追い詰められ晒されながら歩くのが人生で、それを和らげて一緒に笑ってくれる1番星が推し。
2022年、私は30歳になる。
他に持つどんな肩書きが揺らいでも、それだけは普遍の事実だ。何が起きたとしても、年齢を重ねることだけは生きている限り変わらない。
今まで生きてきて、歳をとることに躊躇いを感じたことは一度もない。が、2022年の1月、自分至上唯一の運命的な出会いをして少し揺らいだ。生まれて初めて、アイドルにハマったことがきっかけだ。
彼らへのハマり方は半端ではないと自負している。それはもう、あたまからかかとまで、正肉から内臓まで、自分を自分と言わしめる全ての部位でずっぽりと。今は彼らたちがせっせと私の心臓のポンプを物理的に押し上げて活かしてくれているのだと疑う余地はない。
誤解を恐れずにいうと、今まで生きてきて、アイドルという文化そのものが苦手だった。
物心ついた頃から、毎回のクラス替えで都度友達を作るのが苦手な子供だった。クラスが変わるくらいで友達になりたい人間が毎度みつかるか???クラスが発表される前日に地球が終わってくれと本気で願うくらいに友達を作る行為が苦手で、でも弱いので1年間1人になるのはもっと嫌だった。だから初日の頭から全力で自分を繕って死ぬ気で頑張って友達になってくれる人を探す。その行為が本当に辛かった。けれど、「友達を作る」ことそのものに必死な人間に惹かれるクラスメイトなんているはずがない。どう頑張って繕っても本当の意味での友達なんて、見つからなかった。
高校2年生の時、もう何度目か、友達作りの闘いを死ぬ気で終えてグループに入り、初夏やっと安定したかと思った頃に、グループの中心の子が自分の熱中している趣味を表明した。それは韓国ドラマやアイドルだった。12人ほどのグループだったが、ほぼ全員わかるー!!!と即座にいった。実際、彼女たちは本当に当時流行っていた韓国ドラマやアイドルにハマっていて、毎日その話で盛り上がっていた。私は彼らに1ミリも興味がなく、その映像を家で見れる家庭環境にもなかった。それを知った子たちが、映像を見せてくれたけれど、私の心は冷えたままだった。彼女たちが熱狂するアイドルの顔の見分けがひとつもできない。休み時間のたび飛び交うカタカナの名前もひとつも覚えられない。
最初は愛想笑いでごまかしていたけれど、時が経てば明らかにグループの子たちとの微妙な、しかしお互いの目にははっきりと見える噛み合わなさが生まれていった。つらかった。それでも1人になりたくなくて、必死に愛想笑いを続けた。
進学校だったので、高校2年生の後半からは大学受験という正当な大義名分が生まれた。勉強に集中すれば友達がいなくても孤独を感じずそっとされるのだ。私は頭が悪くて勉強は嫌いだったけれど、他の人たちが飛びつくAOも推薦入試も蹴った。一般入試なら卒業のあとも入試がしばらくも続く。最後まで勉強をしてるふりをしておけばいいのだ。今思えば推薦で早く決めれば学校自体こなくて済むのに、自頭が悪いからその時はわからなかった。
私は、どんなに友達が欲しくても、仲間が欲しくても、わかり合いたくても、当時のクラスメイトと話を合わせることができなかった。彼女たちの本気の熱量が怖かった。彼女たちは、自分が実際に見たかのように、自分達がその男性アイドルたちの相手役のヒロインかのように、その熱の温度を保ったまま前日にあったドラマについて話す。音楽番組のあそこがよかったとか、その頃流行り出したYouTubeについてとか。
私は物心ついた時から1人で静かに小説を読むのが好きで、他にやりたいことが人生にひとつもなかった。日々のお小遣いをどう余らせて本を買うかだけに心を砕いていた。そんなことを話し合える友達なんて、見つかるはずも、見つけられるほどの探究心もなくて、だからクラスメイトたちの心底楽しそうな「推し」への真正面の姿勢は眩しすぎて、本当に目に沁みた。(あの頃推しなんて言葉はなかったけれど)
