レムリア興隆記~地下都市帝国の興隆04~
第四話 ~歴史が評価する~
レムリアとシンガッポー王国との間の国境紛争は25年か30年に1回起こっていた。これはシンガッポー王国で国王が交代した時に、新国王が「豊かな隣国(=レムリア)を手に入れて、暮らしを豊かにしよう」とのスローガンを掲げ、分裂しがちな国民を一致団結させる政治的パフォーマンスを行うことが背景にあった。
いい迷惑だったのはレムリアの方で、数百年にわたり「またか…」と呆れつつ、専守防衛に徹してきた。圧倒的優位を誇るレムリア軍と言えど、人的損害が全くなかったわけではないため、国民は少しずつ厭戦ムードになっていた。
それに加えて、"定例行事"となっていたシンガッポー王国の侵攻に便乗する国もでてきた。その時は国家総動員法が全面施行され、動員可能な兵力のほとんどが招集されるため、国家経済も最低限の稼動率となり、一般国民の生活への影響も無視できないレベルとなっていた。
国民の不満を抑え込むのに必死なドージェの苦労とは別に、軍の技術部はシンガッポー王国の侵攻を改良されたパワードスーツを試すチャンスと捉えていた。国境警備を担当している標準部隊の隊員に改良されたバージョンを使わせて、性能テストを実施していた。性能的優位が確認された段階でエリート部隊であるブルーマリンズに改良が施されたパワードスーツが支給され、シンガッポー軍に対し反撃を展開した。圧倒的な反撃を受け、シンガッポー軍は後退を余儀なくされ、呼応した他の国も恐れをなして、総崩れとなる。
こうした軍事行動の繰り返しで、レムリアにとってもボディブローのように徐々に国家の体力を奪っていかれるのを感じていた第二十七代ドージェ・パウロ・バプティスタ・ヴェネテは根本的解決を元老院に提案した。
他国への情報漏れを懸念して、元老院は建国以来初めて秘密会を開催して慎重に慎重を重ねて案を練った。その案を持ってドージェはレリヴァン(宗教庁)とトリシア(最高神祇官諮問会議)に諮問し、ほぼ完ぺきな侵攻作戦へとまとめた。
それから数年かけて兵隊を鍛え、インフラも整え、ヴェネテ期13年のイデスを期して、建国以来他国を攻めることなどしたことがないレムリアは『百星日作戦』を発動し、シンガッポー王国の首都守備隊を圧倒した。
レムリアの年号は国家元首の何年目かという数え方をしていた。内閣制の時代は誰誰首相の何年目(任期は最長7年)、大統領制の時代は誰誰大統領の何期の何年目(任期は4年、最長2期まで)、そして、ドージェ制になってからは誰誰ドージェの何年目(終身制)と呼ぶ習わしになっていた。
行政年の開始日は1月15日とされ、古よりイデスと呼ばれる日だった。新大統領も新首相もこの日が就任日であり、翌年からは業務開始日とされた。ドージェは終身制のため、前任者が亡くなってから3か月以内に次のドージェが業務を開始する必要があったが、その他の業務は慣例に従い、年末に完了し、新年度はイデスから始めるとされていた。
シンガッポー侵攻は第二十七代ドージェ・パウロ・バプティスタ・ヴェネテがドージェに就任してから13年目のイデス、つまり1月15日の年度業務開始日にシンガッポー王国に対して宣戦布告を発するところから始まった。
ドージェの宣言と同時にレムリア国防軍の機動部隊「ブラック・ナイツ」が同国を東から、同「パープル・ハーツ」は南東から、同「グリーン・リーヴズ」は南から、そして、ベテラン揃いの「シルバー・スターズ」は同国の首都の真上から本丸・首都ガポーを攻め、王宮、議会議事堂、行政府を同時に占拠する作戦が始まった。
後に『バツアムパル戦役』と呼ばれる侵攻作戦では、作戦参加部隊の全員が逆様になって洞窟の天井を歩きながらシンガッポーが敷設したセンサー類を回避して、首都に直接乗り込んでいった。
この戦役の結果、シンガッポー王国は首都ガポーを占領され降伏したが、当時のレムリアには他国を運営する余裕がなかったために、平和不可侵条約を結び、シンガッポーは独立国として現在も存続している。
レムリアとシンガッポーとの国境ともいえる境壁は現在『シンガッポー境壁』と呼ばれ、70メットの厚さを誇るコンクリート壁で補強され、真上には『マーレアン2世三日月湖』が設けられている。この三日月湖は『ガイルバイオ・カヴェア』への定住を宣言した元老院議長、グスタフ・マーレアン2世の名を冠した貯水池で、シンガッポー王国が再び侵攻するようなら、調整弁を開いて真上の水が首都ガポーに流れ込み、都市全体が水没するように設計されていた。
シンガッポー王国はマーレアン三日月湖を生活用水の源泉として使うことが許されていたが、問題があればレムリアは調整弁を閉じて水の供給を止めることも、逆にすべての調整弁を全開放してガポーを水浸しにすることもできた。
