陶芸家は本当に失敗作を割るのか?陶芸家が解説してみた

陶芸家が自分の作った作品を見て、眉を吊り上げて叫ぶ。
「これは失敗作だ!!」
周囲が止める暇もなく、ヒステリックに作品を床にぶち当てて割る。
何故か日本人皆に共通するイメージだが、元ネタについて聞くと皆急に首をひねり始める。
というわけで調べてみた。が、それっぽいワードでググってみても答えは出ない。
どうも美味しんぼが元ネタらしいようなことを書かれているサイトもあった。
メインキャラの海原雄山は美食家である以前に陶芸家で、彼の性格を考えると失敗作を容赦なく割る姿は容易に想像がつく。だが肝心のソースがない。
どこぞの実在の陶芸家が元ネタだ、いやあっちの人間国宝が元ネタだという情報もあるが、いずれも真偽もソースも不明だ。
とはいえ、分かりませんでした!いかがでしたか?……という訳にもいかない。
なので、陶芸家の私なりに「陶芸家は本当に失敗作を割るのか」を考えてみた。
結論から先に言うと、陶芸家は本当に失敗作を割る。(※ただし時と場合と人による)
具体的にどういうことか説明する前に、まず焼き物を作る過程について今一度説明しておこうと思う。
焼き物は大雑把に説明すると下記の四段階に別れる。

成型→素焼き→施釉→本焼き

成型とは文字通り作りたい物の形を作ることで、素焼きはそれを焼くことだ。
施釉とは釉薬という液体をかけることで、これをかけた後に本焼きすることによって陶器はガラスコーティングされたような見た目になる。

そして私の考える作品破壊チャンスは成型後、素焼き後、本焼き後三段階だ。
それぞれ詳しく解説していこう。

その一・成型後

ろくろの上で回転する粘土に手が加えられて、伸び上がるようにして器の形に変化していく。
だがある瞬間手が滑って、あるいは粘土のバランスが崩れてぐにゃりと崩壊する。
または粘土が遠心力に負けて、想定よりも大きく広がりすぎてしまった。
そんなときがこの一度目の作品破壊チャンスだ。
Instagramなどで、ろくろの上で回転する失敗作を思いっきりぶん殴ってる外国人陶芸家の動画を見たことがある人もいるかもしれない。
私が見た動画では「もったいない」「なんてことするんだ」的にコメント欄が炎上していたが、陶芸家的な視点で見るとむしろこのまま焼成してしまった方がもったいない。
素焼き前の時点で失敗した物は、壊して粘土の塊に戻してしまえば成型し直すことが出来るからだ。だが焼いてしまうとその形に固まってしまい、他の形に成型し直すことは出来ない。
私の場合、もし成型に失敗したら一度そのまま乾燥させてから、水に浸して粘土に戻す。
その際に割って表面積を増やした方がより効率よく早く粘土に戻せるので、古典的な陶芸家のようにバリバリ作品を割っている。
ただし無計画に割るのではなく、バケツに放り込む形で割って、後から水を足すことにより極力散らからないようにしている。

その二・素焼き後

成型が上手くいっても、いざ素焼きを済ませると失敗が発覚することがある。
問題の写真を見ていただこう。

お分かりいただけただろうか……

よく見ると小さく亀裂が入っている。
分かりにくいので、拡大してもう一度見てみよう。

赤枠で囲った部分に、わずかながら亀裂が入っている

この程度なら釉薬で埋まりそうにも思えるが、大抵の場合本焼きすると症状は悪化する。
そのため、こういった失敗した素焼きの陶器は絵付けの練習に使ったり、施釉テストの際に使ったりする。
施釉テストとは具体的にどういうことか。釉薬をかけるのは基本的に一発勝負だ。かけ直しも出来ないことはないが、仕上がりが汚くなる。
だから本番をやる前にまず初めにテストピースや失敗した器に施釉して、釉薬の濃さをチェックする。
濃ければ厚く着くし、薄ければ薄く着く。大抵の場合最初は濃すぎるので、良い感じになるまで水で薄めていく。薄すぎた場合は一旦置いて沈殿するのを待って、上澄みを捨てる。
失敗作の素焼きの器を練習やテストに使った後は、割ってから自治体の決まりに従って処分している。割るのは単にかさばるからだ。
注意したいのは、創作の中の陶芸家のように工房や窯場で床に叩き付けて割るということはまずない。
何故なら、片付けが大変だからだ。もし工房で割れば、粘土の中に素焼き片が混入するかもしれない。
気付かないでそのまま粘土を力一杯菊練りしたら、手のひらが陶片の先でズタズタになるだろう。

その三・本焼き後

これは素焼きの時と殆ど同じで、素焼き段階では小さすぎて見えなかったヒビが、本焼きの収縮で顕在化したパターンだ。

素焼きの時点では分からなかったが、本焼きを経て派手に縦にヒビが入った

ヒビが入っていては実用には適さないので、やむを得ず処分するしかない。
稀にお猪口やカップの底にヒビが入って、うまい感じに鉢植えに流用できそうな場合もある。だが残念ながら私に鉢植えを愛でる甲斐性はない。鉢植えの世話どころか自分の面倒を見るので精一杯だ。なので私は自治体の指示に従って処分している。
その際もそのままだと嵩張って邪魔だし、万が一第三者に持って行かれて転売されるのも嫌なので、砕いてから処分している。たとえるなら、不要な下着を捨てる際にわざとハサミを入れるのと同じような感覚だ。
一部の破片はモザイクアート的に使えないかと思っているが、まだ実現には至っていない。
なお、本焼成後の作品は割れてしまえば、断面はガラスの破片と同じで鋭利になる。
なのでやはり創作の中の陶芸家のように工房や窯場で床に叩き付けて割るということはまずない。
理由は素焼きの陶器と同じだ。

また上記とは多少趣が異なるが、実用には差し障りない不良品が発生することがある。
たとえばこの「威嚇するアリクイとアリが10匹描かれた絵皿」だ。

アリの足だけ他とは違う細い筆で描いているのだが、それ故に手順を間違えて足を描き忘れてしまったことがある。
本焼きした後に絵を描き足すことは不可能なので、こうなると廃棄するしかない。
絵付け時の間抜けな自分を呪いながら破壊するだけだ。

以上の三つが作品破壊チャンスだ。
こうして改めて考えてみると、自分の作った作品をやむを得ず破壊する機会は結構ある。
陶芸家によっては、本焼き後の作品を壊すことには抵抗があるという。
実は私はあまり抵抗がない。何故なら失敗作は次の成功作へ繋がるチャンスだと知っているからだ。
失敗作を壊すことで自分の中で区切りを付けて、次の成功作に向かって進むことが出来る。
失敗作がずっと視界にあるというのも、精神衛生上よくないと私は思う。

それにしてもやはり気になるのは、「失敗作を割る陶芸家」というイメージの元ネタだ。
陶芸家の神経質で強いこだわりのある芸術家としての側面を、現実に即しつつステレオタイプに描写したらこうなった……という感じなのは想像できる。
だがそれを一番最初にやった作品が何なのか、とても気になる。
もしご存じの方がいらしたら、是非教えてください。

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