七日目 令和元年五月五日 十五時頃
東海道中有松日本橋 満願大成就膝栗毛。七日目 令和元年五月五日 十五時頃。駿河國 興津宿。
女体の森 宗像神社。「女体の盛」ではない。女神が祀ってあるかららしい。
県営住宅「興津団地」の入り口に建つ謎のモニュメント。何となく昭和四十年代。
街道脇のプレハブが意図せずして「茅葺屋根」のようになっている。令和三年五月現在、この家は消失してしまっている。
興津川によって街道の前途は途切れてしまっている。江戸時代もここには橋がなく、徒歩(かち)渡りと言って歩いて渡っていたらしい。見ると向こう岸で水遊びをしている人がいて本当に歩いて渡れそうだったが、目の前の堤防を越えることができそうもなかったので止めた。
興津川橋。仕方なくこちらを渡る。
薩埵峠案内板。いよいよ左富士の見どころの薩埵峠。道が三通りあることをここで初めて知る。東海道は緑色の「上道」と呼ばれる道である。この道を歩いた。
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