これを安全保障機能と呼ぶか、生殺与奪権と呼ぶかは後の歴史学者が判断することであって、国の存続、国民の生活を守ることを優先するレムリアは、時には非情な判断もした。
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ロボット兵士と比べ人間がパワードスーツを着て戦うメリットは汎用性と言えた。人間が手で操作できる武器であれば、パワードスーツでの操作がほとんど可能だった。
また兵員輸送用にホーバークラフトのような揚陸艇も開発した。高速で機動的に兵員を配置することが可能で、臨機応変に兵員を配置、或いは再配置することが可能となっていた。こうした兵站技術の進化のお陰で、少ない兵員数しかないレムリアは複数の前線で闘うことが可能であった。
ここ数年、レムリアに圧力を掛けている国の一つがマオ朝シーナ・パキスタ帝国だった。レムリアの北に位置し、南方政策を掲げてレムリアに軍事圧力をかけている国だ。レムリアはシーナに対して勝利を重ねていて、一度たりとも侵入を許したことはないものの、だんだん勝利を収めるのが難しくなっていることを指揮官、兵士とも感じてはいた。
シーナの機械化部隊は毎年改良されたパワードスーツを前線に送り込み、レムリア国防軍が苦戦する場面が増えていた。この状況は国防委員会にきちんと報告され、現場と本部が同じ認識だったのは幸いだった。
ウィレムとジョバンニが帰郷して、前線の実情を伝えると故郷の人々も軍の広報を通じて同じ情報を得ていて、二人は軍の正直さに驚いていた。多少は苦戦を隠して、国民に安心感を与えるのが仕事のはずの宣伝省がここまで正直に戦況を伝えているのを知って、二人は安心していた。これで自分たちに何かあった時もきちんと国家と家族を思って死んでいったことが伝わるだろう。
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レムリアは民主主義の国ではあったが、異星人襲撃の非常時体勢の名残を色濃く残していて、合議制を基本とする寡頭制の国だった。
選挙での国民の1票は最大限に尊重されているものの、建国の父達と呼ばれる選挙を経ない世襲の元老院議員と各地区で選挙で選ばれた代議士とトリシア(トリキアウィタールム)が指名した行政アカデミー出身の政治の専門家で構成された元老院が立法府としてほとんどのことを決めていた。
セナートゥスには合計約300名が所属していたが、パトリキは時代により増減はあるものの200名前後、レプレスは人口十万人に一人の割合で各地区から選出され、現在は55人、政治専門家は各官庁への対応で4人ずつ計40人がいた。
ガバヌン(行政府)が行政を行い、半分宗教機関であるレリヴァンが司法を担当していた。
レリヴァンは宗教機関ながら、逆にどの宗教へも偏らず、あくまでも平等を旨とする基準を守っていた。レリヴァンは国家行事の主催者として、戦勝祈願や戦没者慰霊などを執り行い、個別の国民の葬儀も執り行った。
ドージェは終身職のため、選挙は前のドージェが亡くなった際に実施され、今回は約20年ぶりだった。外交官及び兵士は駐在現地で投票するものの、可能であれば出身地区に戻ってその地区で投票することとなっていた。商業で外地に行っている者には、戻るか棄権するか事前投票をするかの選択肢があった。
投票時間は朝の9時から午後の3時までの四分一日(6時間)とされ、選挙は前のドージェが亡くなってから3か月以内に実施することが法律で決められていた。空席期間中は十人委員会の十名の委員のうち、二名が抽選で選ばれて、ドージェ代行を務めた。十人委員会のメンバーはドージェ選挙に立候補することは禁止されていて、権力集中或いは政治腐敗を防止するようになっていた。
投票は午後の3時で締め切られ、即時開票されて、集計される。投じられた票は1万票単位でその地区の意見とされ、比例代表的になるべく死標が出ないような制度となっていた。有権者が75万人いる地区で、A候補が33万5421票、B候補が41万2682票獲得ならば、Aが34地区票、Bが42地区票を獲得したとされ、そのまま中央選挙管理委員会にその情報が送られた。
これを中央管理委員会が集計し、行政の専門家を除く元老院議員約250人が持つ一人2票の投票結果と合計されて、新しいドージェが決定された。人口の増加に応じて地区票は増えてきたが、権力集中、政治腐敗を防止することを主眼に、はじめ約百名だった元老院議員の数も時代を経て、増員され、現在は約300名となっていた。
21時までに地区ごとの意見と一人2票持っている元老院議員の票と合わせて合計約1000票で次期ドージェが夜中の0時までに決定され、午前3時までに新ドージェは「国家のため、国民のために身命を賭して勤める」ことを宣誓し、職務を開始する。