃身は別の工作員が鉄の棒を突っ込んで内側に傷をつけていた。銃身は比較的柔らかい金属でできているのだが、内側のライフルマークから銃弾が特定されないよう、金属の棒を前後させることによってライフルマークとなる線条痕を潰していたのだ。
そして、肝心な薬莢はその場で完全に潰され、工作員が回収していった。
武田は再び工事用シャフトまで戻ってエレベーターに乗り、待っていたSUVに乗り込んだ。来る時に後部座席に座っていた作戦管理官から労われ、報酬が金保管口座に振り込まれると告げられた。
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