それから大学生になって、無理やりクラス内で友達を作る必要はなくなった時、私は心底安心した。もう無理やり、出会う箱が同じだっただけの人たちに媚を売らなくていい。興味がない事柄について質問して話を無理やり深掘りしなくてもいい。本当に安心した。広いキャンパスやバイト先で、自分が好きになった人とだけ最低限関わればいいことに、本当にほっとした。
あれから10年。
自分が抱いたことのない感情を、自分のまわりの人たちが簡単に持って堂々とプレゼンする、その熱さに戸惑ったのに、それと同じ気持ちを30目前でにわかに抱くようになるなんて誰が予測しただろう?あんなに憎かった、見たこともない人にハマるという気持ち。それがこの年で沸いたことが、初め恥ずかしかった。
あんなに、虚像が憎かった。
自分が触れることのできない実体に焦がれる日が来るなんて1ミリも思っていなかった。『推す』という気持ちが分からなかったし、解りたいと思ったこともなかった。なのに、それは突然きた。それは雷に打たれるより唐突で、石に彫られたかのようにずっと私の心臓に残り続けるメッセージだだった。指先から脳髄に直接語りかけるくらいダイレクトな感情だった。こんなに尊い気持ちが私の中に生まれるのかと、今私は生まれて初めて、しかも常に実感している。
アイドル を辞書でひくと、偶像 と出てくる。しかし私にはまだアイドルの本当の意味がわからない。その存在を認識して、その存在に人生を助けられ始めて、3ヶ月ほどしか経っていないのできちんと認識できない。偶像崇拝って、神社にお参りに行くような感覚なんだろうか。神様を感じたくて、少しでも救われたくて、私は彼らを応援しているのだろうか。
無宗派の私にはぴんとこない。けれど今の私の日々を救ってくれているのは、紛うことなく、アイドルである彼らの存在そのものだ。
心から発生しているようにみえる笑顔とか、グループの中でリラックスしていて起きる会話とか、個人活動でのお仕事とか、忙しいのに上げてくれるブログとか。いつ見れるかわからないCMを予測して見ることとか、表紙をしていれば内容関係なく雑誌を買うとか。
そういうことが、その活動全てが毎日待っている方が私を今生かしている。歳なんて関係ないな。そう気づくことに時間はかからなかった。私という人生を彩ってくれているのはどう誤魔化そうとしても彼らしか居ないし、私の中で彼らが強く息づいているだけで、彼らに私は見えないのだから、気にする意味なんてないな。大体何かに恋に落ちて、淫することに、歳なんて関係あるわけがない。
実際に隣にいてくれる人より、虚像のはずの彼らが私の人生を裏打ちしてくれていて、きらきらしながら明日へ繋げてくれる。そんなこともあるのだ。あの頃、本当に1人で永遠に孤独だったあの頃、私に推しがいれば、暗く小さな私はなにも無理せず自分を繕わずに生きただろう。
なんとかここまで生きてよかった。生き延びることができてよかった。今、何も持たなくて、小さな頃より責任だけ重くてずっしりとした人生なのに、昔よりずっと生きるのは容易くて楽しいことだと思える。それは、彼らに出会ったからだ。明日も楽しい。彼らのラジオが聴けるから。明後日はもっと楽しい。もっと新しい何かを彼らが日々見せてくれるから。
そんなことを、映画『あの頃。』を見て思った。
「推す」ことさえできれば、命は何倍にも膨らむ。
何年経っても叶わない自分の夢も昇華できるし、自身の辛い宿命も笑い話にできる。本当の夢を叶えるためのなけなしの原動力にもできる。
まだ生きていける。もっとずっと生きていたい。
何年経っても何歳になってもみっともなくても、私は生きていきたい。