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三日目 令和元年五月一日 九時四十五分頃
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東海道中有松日本橋 満願大成就膝栗毛。三日目 令和元年五月一日 九時四十五分頃。三河國 本宿。
元禄十一年(1698) 旗本 柴田勝門が知行所支配のため陣屋を設け、その隣に代官屋敷を建てた。どういうわけだか、その居宅を使って食堂を作ってしまった。この日、五月一日はその食堂の開業日だった。
上段右の写真は四年前のこの代官屋敷の様子である。恐らく明治以降、原型をとどめながら修繕を繰り返してきたのだろう。今回の改築で残ったのは多分、骨組みだけではないか。勝手な想像だが。そもそも食堂にする、ということを考えること自体、史跡を保存するという気が殆どないということである。十年後ぐらいに使い捨てにするのだろう。
ファミリーショップ杉田屋。ちゃんとした店の筈だが、店頭は無人販売形式になっている。店主の高齢化の所為だろう。
鉢地川に架かる法蔵寺橋。親柱に彫られている文言がいい。京方面側(西)は平仮名で「はふざうじばし」とあるので、架橋の日付も右の平仮名に合わせ行書で「大正九年十月架換」とある。江戸方面側(東)は楷書で「法蔵寺橋」とあるので日付も楷書で書いてある。まだこの頃はこういう統一性というものが理解されていたのだろう。片仮名は楷書の一部分からできており、平仮名は行書草書の変形だから楷書と平仮名とでは統一性が全くない。段々と楷書と平仮名とを混ぜて使うことが多くなり、やがて違和感が全くなくなっていった。